さみしくて


カミュがサヤの部屋を訪れなくなって2週間が過ぎた。
カミュが任務のため、しばらくサヤに会うことが出来ないと告げると、サヤはカミュを抱き締め放そうとしなかった。

「お願い。今日は泊まっていって。しばらくカミュに会えないんだもの。今日ぐらいはゆっくりしていってもいいじゃない」

自分の広い胸に頬を寄せてくぐもった声で呟く姉の吐息が薄いシャツ越しに感じられて、カミュの胸は熱くなった。
自分だって姉の温もりを今しばらく感じていたい。
本来ならば宝瓶宮に戻り守護をしなければならないのに、離れがたくて、カミュは姉を無理に引き剥がすことが出来なかった。
それでも義務感からカミュは精一杯の抵抗を試みる。

「サヤ…。私は宝瓶宮を守護しなければならないのだが…」

サヤはカミュを抱き締める腕に一層力を込めて、いやいやをするようにカミュにさらに擦り寄った。

「だって、急に明日からいなくなるなんて…。もう少しだけこうしていたいの…。お願い…」

姉にされるがままに抱き締められていたカミュは、そっと押し返そうと腕を上げたが、しばらく逡巡して、そのまま姉を抱き締め返した。
サヤの首筋に顔を埋めてそっと溜め息をつく。
ふわりと香水がかすかに香り、カミュは切なくなった。もう慣れ親しんだ姉の香り。
自分だって姉にしばらく会えないのは辛いのだ。

姉はいつも優しくて、カミュを優先に考えて、わがままを言うことはほとんどない。
そんな姉の願いだから、叶えてあげたくなる。
それでなくても姉には散々心配をかけて辛い思いをさせてきたのだ。
腕の中で小さく震える姉は、頼りなくて、守ってあげたくて。
どうしても拒むことは出来なかった。

「サヤはずるいな…。私がサヤの頼みを拒めないことを知っているだろう?」

溜め息混じりにカミュが囁くと、サヤはぱっと顔を上げた。

「じゃあ、泊まっていってくれるの?」

カミュは苦笑いをしながら、サヤの頬をそっと長い指でなぞった。

「サヤをこんな顔にさせたまま帰ることなんて出来ないだろう?私はサヤにはいつも微笑んでいて欲しいのだ。サヤが悲しいと私も悲しい。ただでさえしばらく会えなくなるのだから、最後に見るサヤの顔は笑顔であって欲しい」

「最後だなんて言わないで。戻ってくるんでしょう?」

瞳をうるませて、サヤがカミュの瞳を覗き込んだ。
黄金聖闘士が着任しなければならないほど、かなり危険な任務になるので無事に戻ってくる確証などなかったが、この姉を一人にするわけにはいかない。
何としてでも無事に戻って来なくてはならない。
カミュは姉を抱き締める腕に力を込めて、強く頷いた。

「ああ、もちろんだ。だが、しばらく待ってくれないか。必ず戻ってくる。サヤ、愛している。あなたを一人にする私を許してくれ」

「待っているわ。私も愛している、カミュ…」

二人は頬を寄せ合い、お互いの体温を記憶に刻みこむかのようにしばらく無言で抱き合った。



カミュのいない休日。
サヤはぶらぶらと海岸の方へと歩いて行った。
サヤがカミュにねだってもなかなか一緒に来てくれなかった海岸。
砂浜に降り立つと、ヒールがずぶりと砂にめりこんだが、それを支えてくれるカミュが今は隣にいない。
それを寂しく思いながら、サヤはよろよろと波打ち際の方に歩いていった。そこに、座るのに丁度よい高さの流木が転がっていたので、サヤはそこに腰を下ろした。
バッグからタバコの箱を取り出し、火を点ける。
深く煙を吸い込むと、ゆっくりと吐き出した。

沖の方ではウィンドサーファー達が群れをなしている。
そのずっと手前でサーファーの一団が高い波が来るのをパドリングしながら待っている。
5月中旬。日差しは日々強さを増し、空気は乾燥している。
海からの風は程よい湿気を含んでいて、サヤは後ろでシニヨンを巻いていた見事な紅い髪を解き、風に靡かせた。
緩やかにウェーブして、日差しに艶々と輝く。
地肌を吹き抜ける風の心地よさに、サヤはうっとりと目を細めた。

今ここにカミュがいれば…。
そう思うと心の奥がきりきりと痛んで。
サヤは一層タバコを深く吸い込むと溜め息をつくように上空に向かって煙を吐き出した。

「さみしいな…」

すると背後から軽い調子の声がかかった。

「へ〜。お姉さん、さみしいの?一人?」

振り返るとにやついた男が3人、サーフボードを抱えてサヤの後ろに立っている。
振り返ったサヤを見て、その美しさにはっと息を飲み、お互い目配せすると、またにやつきながらサヤの前に回り、しゃがみこむ。

「そんなにさみしいんなら、俺達と一緒に遊ぼーよ」
「そうそう。こんなに綺麗な彼女を放って置く男なんて別れちゃいなよ」
「俺達が遊んであげるからさあ」

サヤの容姿は人目を引く。
こんな連中をあしらうのは慣れっこだったが、今日はどうもそんな気になれなかった。
カミュがそばにいないことに思ったよりも精神的にダメージを受けているようだ。
サヤは苛々とタバコの火を消すと、次のタバコに火をつけ、つんと横を向いて煙を吐き出した。

「つれないねえ。でも怒った顔も綺麗だね」
「俺達とパーッと遊んだら嫌な事も忘れるよ」
「あっちにいいカフェがあるからさ、行こーぜ」

男がサヤの細い腕をつかみ、立ち上がらせようとする。

「結構よ。放っておいて頂戴」

サヤは振りほどこうとしたが、男と女の力の差は歴然。
かえってバランスを崩して、男の胸の中に倒れこんでしまった。
男はサヤの背中に腕を回し、ゆるゆると撫でる。
汚らわしい!!カミュにしか触れることを許したくないのに!!
サヤはもがき、男を突き飛ばそうとした。
が、それも敵わない。

「お姉さん、可愛いねえ。必死になっちゃってさあ」

もう一人の男が、サヤの髪を一房すくい上げ、指に絡ませ弄ぶ。
ああ、放っておいて欲しいのに!!
暑いはずなのに、ざわりと腕に鳥肌が立った。

男達のあしらい方を間違えてしまった。
思ったより自分は苛々していたようだ。
しかし、後悔してももう遅い。
次はどうすればいいのか思案していると、男達の背後から錆を含んだ声が降ってきた。

「俺の連れに何をしている」

低く朗々と響く声は、静かなのに威圧感があって、男達は一瞬身体を強張らせた。
その隙に、サヤは男を突き飛ばした。
そして、見上げると、豪奢な金髪を海風に靡かせた、長身の、凄絶なほど美しい顔立ちをした男が3人の男達の後ろに立ちはだかっていた。
この人は確か…。

「カノン!!」

サヤの顔が喜びに輝く。
カミュの同僚、カノン。
この人ならこの窮地を救ってくれる。
サヤと目が合うと、カノンはフッときつい視線を緩め、頷いた。
その涼しげな目元に、サヤは思わず魅せられ言葉を失う。

うちの弟も綺麗だと思うけど、この人はもっと綺麗だわ。
思わずまじまじとカノンを見つめてしまう。
カノンは、口元を綻ばせ、サヤに手を差し伸べた。
サヤがその手を取ると、ぐいと手が引かれ、サヤは立ち上がり、カノンの腕の中にすっぽりとおさまった。
先ほどの男達から感じた不快感は全くない。
どこかカミュの腕の中のような安堵感を覚えて、サヤはほっとしてカノンの胸に身体を預けた。

男達が目配せをして、小声でひそひそと会話を交わす。
(どうする?あいつ強そうだぜ?)
(でも、あっちは一人だ。こっちは3人だぜ)
(彼女の前で無様な姿見せてやろうぜ)

一瞬虚を突かれていた男達は、気を取り直して下卑た笑みを貼り付け、サヤとカノンを取り囲んだ。

「あ?こんな綺麗な彼女を一人にして、自分一人で遊んでるようなやつ、連れでも何でもねーよ」
「そうそう。お姉さんは俺達と遊びたいってさ」
「お前はすっこんでろ」

男達は、カノンに襲い掛かる。
カノンは、サヤを胸に抱いたまま、男の拳を軽々と受け止めると、それをぐいと引き、バランスを崩した男の後頭部に軽く手刀を落とした。
それだけで、男は気絶し、どさりと倒れこんだ。

「こ、この野郎!!」

2人目の男が逆上してカノンに殴りかかったが、また軽々と沈められてしまう。
最後の一人はじりじりと後ずさりをした。

「おい。仲間を見捨てて一人で逃げるのか?お前は見逃してやるから、こいつらを連れて行け。放って置いたら熱中症になるぞ。サヤ、大丈夫か?」
「カノンが来てくれて助かったわ…。ダメね、今日の私、どうかしている…」

緊張で強張り、唇が細かく震えている。
そんなサヤを励ますようにぎゅっと抱き締めると、カノンはサヤのバッグを拾い、サヤを抱き上げ、男達を置いて足早に歩き去った。

「またヒールのある靴で来たんだな…。歩きにくいだろうに」

呆れたようにカノンが溜め息をつく。
サヤは降ろしてもらおうと身じろぎしたが、カノンは気にした様子もなく歩き続ける。

「一人で大丈夫よ。降ろして」
「ダメだ。危なっかしい。しばらく我慢しろ」

すぐ眼前にカノンの整った顔がある。
エーゲ海のような蒼い瞳を、ブロンドの長い睫毛が彩っている。
鼻筋はすっきりと通り、きりりとした眉は意思の強さを示している。
こんなに美しい人は見たことがない。
サヤは頬を染め、俯いた。
あんまり見つめていたら変に思われてしまうかも知れない。
それをどう解釈したか、カノンはサヤを励ますようにぎゅっと抱き締めた。

「怖かっただろう。ああいうやつがいるから、あまり海に一人で来ない方がいい」
「でもカミュは海に来たがらないから…」

それは、愛する姉をカノンやアイザックに会わせたくないからだと薄々勘付いているカノンは苦笑いをもらした。

「彼氏に連れてきてもらえばいいだろう?」
「そんな人いないもの」

カノンは驚いたように片眉を吊り上げた。

「ほう…。意外だな。これだけ美しければ男ぐらいいそうなものだがな」
「私にはカミュがいればそれでいいの」

この姉にしてあの弟あり、か。
カノンから苦笑いがまた一つ零れる。

「私もあと何年かしたら結婚するかも知れない。でもその前に、カミュと一緒に過ごしたいの。男なんかよりずっと大事なのよ…」

きっぱりと言い切るサヤは美しくて。カノンは感心したように見蕩れた。

「カミュは幸せだな。こんな素敵な女性を姉に持って。俺の愚兄とは大違いだ」
「あなた、兄弟がいるの?」
「ああ。真面目な堅物でうんざりする。サヤ、降ろすぞ」
「ええ、ありがとう」

サヤをビニールシートの上に座らせると、カノンも隣に腰を下ろした。
そして、バッグをサヤに手渡す。
サヤは、忙しなくバッグを開けると、タバコを取り出した。

「意外だな…。とても吸うようには見えないが…」
「吸わないのよ、普段は。カミュがいなくて、さみしくて…ダメね…」

サヤの表情が沈んでいく。
そう言えば、カミュは任務に出ているのだった。もう、二週間経つか…。

「俺も一本もらおうか」
「どうぞ」

しばらく2人とも無言でタバコをふかした。
カノンは隣に座るサヤをそっと盗み見る。
艶やかな紅い髪を海風に靡かせ、遠くを見つめながら、形のよい唇から細く煙を吐き出している。
長く濃い睫毛に縁取られたレンガ色の瞳は一体何を写しているのだろうか。
遠い異国にいる弟…、だろうな。
カミュは幸せ者だと思う。こんなに魅力的な女性に想われているのだから。
それが例え姉でも。
もっとサヤのことを知りたいと思う。

「海が好きなのか?」
「ええ。波の砕ける音を聞いていると心が癒されるの。そう思わない?」
「そうだな。俺も海が好きだ」
「でもね、カミュは誘っても連れてきてくれないのよ。だから一人で来たんだけど、ああいう嫌な目にも遭うのよね…」

サヤはほうっと溜め息をついた。
その憂う横顔も美しくて、カノンは思わず魅せられた。
こんな姉がいれば、自分だってカミュのように必死に守りたくなるだろう。
だが、悲しいかな、身内と言えば、あの厳しい堅物の兄だけだ。

「海に来たいなら、俺を呼ぶといい。多分、アイザックも来るからあなたを一人にすることはない」

サヤの顔がぱあっと明るくなった。

「本当?嬉しいわ。カミュの話も聞けるものね。カミュにお友達と会わせてって頼んでも絶対に会わせてくれないのよ。あなたの連絡先教えて下さるかしら?」

サヤはバッグの中から赤い手帳とペンを取り出した。
カノンは受け取り、さらさらと連絡先を書いた。
力強い、しかし整った字に、育ちのよさと意志の強さが現れている。
カノンの内面の一端を知ることが出来て、サヤの心は躍った。
やっぱり流石カミュの同僚。素敵な人だわ!
サヤはページをめくり、自分の連絡先を書くと、破りとりカノンに手渡した。

「私の連絡先も教えておくわ。今日はあなたに会えてよかった。また会いたいと思っていたのよ」
「ほう…。俺に?それはまた何故だ?」

サヤは恥ずかしそうに俯いた。
人間の外見なんて、所詮外面で、やはり中身が大事なのだと思う。
それなのに、この男の外見はサヤを惹きつけて止まなかった。
ちらりと見たことがあるだけなのに、また会いたいと思った。

豪奢な金髪。
鍛え上げられた長身の身体。
天上の彫刻のような整った顔立ち。
どこまでも澄んだ蒼い瞳。
ふっと表情をやらわげた時の目元の優しさ。

まるで十代の少女のような幼い理由で会いたかったことなどとても言えず、サヤは言葉を探して逡巡した。

以前アイザックと共に会ったときは、クールで落ち着いた女性だと思っていたが、こういう風に恥らう面もあるのだな。
困ったように長い睫毛を伏せるサヤは、少女のようで、美しさもさることながら、可愛らしかった。
カノンは自分の容姿が女性に与える影響を熟知している。
他の女性がカノンを目の前にしてこのように恥らっても何とも思わないが、サヤがこのように恥らうのはどこか嬉しかった。

「俺はよくここでアイザックと波乗りをしている。ボディーガードなら聖域にいくらでもいるから、ここに来る前に連絡を入れてくれればいい。俺もあなたに会えてよかったと思う」
「本当?迷惑じゃない?」

ぱっと顔を上げたサヤの瞳がきらきらと輝く。
我らの女神も美しいが、サヤも劣らないほど美しい。
あのカミュが必死になって守りたくなる気持ちがよくわかる。

「ああ、迷惑なものか。そうだ、カミュがいつ頃戻れそうか聞いてやろう。少し待ってくれないか」

カノンは目を閉じて集中して、聖域にいるサガに呼びかけた。

(サガ…ジェミニのサガよ…)
(何だ、カノン。珍しいな。)
(カミュはいつ頃戻って来る?)
(カミュか?先ほど連絡が入った。明日には戻るそうだ)
(そうか…。邪魔したな)
(お前も遅くならないうちに帰って来るんだぞ)
(…サガ、お前、俺をいったいいくつだと思っている。放って置いてくれ。じゃあな)

「…カノン?」

瞑想状態に入ってしまったカノンを心配そうにサヤが見つめている。
カノンはゆっくりと目を開けると、サヤに向かって微笑みかけた。
何て美しい笑顔なんだろう!!サヤの胸がドキリと高鳴る。

「サヤ、いい知らせだ。カミュは明日戻って来る。遅くとも明後日には会えるだろう」
「本当?カミュは無事なのね?」
「ああ。こんなに魅力的な姉を一人になど出来るわけがないだろう。あの男はどんなことがあっても必ず帰ってくる。あなたの元へ」
「よかった…、カミュが無事で…」

サヤの顔に安堵の笑顔が戻る。
ふわりと微笑んだサヤは、保護者そのもので、どこか女神を彷彿とさせるものだった。
燃えるような艶やかな紅い髪を海風に靡かせて、微笑むその姿に、カノンの胸は熱くなった。
美しい人だ。
この女性に惜しげもなく愛情を注がれるカミュに軽い嫉妬すら覚える。

サヤはタバコの火を消すと、バッグからタバコの箱を取り出し、カノンに差し出した。

「もういらないわ。カミュが戻って来るんだもの。あなたにあげる」

そして、サヤは立ち上がった。

「こうしてはいられないわ。カミュのためにおいしいもの作らなくちゃ」
「おいおい。気が早いんじゃないか?」
「ふふっ、いいの。だって、明日なんてもうすぐよ?私、帰るわ。また会いましょう」
「そうだな。連絡してくれたらいつでも迎えに行く」
「ありがとう。じゃあ、オー・ルヴォワール」

サヤの後姿をしばらく見送って、カノンはタバコの箱に目を落とした。
自分が吸うのとは違う銘柄のタバコ。
今日の記念にとっておくのもいいだろう。
弟のいないさみしさを埋めていたもの。
今度は自分がそのさみしさを埋めてやれればと思う。
サヤの美しく整った横顔を思い浮かべる。
カノンはもう一本タバコを取り出し、火をつけ、深く吸い込んだ。



「あれ?お前タバコ変えた?」
カノンの部屋に遊びに来ていたデスマスクが、キャビネットの上に置かれていたタバコに気付いて手に取った。
「いや。それは、まあ、思い出だな」
フッと笑ってカノンがデスマスクの手からタバコの箱を取り上げる。
「思い出ねえ。どんな女だ?聞かせろや」
「さあな…」
遠い目をして、幸せそうな微笑を浮かべるカノンを見て、相当いい女だったんだろうと、デスマスクは見当をつけた。

このカノンにこんな表情をさせる女はどんな女なのだろう。
最近カミュもこのような柔らかい表情を浮かべている。
聖域にいっせいに春が来たようだ。
まあ、俺には関係ないけどな。
デスマスクはポケットからタバコを取り出し、火をつけた。


2006.7.5   haruka


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