不思議な裏路地


サガは教皇となり、双児宮の守護は、ジェミニの聖闘士となったカノンに任されていた。
サガの任務は、アテナ神殿の守護、及び、アテネ市街の視察、つまり、病人を訪れてその死の恐怖から人々を救ったり、アテナの加護を必要としている人々を励ましたりする事だった。

サガ一人でも十二分に強いのだが、護衛は大抵アイオリアが務めた。
二重人格から回復し、悪の心が消え去ったサガは、正しくアテナの名代に相応しいほどに神々しい、とアイオリアは思う。
自分の兄を死に追いやった男として憎んだ事もあったけれど、その兄も復活して和解した今、やはり、サガが教皇に相応しい、とアイオリアはサガを評価している。

人々は、サガの優しく美しい姿に見惚れ、アテナのような穢れない強い、そして包み込むような小宇宙に癒され、穏やかに息を引き取る。

そんなある日の事。
カミュの姉、サヤは、いつもの通り、バスケットを片手に市場に出かけて行っていた。
パリではこうして、バスケットを片手にバンケットやフルーツなどを市場で買うのが当たり前で、サヤは、アテネに移り住んでからもそうしていた。
カミュが帰って来たら喜ぶかしら、と思うと、サヤの心は晴れやかになり、人混みも気にならない。

市場では、野菜はもちろん、エーゲ海の新鮮な魚、色とりどりのフルーツが並ぶ。
カミュの好きな料理を思い浮かべながら、品物を選ぶのは、サヤの大きな楽しみだ。
いつか、カミュの友人達にも振る舞いたい。
そんな思いで食材を選んで行って、サヤはようやく買い物を済ませた。

ギリシャ系とトルコ系の人々でごった返す市を抜けると、ふとサヤはいつもと違う道に出た事に気付いた。
そこは、アテネ中心街の胡散臭いギリシャ正教の土産物の道ではなく、何か神聖な雰囲気に包まれた裏路地だった。

サヤは思わず立ち止まり、その街並みを眺めた。
家の外にはアテナ像が飾られ、アテナを信仰している街並みだとありありと分かる。
何か、アテネの喧騒から隔絶された、静かな街並みだった。

しばらく我を忘れてそこに佇んでいると、一軒の家から、2人の男性が出て来た。
1人は、眩しいほどに身体を鍛え上げた、とても正義感に溢れた揺るぎない瞳をした男性。
もう1人は、サヤが何度か出会い、窮地を救ってくれた男性だった。
思わずサヤは目を瞠って、その人物を見つめた。

忘れもしない、あのブロンドの豪奢な髪。
天上の彫刻のような凄絶なまでの美しい顔立ち。
エーゲのような吸い込まれてしまうような、青い瞳。
カミュやシュラにはない、憧れてしまうような大人の雰囲気。

あれは、カノン…?
ただ、雰囲気が何だか違う。
黒いローブを身につけ、神々しいまでの雰囲気に包まれている。
一緒にいる男性も、そのカノンと思しき人物に忠誠を誓っているような雰囲気さえした。

サヤは、軽く混乱に陥った。
カノンは、あんな風な任務もこなすのかしら…?
非番の時は、あんなにくだけているのに。

サヤは、意を決して、カノンに声をかけた。

「カノン…?」

そう問うと、カノンは訝しげに振り向いて、じっとサヤを見つめた。
そして、はたと気付いたように、口許に淡い笑みを浮かべた。
もう1人の男は少し驚いたようにサヤを見つめた。

「カノンを知っているのか?」

カノンと同じ声で、しかし、カノンにはない、神々しい優しさに満ちた声で尋ねられて、サヤはどきりとした。

「貴方は、カノンではないの…?」
「カノンは私の弟だ。私はサガ」
「サガ…」

サヤは、心の中でもう一度、その名を呟いた。
そういえば、以前カノンは愚兄がいると言っていた。
一卵性双生児だなんて聞いていなかったけれど。
この神の化身のような人がカノンの兄…。
こんなにも神聖な雰囲気に包まれた人だなんて思いもしなかった。

魅入られてしまいそう…。

サヤは、サガから目を離せず、ただそこに佇んでいた。
すると、サガは目を伏せてフッと笑った。

「カノンが、市街に降りては女と遊ぶ事もあるとは聞いていたが…どうも貴女はそういう相手ではなさそうだ。不躾な質問だが、カノンとはどういう知り合いだ?」
「カノンとは、2度しか会っていないの。2度目は、私が男達に襲われそうな所を助けてもらって…。カノンにはまた会って御礼が言いたいと思っていた所よ」
「そうか…」

少し警戒したように、やり取りを見つめていたもう1人の男は、警戒を解いたように、にっこりとサヤに笑いかけた。

「災難だったな。カノンもいい奴だ」
「愚弟とばかり思っていたが、そうでもないな。ところで…」

そこでサガは目を細めてじっとサヤの顔を見つめ、次に髪の毛に視線を移した。

「それにしても、私のよく知っている男によく似ている。人違いだったら申し訳ない。貴女は、カミュの身内ではないだろうか?その目鼻立ちと見事な赤毛。もちろんカミュとは違って女らしい顔立ちだが、その雰囲気、服装、フランス人ではないか?カミュもフランス出身だ。さしずめ、カミュの姉といった所か」

サヤは心底驚いた。
サガがカミュの知り合いだという事ももちろんだが、サガが一目でカミュの姉だと見抜いたからだ。
シュラは、サヤがカミュの姉とは気付かなかった。
少し遅れてサヤは頷いた。

「ええ、私はカミュの姉よ。驚いたわ。シュラは気付かなかったのに。すぐに見抜くなんて、やはり双子ね」
「カノンも見抜いたか。貴女はシュラもカノンも知っているのか?」

もう1人の男性が驚いたように目を瞠った。

「シュラとカノンの事をどこまで知っている?」
「シュラがカミュと同じ、黄金聖闘士だという事と、カミュのお友達が黄金聖闘士のミロだという事。カノンも黄金聖闘士だという事と、アイザックがカミュの弟子だという事よ」
「そうか。そこまで知っているのであれば、俺も名乗らねばな。俺は、獅子座、レオのアイオリア。カミュと同じ黄金聖闘士だ。サガは聖域の頂点に立つアテナの名代、教皇で、カノンとは一卵性双生児だ」

サガは聞こえないほどの小さな溜息を吐いて、またふわりと笑った。

「カミュの姉ならば仕方あるまい。聖域の機密は流石に秘密にしなければならぬが、カミュが護衛につくのであれば、聖域に入るのも許そう。アテナの心のお慰めになる。ただし、カミュから離れて行動するのは許さん。カミュの住む世界が知りたかったら聖域を訪れればいい。聖域の雰囲気が変わったのは、貴女の影響か」
「なるほどな。そういえば、黄金聖闘士にあるまじきほど、最近浮き足立つ輩がいるのはそのせいか。いっそ、カミュの姉だと紹介すれば、落ち着くだろうな」
「アイオリアもそう思うか」
「ああ」
「嬉しい…。カミュともっと一緒にいられるのね」

サヤは、花が綻ぶような笑みを浮かべた。
女慣れしていないアイオリアは、思わず赤面してしまった。
女と言えば、仮面を被った聖闘士の卵や白銀聖闘士達だけだ。
カミュと似てるとはいえ、洗練された美女にこのように笑いかけられる事なんて、滅多にない。
サガはつられたように笑った。

弟カノンが、時折想いを馳せるように、心ここにあらず、といった様子なのは、この女性のせいか。
確かに、美しいだけではなく、人を惹きつけるオーラのある女性だ。
カノンが忘れられないのも頷ける。
そして、聖域に入る事を許してしまったのも、このオーラに呑まれたせいかも知れない。
普段の自分ではあり得ない発言だ。

この女性は、愛されるべき女性だ。
そう思ってしまう自分に、少しの驚きを感じながら、サガはサヤに見惚れた。

「カミュに会ったら、このサガが聖域に入る事を許可したと伝えろ。カミュも貴女ともっと過ごしたいだろう。自宮を空ける事も減るに違いない。貴女は、カミュの守護する宝瓶宮で過ごせばいい」
「カミュともっと過ごせるの?嬉しいわ。サガ、ありがとう!」
「礼には及ばない。では、私はここで失礼する」

そう言うと、サガはサヤに近付き抱きしめた。
ふわりと香る、よい香りにサヤの胸は高鳴った。
そして、サガはサヤの両頬に口付けを落とすとフッと笑って、背を向けた。

「アイオリア、聖域に戻るぞ」
「ああ、分かった」

そうして、2人の姿が見えなくなるまで、サヤはその後ろ姿を見送った。
先ほどのサガの抱擁…別れの挨拶を想いながら…。



その晩、カミュは姉の部屋を訪れた。
部屋は、食欲をそそるような良い香りで満ち溢れていた。
いつもなら、姉は真っ先にカミュを出迎えるのに、部屋に入ると、姉はソファの上でクッションを抱き締めたまま、ぼんやりとしていた。

何か良くない事でもあったのだろうか…。

カミュは眉を顰め、サヤの隣りに座り、華奢な肩を抱き寄せて、頬にキスをした。
ようやくサヤは、我に返ったように、カミュにお帰りのキスをした。

「カミュ、お帰りなさい」
「サヤ、どうした?何か悩みでもあるのか?」

カミュは心配でたまらなかった。
姉をこんなに悩ませるような事なんて、今までなかった。

「悩み…ではないわ。ちょっと驚く事があったの。不安のような、嬉しいような事、とでも言ったらいいのかしら…」
「不安…?」

またカミュの眉が顰められる。

「サヤ、何が不安なのだ?サヤにはいつものように笑っていて欲しい。仕事の事か?」
「いえ、違うわ。今日、市街で道に迷った時に、見慣れない路地で、カノンそっくりな、サガという人に会ったの。護衛みたいなアイオリアという人にも。サガとカノンは流石双子ね。すぐに私がカミュの姉だって気づいたわ」
「サガとアイオリア…」

サガは、呆れるほどの堅物で、アテナの名代として、その職務を完璧に全うしているから問題ない。
アイオリアも、トレーニングばかりに励み、女性には無関心といった男だ。
サガとアイオリアに出会った事は、カミュにとっては心配事はない。
しかし、何故、姉はこんなにぼんやりとしているのだろう?

まさか、姉は、サガに惹かれて恋心でも抱いたのか…?

そう思うと心がざわめく。
まだまだ姉を独占していたい。
それに、姉の憂いが一体何なのか知りたい。

「サヤ、どうした?何が不安だ?」
「…サガが、カミュと一緒なら、聖域を訪れて、宝瓶宮で過ごせばいいって」
「何…だと…!?」

聖域は、基本的に一般人は入る事が許されていない。
黄金聖闘士を世話するメイド達を除けば。
何より、サガがそんな許可を与えた事にカミュは心底驚いた。

「カミュもびっくりした?私も驚いて…。カミュのお友達に会えるのはとても嬉しいけど、聖域に入るのが何だか不安で…。でもね、とても嬉しい事なのよ?それでぼんやりしてたの、ごめんなさいね。いけない、夕食の仕度をしなきゃ」

ようやく我に返ったように、立ち上がろうとする姉の腕を引いて、カミュはサヤを抱き締めた。
まだ同僚にサヤを会わせる心の準備なんて出来ていない。
聖域は男ばかりだ。
アテナに忠誠を誓っているからとはいえ、良からぬ事を考える者でもいたら、フリージングコフィンで未来永劫閉じ込めてしまいたくなる。

「カミュ…?」

姉は、不思議そうにカミュを見つめた。
もう少し、カミュは姉の温もりを感じていたかった。
サヤも、カミュを抱き締めた。

「カミュも同じ気持ちなのね…」
「聖域に行くのはもう少し待ってくれ」

サヤは肯定も否定もせず、ただカミュを抱き締めた。

「私が聖域に行けば、アテナの心の慰めになるって。それに、私、カノンに御礼を言いたいし、またサガにもカノンにも会いたいわ。聖域自体が不安なだけ」

カノンと言う言葉に、カミュの胸はざわめいた。
カノンは、姉よりも年上で、しかもあの美貌だ。
姉がそのまま惹かれてしまいそうで不安になる。

カミュは一層強くサヤを抱き締めた。
サヤは、くすりと笑った。

「随分、甘えっ子ね。大丈夫よ。カミュが必ず一緒っていう条件だし、カミュともっと一緒にいられるのは、とても嬉しいわ。でも、もう少し待つ事にするの。こうして部屋でカミュと過ごすの、楽しいもの。だから、心配しないで」

姉はいつものように、カミュの頬にキスをして、愛してると繰り返した。
不安だった心が、少しずつ穏やかさを取り戻して行く。

ああ、自分は姉が好きでたまらない。
まだサヤを他の黄金聖闘士に会わせたくない。

呆れるほどシスコンだけれども、その事にカミュはまだ気付かない。
ただ、このままの関係が続いて行けばいいと、願うカミュだった。

2014.7.11 haruka



[BACK]
[TOP]
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -