姉の背中


今日は姉の休日だ。カミュはいつものようにサヤの部屋を訪れた。
もう馴染みになったアパートのドア。
ここは姉の仮住まいに過ぎないのに、帰ってきたという気持ちになる。
愛する人の在る所が「我が家」なのかもしれない。

チャイムを鳴らしてから、姉がドアを開けるまでの時間がカミュは好きだった。
部屋の奥からパタパタと物音がし、姉の気配が近付いてくる。
そして、ドアを開けると姉は眩しそうにカミュを見て微笑むのだ。
そんな姉の方がよっぽど眩しいとカミュは思う。
サヤが眩しそうに自分を見るのは、見蕩れているからだと言うことを、カミュは知らない。

「いらっしゃい、カミュ。私はちょっと今日中に済ませなきゃいけない仕事があるんだけど、ゆっくりして行ってね」
本来なら邪魔しないで帰るべきだと考えるはずだが、サヤはカミュがそばにいる方が喜ぶし、カミュも姉の気配が感じられるだけで十分幸せなので、アパートに上がりこんだ。
姉は嬉しそうにカミュを迎え入れ、
「そうだ、珈琲淹れてくれる?」
と言い置いて、先にリビングへと入って行った。
カミュはキッチンへ向かう。何度かお茶を淹れたことがあるので勝手はわかる。
ガラスのビンにきちんと分類されていて、可愛らしい字で書いたラベルが貼ってあるのが姉らしくて、カミュは口元を綻ばせた。

珈琲ミルで豆を挽くと、部屋いっぱいに香ばしい珈琲の香りが広がる。
これが好きで、姉は必ず飲む直前に豆を挽くのだ。
リビングから姉の鼻歌が聞こえてくる。機嫌がいいときにする姉の癖だ。
自分が挽いた珈琲の香りが与えた効果かもしれないと思うと、カミュは嬉しくなる。

珈琲カップを2つ持ってリビングへ入ると、姉はダイニングテーブルいっぱいに広がった資料と格闘していた。
カミュに気付くと顔を上げ、
「ああ、ありがとう」
と言って、慌ただしく片付けようとする。
「サヤはそのまま仕事を続けるといい」
カミュは、ことりとカップをテーブルの空いているところに置き、自分が座るスペース分だけ、資料を重ねて脇に寄せようとした。
ふと、資料に書かれた線形文字が目に入る。
神話時代のギリシャ文字だ。いまだ解読されていないという・・・表向きは。
姉は、現段階で判読可能な部分の翻訳作業をしている。
黄金聖闘士であるカミュは、幼い頃より聖域で英才教育を受けたので、ところどころ読むことが出来る。
その道の研究者よりもきっとすらすら読めるだろう。
自分が手伝えば、おそらくあっという間に終わる作業。
しかし、それは許されないことだ。聖域の技術は、聖域内のみの機密。
それに・・・自分がすらすら読んだら、これをライフワークと定めた姉のプライドを傷つけるような気がして言えない。

思えば、姉には隠し事ばかりだ。
聖域の機密はもちろん。
自分が一度死んだことも・・・。
欺いてばかりだ。
そう思うと申し訳なくて。心が苦しくて。近くにいるはずの姉が遠くて。
カミュはサヤを後ろから抱き締めて、その頬に自分の頬を寄せた。
せめて温もりだけでもそばに感じたい。シャンプーがふわりと香って、切ない気持ちでいっぱいになる。

「あら、どうしたの、カミュ?今日は随分甘えてくるのね」
カミュは何と言ってよいかわからない。「すまない」と謝れば、何に対して謝るのか追求されるだろう。
黙ってサヤの首に顔を埋める。
「昔、悲しくなるとカミュはよくこうして、くっついてきたね」
カミュも覚えている。
どうしたの?大丈夫よ、と言って姉はカミュの寄せた頬へよくキスをしてくれたものだった。
4つ年上の姉は、とても頼り甲斐があって。背中に纏わりつくカミュにいつも優しくて。
姉の身体は、幼い自分には抱えきれないほど大きかった。

姉の小さな背中を抱き締める。小さいと言ってもあの頃と比べ物にならないほど大きい。自分がそれ以上に逞しく成長したのだ。こんな事からも自分達を別った無情な時の長さを思い知る。
今回も姉は同じようにしてくれた。
覆いかぶさるように抱き締めるカミュの方を振り返り、以前より大人びた姉の甘い声が
「大丈夫。悲しくない」
と言葉を紡ぐ。そして、柔らかいしっとりとした唇が一瞬だけ頬に触れた。
カミュの心がふわりと甘い幸福感で満たされていく。
離れた唇は、咲き零れる大輪の花の様な笑みへと形を変える。
ああ、この笑顔。自分が姉を愛して止まない理由の一つだ。

「サヤ、愛している」
「私も愛しているわ。カミュは私の大切な、たった一人の弟だもの」

これからもまた、姉を欺き通さなければならない。
でも、それがこの笑顔を守るためならば。きっと自分は冷徹になれるだろうと思うのだった。

2004.11.11   haruka


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