手を伸ばした。
当然、何も掴めぬ。
数刻前までは、温もりが背に有った。手を伸ばせば、艶やかな黒髪に触れた。
「なんです、業平殿」
名を呼べば、返事が返ってきた。名を呼び返してくれた。
目を閉じる。
瞼の裏に焼き付いた唐紅を背景に、浮かぶ。
すました顔。
怒った顔。
照れた顔。
別れたときの、涙に濡れた顔。
「業平殿!業平殿っ!」
繰り返し自分の名を叫ぶ、悲痛な顔。
溜め息が漏れた。
同時に、涙が零れた。
「高子」
ぽつりと呟いた名前は、空気に溶けた。
「こんなに辛い恋は、君が初めてだよ、高子」
唇を噛み締めた。
「私の力が足りなくて、君を手に入れられなかった」
鉄の味が口内に広がった。
「もっと早くに出逢いたかったよ、高子」
幾ら嘆いても、もう決して時は戻らぬ。
悔しさから、強く拳を握り締めた。
手の平に、血が滲んだ。
鬼退治なんて出来やしなかった
(君を奪うだけの力が)
(ぼくには無かったんだ)