浜辺にて


海に行きたいと、出先で姉が唐突に言い出した。
「だってフランスにいた時、海のそばに住んでいなかったから」
もう11月だし海水浴も出来ないぞと言うと、
「それでもいい。海が見たいの」
というので、カミュは家路に着くことはやめ、海のある方角へと歩き出した。
海に近付くにつれ、オープンカフェやサーフボードを扱う店がちらほらと現れる。
そんなところにも潮の香りを感じる前から海の存在を実感する。

遠くにちらりと海が見えると姉の顔はパッと輝き歩みが速くなった。
波の音が聞こえ出すと姉はうきうきと踊るように時折カミュの方を振り返る。
前方および足元不注意で危なっかしいので、カミュは手をつなぐことにした。
いつも大人びていて姉貴風を吹かせている姉とは思えない。まるで自分より幼くなったようだ。
つないだ手を前後にぶらぶらゆらしながら足を進めていくと、砂浜に降りられる階段があった。
姉は迷わずトントンと先に降りていく。
そして一番下の段に降りた瞬間、ヒールがずぶりと砂地にめりこみ、バランスを崩した。
カミュは慌てて支えた。
パリジェンヌは石畳にもめげず、ハイヒールで颯爽と歩く。
姉もいつもの感覚でヒールのある靴で歩こうとした。
カミュは手を取ってエスコートしようとしたが、どうにも埒が明かない。
「じっとしてろ」
と言うと、カミュはひょいと姉を抱き上げた。

サヤは一瞬何が起きたかわからず目をぱちくりさせたが、自分の身体を宙で支えているのがカミュの腕だと悟ると柔らかく微笑み、カミュの首に腕を回した。
「重くない?」
「いや、全然。これくらいで音を上げたら聖闘士失格だ」
「それもそうね」

すぐ近くに座れそうな流木があるが、何だか腕にすっぽり納まる姉が愛しくて、離れがたくて、もう少し海のそばへ行こうとカミュが言うと、姉は嬉しそうに頷いた。
スキンシップの欠落した長い期間の埋め合わせをするかのように、カミュは姉に触れていたくなる。
サヤを抱き上げたまま、カミュは波打ち際の方へと歩いていった。
すぐそばに姉の体温を感じ、鼻孔をシャンプーの香りが掠める。
なんだかくすぐったいような感覚に、世間の兄弟もこのように愛着を感じるものなのだろうかと考える。

海岸は季節外れということもあり、人気は少なかった。
犬の散歩に来ている人たち。
散歩に来ている熟年老夫婦。
仲のよさそうなカップル。
それぞれが自分達の世界に浸っている。
すれ違った一組のカップルの女性の方が、カミュに抱き上げられたサヤを羨ましそうに眺めた。

姉はそんなことにはちっとも意に介せず、眩しそうに海の方を一心に眺めている。
陽の光を受けた、レンガ色の瞳が透き通るようで、自分の瞳も今同じ色をしているのだろうかと想像する。
日はだいぶ傾いていて、海面をきらきらとオレンジ色がかった光線が滑っている。
その淡いオレンジ色の光の中で、ウェットスーツを着た2人のサーファーのシルエットが浮かび上がっていた。
この寒いのに、随分気合の入ったサーファーだ。
1人はかなり大柄で、豪奢な金髪をしており、豪快なボードさばきに人々の注目を一身に集めていた。
もう1人は小柄だが、危なげのない綺麗な波ののり方をする。

あれは・・・。
2人ともカミュの知っている人物だった。
サーフィンに適した大波を起こしているのは実は彼らの小宇宙だということがわかる。
「あら、ギリシャもサーフィンの名所なの?すごいわ」
何も知らない姉は目を輝かせ、2人のテクニックに見入っている。
もう少し、2人でこうしてのんびり波打ち際を歩いていたかったが、こんなところを彼らに見つかるのも面倒だ。
さあ、もうそろそろ帰ろうと姉を促す。
残念そうな声を漏らす姉に、すまないと心の中で詫びつつ、踵を返したその時、
「カミュ!!!」
と嬉しそうな少年の声があがった。

「アイザック・・・久しぶりだな」
アイザックは水滴をぽたぽたと髪の毛から垂らしたまま、ボードを抱えて走ってきた。
アイザックの左目には無残に抉られた傷跡が残っている。
戦士なら仕方のない事かもしれないが、自分の不在の折の事故が原因なのでいつも心が痛む。そんなカミュを気遣わせないようにいつもアイザックは快活だ。
「え?この子、カミュの知り合い?」
「私の弟子だった」
カミュがフッと寂し気に笑う。
「カミュはいつまでたっても俺の師であることに変わりはありません。それより・・あの、こちらは・・・?」
お邪魔だったでしょうか、と照れくさそうに言うアイザックの目は好奇心に満ちている。
おそらく勘違いをしているだろう。
というより、勘違いをしているのならばお邪魔なのは確信犯で声をかけたのだろう。
しかし、悪い気はしない。むしろ姉のように洗練された女性と付き合っていると勘違いされるのは男冥利に尽きる。
もし、サヤが姉でなかったら・・・フッ、私は何を考えているのだ。
アイザックの問いに対し、姉はどちらとも取れるミステリアスな笑顔を返した。
アイザックの頬がほんのりと染まる。

「妹か、姉か?」
と錆を含んだ美声がアイザックの後ろから響いた。
「そうだ、カノン。私の姉のサヤだ。よくわかったな」
カノンは海水に濡れた長い髪を絞りながら、アイザックに続いてやってきた。
「よく見ればわかる。このように見事な赤い髪はまれだし、クールな目元がどことなく似ている」
似ていると言われたことに、姉は気を良くしニコニコと微笑んでカミュを見上げた。
「カミュ、私達似てるって」
嬉しそうな姉に、にっこりと微笑み返しつつ、カミュの心境は複雑だった。
やはり姉弟に見えるのか・・・。
嬉しさ半分。寂しさ半分。
・・・寂しい?
姉弟というかけがえのない繋がりが目に見えるということは何より喜ばしいことだ。
それなのに・・・どこかで恋人同士に見えはしないかと微かに期待している自分がいる・・・?
姉のように美しく気質もよい女性と、親しげに並んで歩くことの出来る男は、特別な人間だと思うから。

「俺はカノン。カミュの・・・まあ、同僚だ」
カミュは頷く。ある意味、事実をありのままに語っている。
いきさつを話し出したら、一度死んだことまで話さなくてはならなくなる。
姉はきっと心を痛めるだろう。
姉にこれ以上心配をかける訳には行かない
この笑顔を守りたい。そのために今、こうして一緒に過ごしているのだから。

サヤは居心地悪そうにカミュの上着を引っ張り、下ろしてくれと目で合図した。
「また転ぶぞ」
「きちんとごあいさつしたいのに」
「フッ、構わん。向こうにビニールシートと荷物が置いてある。そこで一旦落ち着くといい」
カノンはすたすたと歩いていく。その後をカミュが続き、アイザックはカミュの隣に並んだ。サヤと目が合うと、まだ子供のくせに、いっちょ前に挨拶をする。
「アイザックです。流石カミュのお姉様ですね。カミュと同じ、クールなのに燃えるような綺麗な瞳の色をしている。カミュには本当にお世話になりました」

そして手を差し出す。サヤはカミュに抱き上げられたままなので体勢的に握手は難しい。上から手を重ねるようにアイザックの手を握る。するとアイザックはサヤの手の甲に口付けた。
姉はフッと余裕の笑みを浮かべてそれを受け止めたが、カミュは動揺した。
思わず小宇宙が漏れ出し、あたりの気温がぐっと下がる。ブルッと震えて、サヤは黒いトレンチコートの襟を立てた。縮こまるようにカミュの胸に身体を預け、暖を取ろうとする。
自分のせいなので、「すまない」と言ってカミュはサヤを抱き締めた。
「あら、何でカミュがあやまるの?変な子ね」
姉はカミュの小宇宙の特性の事をよく知らない。サヤはカミュの胸に顔を埋めて、くすくすと鈴をふるわせるような声で笑った。
そういう笑い方をすると酷く魅力的だから、他の男の前ではしないで欲しいのに。
アイザックは思わず口を開けて見蕩れた。
そんなアイザックを姉は楽しそうに眺めた。

いつの間にこの子はこんなにませたのか。
自分がしっかりとしていればアイザックをもっとクールに育てられたのに。
確かにアイザックは正義感にあふれ、立派な聖闘士になれる素質があった。
しかし、悪いが如何せんまだ子供だ。私の姉に色目を使うなど許せん。
「カミュ・・・顔が怖いぞ」
カノンが振り返り、揶揄するように笑う。
「カミュ、そんな顔しないの」
サヤが両手でカミュの頬をそっと包む。そうされるだけで、怒りがふつふつと沸いていた心がほんのりと穏やかになる。
しかし照れ隠しに、いつも同僚に対するように冷たい口調になる。
「元々こういう顔だ」
「あら、いつももっと優しい顔してるのに」
「それはサヤの前だけだ」
「もったいないなあ。もっと笑えばいいのに。きっとモテるわよ」

『サヤの前だけ』
すごい殺し文句だ。まるで恋人に対するような。
でもそれがカミュの嘘偽りのない姉への思いなのだろう。
姉の前でしか見せない自分の姿。
カミュの姉に対する思いは相当強いな。カノンは自分の兄を思い出して苦笑いする。
サガも復活したばかりの時は、煩いほど構ってきたものだった。
面白そうな姉弟だからもう少し見ていたかったが、カミュがまた不機嫌になるとずぶ濡れの身体には堪えそうだ。
カミュが怒ると冷え込む。カノンはアイザックを促す。
「おい、帰るぞ」
アイザックは不服そうな顔をした。師とその姉なのだ。色々話がしたい。
カノンはカミュがホッとしたのを見逃さなかった。
まあ、今日のところはな。
カノンはサヤにフッと笑いかけた。カノンほどの美形はなかなかいない。
さしものサヤもカノンの笑顔に見蕩れ、少し照れながら笑い返した。
カノンとアイザックはスニオン岬のある方角へと歩み去っていった。
アイザックはカミュとサヤの方を振り返り振り返り歩く。
落ち着きのないアイザックの頭をカノンは小突いた。
2人の姿はやがて夕陽をバックにした黒いシルエットとなった。

姉はカノンの後姿を見ている。
「あの人、格好よかったね。また会えるかしら」
カミュの心がちくりと痛む。姉を取られたような少し寂しい気持ち。
「ああ、きっとまた会うことになるだろう」
と優しく告げる言葉とは裏腹に、本当は姉がカノンに惹かれるのが嫌で、抱き締める腕に力がこもる。
されるがまま、カミュの胸に頬を寄せるとサヤは
「カミュ、帰ろうか」
と言った。カミュは、姉の髪にキスを一つ落とすと、「そうだな」と答え、浜辺を後にした。

カノンとアイザックに姉の事を口止めするのを忘れた。
自分の同僚達の顔を思い浮かべ、カミュは嘆息した。
カミュの悩みは尽きることがない。

2004.11.8   haruka


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