誕生日


「カミュ。もうすぐ誕生日ね」
香ばしい珈琲の入った、お揃いのマグカップをことりとカミュの眼の前に置きながら、姉は濃く長い睫毛に縁取られた目を、すっと深い笑みの形に細めて言った。
「今年こそお祝いしてあげられるわね。嬉しいわ。何年ぶりかしら」
指折り数えながら満面の微笑みを浮かべる姉。否定されるなど露ほども思っていないだろう。
また姉のささやかな望みを裏切ると思うと、カミュの心は重く沈んでゆく。
出来れば自分の誕生日には、いつも以上に姉の笑顔を独占していたい。
その日には、いつもよりも眩しい姉の笑顔が見られそうだから。
両手で薫り高い湯気の立つマグカップを包み込み、視線を落として黙りこくるカミュ。
その様子に気付き、怪訝そうにサヤはカミュの前髪を細い指先でそっとかき上げた。
ひんやりとした指先の感覚がくすぐったくて、心地よくて、カミュはそっと目を閉じた。
「どうしたの?元気ないのね」
「サヤ・・・。すまない」
何が?と言うようにサヤは首を少し傾げてカミュを促す。
「その日は同僚達が祝ってくれることになっているのだ。今年は私の弟子達も祝いに来てくれる。私もサヤと過ごしたかったのだが・・・すまない」
ぴたりとサヤの動きが止まる。すっと明るい笑みが影を潜め、困ったような寂しいような顔つきになる。
ああ、これが見たくなかったのだ。姉を見つめ返す自分の表情も、同じくらい切ない悲しみに囚われている事を自覚しながら、そっと溜息をつく。
サヤもカミュと同じように両手でマグカップをおし包みながら、視線をテーブルの上に落とす。
「パーティーは7日の夜なの?」
「ああ、そうだ。そして午後から私の弟子達が訪ねてくる事になっている」
「そう・・・」
そして、はっと視線を上げると、カミュを真っ直ぐに見詰めた。
「ねえ、カミュ。6日は空いている?」
「残念だが仕事だ」
「仕事の後は?」
「7日が休暇なので遅くまでかかりそうなのだ」
「夜中までに終わらせられないかしら?」
姉の目は真剣だ。こういう表情も綺麗だな、と思う。
「流石に夜中までには終わるな。サヤ、どうした?いやに真剣だな」
姉の顔が輝きを取り戻していく。ぱあっと明るくなっていく表情に、不意にどきりとさせられてしまう。
「じゃあ、6日の夜、うちに泊まらない?」

一瞬何を言われたのかわからなかった。
「え・・・?」
思わず間の抜けた声を上げてしまう。姉はそれには構わずに笑みを深くした。
「カミュの誕生日当日が忙しいなら、日付が変わる瞬間を一緒に過ごせればいいわ。そうすればカミュに一番にお祝いも言えるし」
すでに決定事項のように喜ぶ姉。姉の部屋に泊まったことはまだない。
黄金聖闘士は自宮をみだりに空けないものだと言って、今までかたくなに断ってきた。
でもそれは、本当は気恥ずかしいから。
聖闘士になるために離れ離れになって、姉と過ごすはずだった長い期間が欠落していて、サヤは自分の姉と言うよりお隣の綺麗なお姉さんと言った方がしっくりくるくらいだ。
この適度に広いけれども一つしかない姉の部屋に泊まって、一挙一動を眺めていたら心がざわめく。
ましてや完全に無防備になる、夜の姿は自分は見てはいけないような気がする。
「特別な日くらい、宮を空けてもいいでしょう?」
普段は決して無理強いをしない姉の声に、ねだるような響きが混ざる。
真っ直ぐに見つめてくる姉の目は、縋るようで、カミュの断ろうと言う気持ちを挫かせる。
いや、断る理由などそもそもない。ただ自分がわけもなく疚しい気持ちになっているだけ。
「ダメ?」
サヤの表情がまた翳り始める。
もう姉を泣かせない。哀しませない。
「わかった。泊まることにしよう」
カミュはついに折れた。


2月6日、夜。
初めて姉の部屋に泊まりに行くカミュは、柄にもなくドキドキしていた。クールを信条にしているのに。
自分の胸に何度も落ち着けと言い聞かせるが、なかなか言う事を聞いてくれない。
姉の寝顔を最後に見たのは、あの柔らかいけれどシャープな線をした頬が、まだまあるくふっくらとしていた子供の頃だ。あの頃とは帯びている香りも違う。今は大人の女性。しかもとびきり魅力的な。
姉弟にも関わらず、ときめいてしまうこの気持ちは何なのだろう。
アイオリアがアイオロスを敬愛し、誇りに思う気持ちときっと同じだろうと自分を納得させる。

考えながら歩いていたら、心の準備も整わないまま姉の部屋へと着いた。
チャイムを鳴らすと、パタパタと足音が近付いてくる。アパートのドアが開き、ふわりと微笑んだ姉がギュッと抱きついてきた。
いつも眩しい笑顔が一層輝いて見えた。胸がきゅっと締め付けられる。
事実、サヤは今日と言う日を楽しみにして、かなりはしゃいでいた。いつもは余裕の笑みを柔らかく浮かべているが、今はどんな冷たい心をも蕩かすような、満開の笑み。
いつまで経ってもカミュを抱き締めて離そうとしないサヤに、ときめきを悟られないようにフッと苦笑いすると、カミュは自分と同じ色をしたサヤの見事な紅い髪をくしゃりと撫でた。
「サヤ。再会を喜ぶのはいいが、いい加減部屋に入れてくれないか」
外の冷気で染まったのではない赤い頬を隠すように、殊更冷淡に言う。
「意地悪言わないで。カミュの誕生日を一緒に過ごすの、何年振りだと思っているの?」
腕の力を緩めてそっと身体を離し、サヤは拗ねたようにカミュを見上げる。
自分と同じ色をした瞳。
けれど濃く長い睫毛に縁取られたそれは、妙齢の女性特有の惹き込まれそうな色気があって。
カミュはどきりとしてうっすらと頬を染める。不意に早まった鼓動を悟られないようにサヤを部屋に入るように促す。

部屋の中は食欲をそそるような香りが充満していた。若いカミュの身体は素直に反応し、目を輝かせた。
そんなカミュの様子を見て、至極幸せそうにサヤは微笑む。
「懐かしい?フランスの家庭料理よ。今日はカミュの誕生祝いだから頑張ったの」
忙しい姉の手料理は、いつも美味しいけれど簡単なものが多かった。
今日はテーブルいっぱいに色とりどりの料理の皿が並べられている。
結構時間をかけて準備をしたのだろう。綺麗にソースが飾り付けられ、手の込んだ様子から姉の愛情が窺い知れ、カミュの胸を幸せで満たす。
「カミュ、お仕事お疲れ様。お誕生日おめでとうは夜中までお預けね。Bon apetite!」
料理に合わせて選んだワインをカミュのグラスに注ぐ。
行儀良く、しかし次々に料理を口に運ぶカミュの様子を、サヤは微笑みながら見つめていた。
「食べないのか?」
サヤは低く声を立てて笑いながら首を横に振る。
「カミュの食べっぷりを見ていたら嬉しくて。手を動かすのを忘れていただけ。こんなに喜んでくれるなら、いつももっと手をかけるんだったわ」
カミュも微笑みながら首を横に振る。
「いつも作ってくれるのも美味しいから気にするな。それに、今日は特別な日なのだと感じられる。誕生日とはいいものだな」
もう一度鈴を震わせるように低く笑って、サヤも料理に手をつけはじめた。


食事が終わると、サヤは先にカミュにシャワーを使わせてから自分も済ませた。
そして、借りてきたビデオと見ようと言い出した。
わりと最近のフランス映画。
もう夜も更けてきているので寝床の準備をする。
姉の部屋はさほど広くない。
だから、部屋を広々と使うためにソファベッドを使っている。
いつもは2人で座って寛ぐソファが今はベッドの形に引き伸ばされている。
姉はベッドの上にしどけなく座り、リモコンを操作する。
一体どこに座ればいいんだろうとカミュは逡巡する。
サヤは手招きをして自分の隣りをぽんぽんと叩いた。
「カミュ、何をしているの?こちらにいらっしゃい」
ソファの形の時は、抵抗もなく隣りに座ることが出来るのに、それがベッドの形になるとどうしてこんなにドキドキするのだろうか。サヤはアルコールでほんのり頬を上気させ、少し眠いのかとろんとした可愛らしい表情になっている。そんなサヤは自分の姉にも関わらず、抱き締めてしまいたい衝動に駆られる。
サヤはそんなカミュの葛藤を知らず、「早く」と促す。
自分には決して何の疚しい気持ちもないのだと言い聞かせて、カミュは姉の隣りに腰を下ろした。

部屋の照明は間接照明だけで、オレンジ色の光がサヤの横顔を柔らかく照らし出している。
それが綺麗で、映画を観つつもチラッ、チラッと姉の方を盗み見る。
長い指先でワイングラスを弄びながら、少しずつワインを空けていく。
すっきりと通った鼻筋。くるんと上向きにカールした長い睫毛。細くてこしのある艶やかな紅い髪。陶器の様な白い肌。その肌から自分と同じボディーシャンプーの香りがふわりと立ち上っている。
ベッドの広さはセミダブルより少し広いくらい。
時々肩や脚が少し触れ合う。その度に、カミュの胸はときめいた。

サヤは少し酔いが回ったのか、頭をカミュの肩にもたれかけさせた。
ドキドキしながらも心地よい重さと温もりに、カミュの心は幸せで満たされていく。
こういう場合は肩を抱くべきなのだろうか。姉に対してそういう事をするのはおかしいだろうか。
カミュは逡巡する。考えるだけで少し鼓動が早まる。
必要以上に緊張して悩んでいると、不意に姉がカミュの名前を呼んだ。
心のうちを見透かされたような気分になって、少し上ずった声でカミュは答えた。
「なんだ、サヤ?」
サヤは身体を離すとサイドテーブルから綺麗にラッピングされた小さな箱を取り出し、にっこりと笑い、カミュの方に差し出した。
「カミュ、お誕生日おめでとう。一番に言えて嬉しいわ」
「あ・・・」
姉の細い手首に巻かれた、華奢な腕時計の針は夜中の12時ちょうどを指している。
「ありがとう、サヤ」
ラッピングを開けると中から出てきたのは、小さなルビーのついたピアスだった。
「ふふ。カミュの耳にピアスの穴があるのに気付いたの。カミュの髪の色に合うと思って」
「一つ多いな。私は片耳しか開けていないのだ」
カミュは両耳を露にしてサヤに見せる。
「あら、本当ね・・。どうしましょう・・。じゃあスペアにでもして」
「何だかもったいないな・・・そうだ」
小さなピアスを一つ摘み上げると、それをサヤの耳に着け、もう一つは自分の耳に着けた。
「もう一つはサヤが着けるといい。サヤの髪にとてもよく似合う」
「カミュ、いいの?嬉しいわ。おそろいね。いつも一緒にいるみたいで嬉しい」
おそろいという言葉が何だかくすぐったい。
カミュも、耳につけたピアスから姉へと繋がっている錯覚を覚え、嬉しくなる。
サヤはギュッとカミュに抱きつくと、頬にキスを落とした。
カミュも抱き締め返す。姉の温もりがやんわりとカミュの心と身体に染みていく。
今までの逡巡はすうっと消え去り、穏やかな幸福感に胸が満たされた。

「こうしてカミュと一緒に寝るの、何年振りかしら」
「15年ぶりくらいか」
「その次の日に、カミュはいなくなったのよね」
唇を噛み締め、涙を堪えるようにサヤは少し震えた。
宥めるようにカミュはギュッと抱き締めると、頬にキスをする。
「私はこうして今サヤと一緒にいる。何も心配するな」
少しずつサヤの震えが止まっていく。安心したように頬をカミュの肩に預ける。
「カミュ、本当に大きくなったわね。もう腕の中にすっぽりと入らない」
少し寂しそうにサヤが呟く。
ゆっくりと髪を梳き、背中を撫でるとカミュは囁いた。
「私は大きくなれて嬉しい。これからはサヤを守れる」
腕の中で、姉は至極嬉しそうに頷いた。

「あ、そうそう。カミュにはまだプレゼントがあるのよ」
大きな紙袋をカミュの方へ押しやる。中を見ると、トータルコーディネートされた服が一式入っていた。
「弟のコーディネートをするのが夢だったのよ。明日の朝はこれを着て一緒にカフェに行きましょう。ふふ。格好いい弟を見せびらかすの。楽しみだわ。私も綺麗にしないと」
忍び笑いを漏らしている姉はそのままでも綺麗だと思う。
家にいるときは伸び伸びとしていて、化粧をしなくても内側から美しさが溢れ出ている。
でも、外出するために綺麗に繕う姉も好きだ。ましてやそれがカミュのためならば尚更。
その一方で、外出するということは他人の目にも触れるということで。
出来るなら、綺麗な姉を他人の目に触れさせたくない。
綺麗な姉を見るのは自分だけでいい。
そんな身勝手な思いを抱く。

アルコールが効いているのか。
姉はカミュにもたれかかり、うとうととし始めた。
そのまま肩を抱いて、姉の身体をベッドに横たえる。
昔、嵐の夜にこうして2人で身を寄せ合って眠りに落ちたことを思い出す。
柔らかくて温かい姉の身体。ひどく愛しくなって、カミュは抱き締める。
まだ少しドキドキするが、愛しさの方が勝って、姉の体温をこんなに近くに感じられる事にカミュは幸せだった。
すうすうという規則正しい寝息が聞こえ始めて、カミュもうとうととし始める。
明日の朝、目覚めたら隣りに愛する姉がいる。
そう思うと、幸せに口元が綻ぶのだった。
姉はもう眠っているけれど。いつものようにおやすみのキスを唇に軽く落とす。
サヤは軽く身じろぎして、寝言のようにおやすみと言った。
カミュもおやすみと耳元で囁くと、すうっと眠りに落ちて行った


haruka   2005.2.5


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