ダイヤル回して手を止めた


シュラは手に入れた携帯電話を弄びながら悩んでいた。
取扱説明書を見ながら入力した連絡先はたったの1件。
サヤの電話番号とメールアドレスだけだ。
シュラが日頃連絡を取るような相手は小宇宙でやり取りが出来る。
サヤのためだけに携帯を買ったといっても過言ではない。
電波も届かない十二宮の中で、携帯に表示されたサヤの名前を眺めながら、シュラは幾度目とも知れぬ溜息をついた。
連絡して欲しいからと連絡先を教えてくれたのはサヤの方だ。
だから、こちらから連絡を取ることに何の問題もないはずなのに、もし返事が来なかったら自分はがっかりするのではないかと思い、何度か携帯を持ったままアテネ市街に下りることもあったが、結局連絡するのを躊躇ってしまい、自宮に戻ってくるのであった。

今日は久々の非番だ。
今までならサヤに会えるかも知れないという一縷の希望を抱いてアテネ市街に下りて行っていたが、連絡するのを先延ばしにするたびに、会った時に何故連絡をくれなかったと問い詰められるような気がして、シュラは特に用事がない限りアテネに下りることがなかった。
サヤから連絡先をもらってから1ヶ月。
柔らかだった春の日差しは、ギラギラと照らす強い日差しに移り変わっていた。
春ももうすぐ終わる。
生き物が生き生きと息づく夏がもうすぐやってくる。
すぐ上の宮をカミュの弟子のアイザックが訪れては、階段を下っていく時には大きなボードを抱えている。
どうやらカノンと波乗りをしているらしい。
サーファーに季節は関係ないと言うが、やはり、燦燦と照る太陽の下での波乗りは格別だそうだ。
今日もアイザックは宝瓶宮から下りてきた。
シュラはジーンズのポケットに携帯電話を入れると、通路に出た。

「シュラさん、通して下さいね」
「ああ、構わんが。カミュはいなかっただろう?」
「そうなんですよ。でも、また会いに来るから大丈夫です。カミュ先生、今日は非番だからいると思ったのに…。シュラさんも非番ですよね?出かけないんですか?いい天気ですよ」
「ああ、そうだな……」
「折角の非番ですから外でパーッと遊んだらどうですか?一緒に波乗りしません?」
「あいにく俺はボードもウェアも持っていないからな。お前達の荷物番になるのは御免だ」
「あはは、バレました?それは冗談ですけど、何か悩んでらっしゃるみたいだし、本当に気晴らしした方がいいですよ?それにカノンなら相談に乗ってくれるかも知れません」

カノンに相談……。
そのずば抜けた資質で人望を集めているカノン。
噂では女性関係にも長けているようだ。
そのくせ浮いた噂は聞かない。
きっとデスマスクとは違い一線を引いているのであろう。
案外いい考えかも知れない。

「そうだな…。まあ、街に下りてみるか。途中まで一緒に行こう。支度してくるから待っててくれ」
「わかりました」

シュラは部屋に戻り、財布をポケットに入れると、アイザックと共に十二宮を下っていった。
アイオロスとアイオリアはトレーニングで不在。
ミロは書斎でぶうぶう文句を言いながら執務を行っていた。
シャカは瞑想しながら宮を守護し、デスマスクは非番でもないのに席を外していた。
そして、双児宮に辿り着く。
広い回廊には、すでにボードを抱えたカノンが待機していた。

「遅い!!」
「すみません、カノン。ちょっとシュラさんと話をしていて。何か悩みがあるそうですよ」
「悩み?」

眉を吊り上げていたカノンが表情を和らげシュラの方を振り返る。

「どうした?何かあったか?」
「ああ、いや、たいしたことではないのだが…」
「たいしたことじゃないわけがないです。俺がシュラさんに会ったとき、すごい深刻な顔をしていましたもん」

そんなに俺は深刻そうな顔をしていたか。
確かに溜息ばかりついていたような気がする。

「そうか。俺でよければ相談に乗るが?」

カノンがフッと口元を綻ばせてじっとシュラを見つめる。
ここまで話が進んでしまってはもう後戻り出来ないだろう。
断ったところで、この悩みがずっと続くのは目に見えているのだから。

「……では、悪いがカノンの意見を聞かせてもらいたい。ただ、出来れば他の人間に聞かれたくないのだが……」

暗にアイザックに聞かれたくないと匂わせて、シュラは申し訳なさそうにアイザックを見遣った。
好奇心旺盛な年頃のアイザックは少し不服そうだったが、カノンに「先に海で待ってろ」と言われて仕方がなく立ち去っていった。

「ここだと人目もあるだろう。俺の部屋に来てくれ」

カノンはシュラを促すと双児宮のリビングへ入っていった。
ボードを床に置きながらカノンがシュラに尋ねる。

「それで、悩みというのは?」

改めて話そうとすると、あまりにも馬鹿げた内容で、シュラは言葉に詰まった。

「いや、本当にたいしたことではないのだ。口にするとあまりにも馬鹿馬鹿しい」
「それでも悩んでいるのだろう?馬鹿馬鹿しいかどうかはこの際関係ない。それがお前にとっては重要だということだ。他人から馬鹿馬鹿しく見えようと、それは他人の勝手だ。それに俺は他人の悩みを馬鹿馬鹿しいと一蹴するのは嫌いだ」

紺碧の双眸をじっとシュラに固定して告げるカノンの表情は真剣で、シュラはやはりカノンになら話すべきなのかも知れないと思った。
うまく言葉に纏まらないが、ぽつりぽつりと話していく。

「女が連絡先を渡してくるということは、こちらから連絡しても構わないということなのか?」
「まあ、男が無理に聞き出したのではない限り、こちらから連絡を取ってしらばっくれられるということはないだろう。女から自発的に連絡先を教えてきた場合も気をつけた方がいいな。それで付き合っていると勘違いする女も中にはいる。こちらの連絡先を聞き出すために連絡先を渡してくる軽い女もいるな。だから、こちらから連絡するのも考え物だ」
「あの人はそういうような軽い女ではない!!」

思わず声を上げてしまって、シュラはハッとして口を噤んだ。
カノンも軽く目を瞠った後、フッと意味深に笑った。

「まあ、あくまでそういう女もいるということだ。いや、そういう女が多いな。で、さっきの様子だと、シュラ、お前、その女に惚れているな?」

シュラは色素の薄いその頬を薄っすらと染めて視線を泳がせた。
そのシュラの様子をカノンは口元を綻ばせたまま見守った。

「いや……。まだ2回しか会ったことがないのだ…。このような気持ちを抱くのはあまりにも馬鹿げている」
「それでも……忘れられないんだろう?」

シュラは視線を落とし、僅かに頷いた。
カノンは指先で弄んでいた煙草に火を点け、深く息を吸い込んで、ふぅっと煙を吐き出した。

「連絡を取ってみればいいじゃないか」

シュラがハッと顔を上げると、目の前のカノンは兄サガのような神々しい笑みを浮かべていた。

「お前ほどの男が見込んだ女だ。連絡を取る価値はあると俺は思うぜ。それよりも…」

カノンは笑みを深めると言葉を続けた。

「お前は真面目一辺倒で心配していたのだが、安心した。どんな女か気になるな。悪い女に引っかからないか心配だが。連絡が取れるようになったらそのうち俺にも紹介してくれ」
「いや…、その…、別にただの茶飲み友達にしか思われていない……と思うのだが…」
「フッ、まあ、いいさ。困ったことになったらまた相談してくれ」
「ああ、わかった、カノン。くだらない相談で悪かったな」
「別にくだらなくなどない。お前が真面目すぎるだけの話だ。もっと気楽に考えてもいいんじゃないか?デスマスクあたりに知られたら冷やかされるだろうな。誰にも言わないから安心しろ」
「やはりあなたに相談してよかった。……連絡を取ってみる」
「では、あまりアイザックを待たせるわけにはいかないから、俺はもう行くぜ?アテネ市街まで一緒に行くか?」
「ああ、そうだな」

二人は立ち上がり、アテネ市街へと降りて行った。

カノンと別れ、シュラは携帯電話を弄びながらゆっくりと街を歩いていった。
アドレス帳の「サヤ」の名前を見ると心が甘酸っぱくなる。
電話をしたら何を話そうか。
連絡が遅れたことをまず詫びて。
それから一体何を話せばいいのだろう。
また会いたいと言ったら、一笑に付されてしまうだろうか?
連絡を取るべきだとのカノンのアドバイスがあったにも関わらず、いざダイヤルしようとすると指が止まってしまう。

ぶらぶらと歩きながらそんなことを繰り返していると、いつの間にか、いつものカフェのある通りへと足を踏み入れていた。
石畳の歩道に面して、一段高くなっているウッドデッキのオープンカフェが視界に入る。
と、シュラの目が驚愕に見開かれた。
ずっと思い焦がれていた見事な紅毛のシニヨン。
その向かい側に、同じ色の豪奢な紅毛の男が座っている。
カミュだ。
いつもの氷のような冷たい小宇宙はなりを潜め、柔らかく暖かい小宇宙を纏っている。
だからカミュだと気付かなかったのだ。
遠目に見ると、二人はとても和やかな雰囲気で楽しんでいるようだ。

もしや……いや、やはりあの噂は本当なのか……。
自分と同様、真面目一辺倒だったカミュが数ヶ月前から非番のたびに宮を空けるようになった。
執務がある日も、執務を終えるとアテネ市街へと降りていく。
だから、聖域の住民はある仮説を立てた。
カミュに女ができた、と。
まさか、その女がサヤだとは思わなかった。
ならば、何故サヤは自分に連絡先を教えてくれたのだろう。
サヤが浮気をするような軽い女だとは到底思えない。
そう断言出来るほどサヤのことを知らないのも事実だが。
ただの茶飲み友達のつもりだったのだろうか。
それともただの気まぐれか……。
そう思うと、心が暗く沈んでいく。
俺は一体何を期待していたのだろう……?
携帯まで買って、これではまるで道化だ。

心に芽吹いた淡い恋心が、儚い雪のように溶けてなくなるのを感じる。
それでも、例え他の男に向けられたものだとしても、最後に一目、サヤの笑顔が見たくて、シュラは何気ない素振りで二人の前を通り過ぎることにした。

カミュは近づいてくるシュラの小宇宙に気付いていた。
まだ、通りの街路樹が芽吹き始めた頃、シュラと姉がこのカフェで談笑していたことを思い出す。
この、綺麗な姉が、自分以外の誰かに優しく微笑みかけるのを見ると、無性に心がきりきりと痛む。
出来るなら、二人を会わせたくない。
しかし、シュラに小宇宙で呼びかけるわけにもいかない。
何と説明すればいいのかわからない。
自分の姉と会わせたくないから来ないでくれ、など、あまりにも馬鹿馬鹿しくて言えない。
このままシュラが自分と姉の仲を誤解して通り過ぎてくれることを祈るしかない。
そういう風に誤解されるのであればむしろ本望だ。

「カミュ、どうしたの?眉間に皺が寄っているわよ」

ふと目を上げると、淡いオレンジの口紅を綺麗に塗った唇が綺麗な弧を描いて笑っていた。
そして、細い指がすっと眉間を撫でる。

「任務のことを考えていたの?そんなに忙しいのなら無理して会わないほうがよかったかしら?ごめんね、私の我侭のせいで…」

離れていく姉の手を、カミュは思わず手に取り、ぎゅっと握り締めた。

「いや、そんなことはない。サヤに会いたい気持ちは私も同じなのだから」

オープンデッキのすぐそばまでさしかかって、二人の一連の動作を目の当たりにしたシュラは思わず立ち止まった。
柔らかく微笑んだサヤが、親しげにカミュに触れ、カミュがサヤの手を握っている。
ああ、もう、これは決定的だな……。
やはり、サヤがカミュの女なのだ……。
酷く落胆した気持ちの中で、それでも、最後に見られたのが、彼女の笑顔でよかったと思うのだった。

「それにしても、もう、夏ね。緑が眩しいもの。……あっ!!シュラ!!」

カミュを見つめていた視線を街路樹に移したサヤが、あっと声をあげた。
サヤの視線は街路樹の下に立った人物に向けられている。
最悪の事態だ。
誰にも姉に会わせたくなかったのに…。
景色を見ながらコーヒーを飲みたいから、というサヤの望みを叶えて、通りを前にした座席に座らせたのが仇となったか。
いつか聞いたことがある。
意中の女を自分だけに向かせたかったら、席は壁に向かった座席に座らせることだと。
後悔しても、もう遅い。
それに、姉の願いならば、どうせ聞き入れられずにいられなかっただろうから。
その姉は、席を立ち上がり、満面の笑みをたたえてシュラに向かって手を振っている。

シュラは突然サヤの笑顔を向けられて、驚いて目を見開いた。
思わず何も反応出来ずにいると、サヤは席を立ち、自分の方へとやってきた。

「シュラ、お久しぶりね。連絡もくれないし、このカフェにも来ないから、もう忘れられちゃったと思ったわ」
「貴女を忘れるはずがない。ただ……本当に連絡をしていいものかと迷っていたんだ。携帯電話にもまだ慣れていないしな」
「携帯買ったの?見せてくれる?あそこの席で一緒にお話しましょう」
「いや、しかし……邪魔ではないか?その……デート中なのではないか?」

サヤは軽く目を瞠った後、切れ長の目を細めて、くすくすと笑った。

「デートじゃないのよ。ほら、前にも言ったでしょう?弟がいるって」

サヤはカミュの女ではない…?
では、あのカミュがサヤの弟だと言うのか!?
落胆していた気持ちが急に浮上していく。
驚きのあまり、シュラは思わず声を上げてしまった。

「……弟!?それでは、貴女は、カミュのお姉さんなのか?」

今度はサヤが驚く番だった。

「あなた、カミュを知っているの!?」
「俺は、カミュと同じ黄金聖闘士だ。隣の宮を守護している。山羊座、カプリコーンのシュラだ」
「まあ、そうなの!?もう、もっと早く教えてくれればよかったのに」
「貴女がカミュのお姉さんだとは知らなかったからな。聖域の話を一般人に話すわけにもいかない」
「それはそうね。あなたがカミュのお友達だなんて嬉しいわ。一緒にお茶を飲みましょう」

カミュは苦笑いを浮かべながら、嬉々としてシュラの腕を引いて自分の方へ歩いてくる姉を見守った。
また一つ、自分だけの秘密が知られてしまった。
席についた姉が、シュラに携帯を出させ、自分の携帯に番号を登録している。
それを止める手立ては自分にはない。
カミュは心の中で深く溜息をついた。

「こうしてよく見れば、髪の色は同じだし、目元もよく似ているな。だから、初めてサヤに会ったとき、どこかで会ったことがあると思ったのだな」
「私達、似てる?嬉しいわ。だから、この髪だけは絶対に染めないのよ」

ニコニコと姉が嬉しそうに自分に微笑みかけるものだから、思わずつられてにっこりと笑ってしまう。

「これは、私とカミュが紛れもない姉弟の証だから。だから、絶対に大切にするの」
「貴女はカミュのことが大切なのだな」
「もちろんよ。世界で一番大切よ」

シュラに姉弟であることが露見してしまったけれど。
シュラの前で、『世界で一番大切』という言葉を聞くことが出来たからそれでいい。
落ち込んでいた気持ちがふわりと軽くなる。
だから、いつまでもサヤのそばにいたくなるのだ。

「今度はカノンも呼んで、みんなでお茶したいわね」
「サヤはカノンの連絡先知らないだろう?」
「知ってるわよ。カミュがいない間大変だったんだから。その時に教えてもらったの」

初耳だ。
一体、サヤは何人に連絡先を教えているというのだろう?
カミュは頭を抱えたくなった。

「ねえ、シュラ。カミュに聞いても教えてくれないんだけど、カミュの一番仲のよいお友達って誰かしら?」
「カミュが話す気がないのなら、俺の口から言うのはどうかと……」

シュラはちらりちらりとカミュを見遣った。
サヤは瞳を潤ませて、心配そうにカミュを見つめた。

「カミュ……そんなにお友達がいないの……?やっぱりそういうところ、昔から変わらないのかしら?ああっ、もっとお友達と馴染めるように、私がしっかりしていれば……!!!」
「サヤ、心配することはない。カミュは聖域ではその優れた人格から弟子にとても慕われている。それに、結構俺とも付き合いがあるし、一番付き合いがあるのは、ミロか。だから、貴女の心配しているようなことは何もない」
「本当!?ミロってどんな人なのかしら?」
「カミュと同い年で、よくカミュのところに遊びに行っているな」
「まあ、そうなの?ミロにも会いたいわ!シュラ、今度ミロも連れてきてくれないかしら?ね?カミュ、いいわね?」

満面の笑みで念を押されてしまって、カミュはもう何も言うことが出来なくなってしまった。
あのミロなら、聖域の弟分だから、サヤはミロを男性として見ることはないだろう。
それでも、弟のように可愛がることになったら自分の地位が危うくなる。
出来れば避けたい事態だった。
シュラの連絡先を手に入れた今、サヤはカミュ抜きでもミロとシュラに会おうとするだろう。
そして、そんなことはさせたくないから、気が滅入るのを分かっていながら自分も同席するのだ。
もう、私にはサヤを独占することが出来ないのか……?
カミュの心は再び暗く沈んでいった。
それでも、

『世界で一番大切』

この言葉だけで、きっと自分は許せてしまう。
姉の愛が一心に向けられるのであれば。
他の男に笑顔を振りまこうとも。
姉の心は自分のものなのだから。

だから、今だけは、その笑顔を振りまくことを許そう。
その分、後で二人きりになったら心行くまで独占するから。

2007.03.23  haruka


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