カフェにて


仕事人間だって、たまには自分の世界から外に出て、のんびりと過ごしたい時だってある。
立て続けの任務と、後輩の指導に疲れを感じてシュラはアテネ市街にやってきた。
しかし、取り立てて趣味もないので手持ち無沙汰に本を一冊購入し、オープンカフェにやってきた。
……まずい、混んでいる。
不覚にも気付いたのは注文した後だった。合席は避けられそうにもない。
ギリシャ人は苦手だ。陽気で、何と言うか詮索好きとまでは行かないが、何か話さなければいけないような気になる。面倒なのはごめんだ。
やれやれとばかりに店内に視線を彷徨わせると、一際落ち着いた雰囲気の若い女性が座っている席に目が止まった。服装からしてどうやら外国人らしい。
見事な紅い髪をゆったりと結い上げ、ゆるやかなカーブを描いて、幾筋か毛束が華奢な頬を縁取っている。
トレンチコートの襟を立てて、脚を組んで通りに面したテーブルにつき、本を読んでいる。
シュラは自分が彼女に目を留めたことが偶然でないことを知った。
他の客や通りをゆく男たちも彼女に目を向け、見蕩れていた。
店内のほかの一人客を見る。席に着いたとたんに話しかけられそうで、シュラは気が重くなった。
かといって、シュラにゆっくり悩む時間は残されていない。後ろに並ぶ客がいらいらとシュラが立ち去るのを待っている。
聞こえないように溜息をついて、シュラは意を決して、紅い髪の女性の方へと近付いて行った。

「すまない。合席してもいいだろうか?」
ふと本から目を上げると、彼女は小さく微笑み、どうぞと柔らかい声で答えた。
シュラはほっとして、席に着き熱い珈琲をすすってホッと一息つく。
彼女はすぐに自分の世界に戻っていった。
これだけ視線を集めているのに、全く意に介さないとは大したものだとシュラは感心する。
そして、そんな彼女と一緒の席についている自分も大胆なことをしでかしたものだと今更ながらに思うが、もう遅い。
聞こえないようにまた溜息をついて、買ってきたばかりの本に目を落とす。

本を読みながらも眼の前の彼女が気になる。
おかしい。何故これほど気になるのだろうか。そこでシュラははたと気付いた。
どこかで会ったような気がするのだ。既視感というか…。
記憶の隅に引っかかっていてなかなかうまく出てこない。でもどこかで見たことがある。
そんな感じだ。だから、本になかなか集中できない。
不躾だと思いつつも、チラッ、チラッと彼女の方を見てしまう。
ページを静かに繰っていく細い指先には、綺麗に伸ばされて磨き上げられた爪が輝いていた。そんなディテールに密やかにときめいてしまう。
落ち着け。失礼ではないか。これでは好奇の目で見る道行く男たちと何ら変わりがない。
そこで、シュラは意を決して訊ねた。

「以前にどこかで会った事がないか?」
彼女は驚いたように顔を上げ、そしてプッと吹き出した。
言ってしまってから気付いた。今のはまるで陳腐な口説き文句だ。
シュラは居心地悪そうに薄っすらと頬を染め、いや、何でもない、今のは忘れてくれと慌てて付け足した。
彼女は笑いながら首を横に振っている。低い鈴を震わすような笑い声はひどく魅力的で、シュラは思わずどきりとした。
「悪いわね。そういうのは他をあたって下さるかしら?」
「いや、そうじゃないんだ。俺の知り合いに似ているのかもしれない」
思わず言ってしまった言葉に、シュラはもしかしたら本当にそうなのかもしれないと思った。
見事な紅い髪…。紅い髪と言えば隣人のカミュだ。しかし、無愛想で難しい顔をしているカミュと、眼の前の柔らかい微笑みの美女とは結びつかない。

「綺麗な髪だな。燃えるような力強い色なのに、透き通るような光沢がある。思わず見蕩れてしまった」
サヤは嬉しくなる。髪と瞳の色を褒められるのはいつでも誇らしかった。
最愛の弟カミュと同じ色。同時に弟も褒められたような気分になる。
フランスではやはりブロンドの方が重宝されたがサヤは決して髪を染めたりしなかった。
赤毛を馬鹿にされることもあったけれど、カミュと同じ髪の色を変えることはしたくなかった。
「俺の隣人も同じような紅い髪でな。だから似ていると思ったのかもしれない。だから以前に会った事があるのかと勘違いしたのだろう。でも良く見るとそこまで似ているわけでもない。悪かったな」
「まあ、そうなの?ごめんなさい。また性質の良くないナンパかと思ったわ」
「俺がナンパ?冗談じゃない。そこまで自惚れていない」
「あら、そう?あまり素敵な人が合席を申し出てきたからてっきりそうかと思ったわ。ごめんなさいね」
そして、また低く笑った。
この落ち着いた雰囲気に惹かれて、思わず声をかけてしまったのだ。
そう考えるとナンパと大差ないよなあ、とシュラは己を恥じた。
「ああ、そんなに気を悪くしないで」
そう言ってサヤは店内を見回した。気付かないうちに随分と混雑している。
「もうすぐ空きますから。人を待っているの」
そうか、連れがいるのか。しかし、誤解をしないだろうか?そう言うと、また笑われた。
よく笑う人だ。
「大丈夫。弟だから。それに彼氏だとしてもそんなに心の狭い人とは付き合わないわ」
なるほど。筋が通っている。
あれほど合席の者と話すのを嫌がっていたくせに、今はそれを楽しんでいる自分がいる。
まあ、それもたまには悪くないだろう。やっぱり町に降りて来てよかったと思うのだった。


「何故シュラがサヤと一緒にいるのだ……」
1ブロック離れたところでカミュは頭を抱えていた。
カミュは件のカフェで姉と待ち合わせをしていた。
そこへ向かう途中、同僚の小宇宙を感じ、様子を伺っていたのだ。
シュラはあろうことか姉のいたテーブルについた。
カミュは自分の同僚に姉の事を隠している。あの魅力的な姉を同僚達が取り合いするなど許せない。
既にカノンとアイザックに知られてしまったが、カノンは他の者に話す気はさらさらないらしく、ホッとしていた。
シュラも生真面目でその点、心配はなさそうなのだが、シュラの宮にしょっちゅう出入りしているのが、あのデスマスクだ。カミュが最も警戒している相手だ。

シュラは相変わらず愉しそうにサヤと話をしている。その内容が気になって仕方がない。
シュラに小宇宙で呼びかけて聞いてしまえば済む事だが、そうすればシュラに姉の事を話さなくてはならない。
カミュはジレンマに陥った。
ああサヤ。その笑顔を他の男に振り撒かないでくれ。
カミュはこころをかき乱される。姉がそうして微笑む相手は自分だけでいい。
それはひどく傲慢で自分勝手な想いだけれどもそのことにカミュは気付かない。
幼かった頃のカミュにとって少し年の離れた優しい姉は、まさしく女神の様な存在だったのだから。
いつまでも自分だけの姉でいて欲しい。

カミュを待ってサヤはカフェにとどまる。
シュラはサヤに付き合って席を立たない。
カミュはシュラが去るのを待っている。

カミュは深い溜息をついた。私はどうすればいいんだ。
何故私だけこのように悩まなければならないのか。
その答えは女神も知らない。

2004.11.30  haruka


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