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待ち合わせ場所で合流したあと、すぐに昼食をとるために近くのファミレスに入った。最近は英語のメニューを置いている店もあると聞くし、そうでなくともすべての料理の写真が載っているメニューならば注文もしやすいと踏んだのだ。その他にも品数が多いとか、ある意味日本らしい場所であるとか、すぐ近くにあったからとか色々と理由はあるのだが、どれも大した理由ではない。ぐだぐだと話すのにちょうどいい、というのが一番の理由だったかもしれない。
和食がメインのメニューを広げ、シュテファンが興味を持った料理を簡単に説明する。分かったのか分からないのか曖昧な様子でシュテファンが注文したのは期間限定の旬の食材を使ったセットメニューで、春哉はシンプルな焼き魚定食といくつかのつまみを注文した。さすがにまだ日も高いのでアルコールは控えることにする。
料理が運ばれてくるまでのんびり待とうと思った矢先、シュテファンは早速話題を切り出した。
『手紙の返事、今聞かせてもらっても?』
「ゲホッ、」
飲みかけのお冷が気管に入り激しくせき込む。完全に油断していた。
苦しさとそれ以外の理由で顔を真っ赤に染めて、春哉は涙目のままシュテファンを恨めし気に睨む。
睨まれた男はといえば苦しげな春哉の様子に申し訳なさそうに眉を下げて、長い腕をこちらへ伸ばし背中をさすった。
『いきなり、ごめん。でも多分会えるのは今日だけだろうからちゃんと聞いておきたかったんだよ』
シュテファンの帰国は三日後。確かに彼の滞在中に会えるのは今日が最初で最後の機会となるだろう。
大きな手で背中をさすられてようやく呼吸が落ち着き始めたものの、真っ赤になった顔の熱は未だ引いてくれない。何か返事をしようにも何といったらよいものか分からず、ぱくぱくと動く口からは「あー」だとか「えっと」だとか要領を得ない声だけが漏れる。
相変わらず申し訳なさそうな表情でこちらを見るシュテファンは早急に話題を切り出してきたわりに、急かすこともなくじっと漏れ出す声が言葉になるのを待っている。
『……俺、シュテファンのこと好きだよ。でも、友達以上だと思ったことはない』
小さく、咳き込んだせいで枯れた声で春哉は言った。
優しく背中をさする手が、ピタリと動きを止める。そうしてゆっくりと背中から離れて、テーブルの上にゆるゆると着地した。触れていた体温がなくなった途端、ヒヤリと背中が冷えてゆく。
『それは、これから先も?』
眉を下げたまま、うっすらと笑みを浮かべている。諦めているのか、それともあらかじめ予想していたことだったのか、それとも春哉に気を使っているのか。どういう意図をその表情に滲ませているのかは春哉にはわからなかった。
目をそらしたくなるのをこらえて、待ち合わせの間ずっと考えていたことをぽつり、ぽつりと吐き出した。
『好きだって言われたこと、別にいやじゃなかったし驚きはしたけど嬉しかったよ。でも手紙でしかお互いのこと知らなくて、顔だって見たことないのにどうして俺なんか好きになったんだろうって思った。それに俺、聞きたいことたくさんあるんだよ』
よくよく思い返してみれば春哉はシュテファンの基本的なプロフィールをほとんど知らない。誕生日は知っていたが年齢は知らず、漠然と同じ年頃だと想像し、身分も同じ学生だと思い込んでいた。しかし蓋を開けてみれば年齢は同年代というにははるかに離れ、身分もすでに立派に働く社会人だ。春哉のことを好きだというが、彼の恋愛の対象は元からそっち、つまり同性だったのだろうか。
今まで気づかなかったこと、気にしなかったことが一気に疑問となって押し寄せてくる。
どうしてもまずはそれが聞きたいと言えばシュテファンは快く頷いた。
『いいよ。春哉が知りたいことを聞いてくれれば僕はそれになんでも答える』
それじゃ、どうぞ質問して。そう促され、春哉は思いつくままに疑問を口にする。
『じゃあ、とりあえず歳と、あと何の仕事してるか知りたい。日本にはどんな仕事するために来たの?』
『歳は四十二。職業は作家。今回は僕の本が日本語に翻訳されて出版されることになったから、その宣伝とか出版記念イベントを兼ねた朗読会とかのために日本に来ることになった』
『作家!?』
予想外の答えに思わず食いついた。だってそんな身近にいるような職業ではないだろうし、海外で翻訳されるだけでなくわざわざそのためのイベントが催されるというのはなかなかすごいことではないのか。
『作家って、物語とか書いてんの……?』
『うん。エンデとケストナーが好きで、昔からの夢だったんだ。ギムナジウムで教師の仕事をしながら書き続けたものが五年くらい前に本として出版されることになって、二年前に教師の仕事を辞めた。今は作家の仕事しかしてないよ』
五年前、ちょうど春哉がシュテファンを見つけたころのことだ。ペンフレンドを募集する掲示板で偶然見つけたその男が、その時期にそんな人生の転機を迎えていたことなど手紙には一度も綴られていなかった。すでに春哉と文通をしていた二年前の転機すらも、全く知らされてはいない。
シュテファンは自分の素性を隠したかったのだろうか。だとしたらなぜそれを今包み隠さずさらけ出す気になってくれたのか。それがどうしてもわからない。
その後も気になっていたこと、とっさに思い付いたこと、なんとなく訊いただけのことにもシュテファンは丁寧に答えてくれた。
話している間に運ばれてきた食事を平らげ、追加でデザートを注文する。お冷の代わりに熱いお茶を持ってきてもらって一息ついたところで、春哉は一番気になっていながらどうにも聞きづらくて後回しにしていた質問を口にする。
『俺の、どこを好きになったの?』
つくづくドイツ語で話していてよかったと思う。そうでなければこんなに人のいるところで男同士が話せる話題ではない。英語のようなメジャーな言語も、きっと注意が必要だ。
だいたい内容が恥ずかしすぎる。付き合いたてのカップルの彼女がべたべたと彼氏に甘えながらするような質問に我ながら鳥肌が立つ。
それでも本当に春哉にはそれが分からなかったし、それを聞いたところで先ほどの答えが変わるわけでもないだろうがポストにあの手紙が届いたその日から何百回と脳裏に浮かべ続けてきた疑問を、解消できるそのチャンスを逃すわけにはいかなかった。
一瞬の間を置いて、シュテファンの表情がふっと和らいだ。妙に嬉しそうな様子で口を開く。
『素直なとこ、優しいとこ、努力家なとこ、犬が好きなとこ、親をちゃんと尊敬しているとこ。他にもたくさんあるんだけど、挙げていくとどれもありきたりな理由に聞こえるかもね。でもそういう理由はたぶん後付けで、気がついたらもうハルヤのことが好きだっていう確信があった』
それこそ、ありきたりの言葉で申し訳ないけどね。
最初からシュテファンの気持ちを疑ったりはしなかった。けれどこうもストレートに、それも直接言われてしまうとますます恥ずかしくなる。
じわじわ、熱を持つ頬は頭で思うよりもずっと素直に、その言葉が嬉しいのだと春哉に思い知らせる。
顔の半分を覆うように右手を当てて、窺うようにシュテファンを眺めればつくづく整った顔立ちをした男だと感心する。
返す言葉が見つからずに、無言のままそわそわしていると先ほど注文したデザートが運ばれてきた。続く沈黙にいい加減いたたまれなくなってきたタイミングでやってきたデザートに感謝をしつつ、顔面の熱を下げるべく抹茶のアイスパフェを勢いよくかき込んだ。