おはようのキス


十二宮からカミュの姉、サヤがアテネへ帰ることが出来なくなって、双児宮に泊まった翌朝の事。
サヤがサガにおはようのキスをした事からまた双児宮では波乱が起きていた。
カミュとカノンはサヤを巡って千日戦争、サガとサヤは部屋から出て来なくてメイドが扉の前で頬を染めて立ち往生している。
そんな双児宮の朝の事。

メイドは困り果てて、リビングのミロへと相談に行った。

「あの、ミロ様…」
「ん?どうした、顔をそんなに赤く染めて」
「いえ、あの…。先ほどのお話を聞いてしまったら、何だかサガ様とカミュ様のお姉様をお邪魔してしまってはいけないと思いまして。それに、その…カミュ様の事も気になりますし…」

ミロは、ああ、このメイドはカミュに惚れているんだった、と思い出した。
カミュの事も心配だし、カミュの姉があのサガとまたキスでもしていたら、と気になって仕方ないのだろう。
サガの着替え中にかち合う事も心配しているはずだ。

「分かった、代わりに俺が行く」

ミロはメイドからサヤの服を受け取り、サガの部屋へと向かった。
そして、扉の前に立った時、今朝見た光景が今更のように蘇って来て、ミロは耳まで赤くなった。

サガの奴が、まだサヤとキスをしてたら俺はどうすれば…!?
いや、しかし、あれは挨拶のキスだとサヤは言ってたし、カミュにも同じキスをしていた。

……何で俺だけ触れるだけのキスだったんだ!?
みんなズルいじゃないかっ!!

ミロは急に腹立たしくなって、ノックもせずにサガの部屋の扉を開けた。

「サガ、入るぞ!…!?」

ミロの目に飛び込んで来た光景は、バスローブ姿のサガとサヤで、2人とも濡れ髪を乾かしている所だった。

まさかまさか、俺達がリビングでそわそわしている間にこの2人は最後まで営みを終えていたのか…!?
確かに長かったような気もする!!

ミロの頭の中には、サガとサヤがベッドで絡み合うように抱き合い、情熱的なキスを繰り返す姿が浮かんでいた。
そして、大人2人が交互にシャワーを浴びたらそれなりに時間がかかるという事が頭の中からすっぽりと抜け落ちていた。

「やっぱりサガと出来てたんだーーーー!!!」

ミロがサガを指差して叫ぶと、両手で持っていたサヤの服がはらりと床に落ちそうになり、ミロが慌てて抱え直すと、今度はサヤの服を凝視しながら絶句し、頭から湯気が出そうなほどに赤面した。

何て何て何てセクシーな下着だっ!!!
こんなの、見た事ないぞっ!!!
そもそも女の子の下着なんて見た事ないけど…。
でも、これは絶対セクシーだっ!!!

サヤはそんなミロの様子に気付かず、にこやかにミロに近寄ると、服を受け取った。

「ちょうど良かったわ、ミロ。着替えが欲しい所だったのよ」

その時の事だった。
カノンの部屋から地響きのような音が聞こえて、サガとミロは表情を険しくした。

「サガ、どうしたの?」

サヤは驚きと不安がない交ぜになった表情でサガを見上げた。

「カノンとカミュの小宇宙が拮抗している。このままではカミュが危ない」
「カミュが!?止めに行かなきゃ!!」

そのまま走り出そうとするサヤの腕をサガは掴んで制止した。

「黄金聖闘士同士の戦いに一般人は危険だ」
「そうだ、サヤ。サガ、俺も様子を見てくる」
「いや、私一人で十分だ。カノンに対抗出来るのは私とシャカくらいだからな」
「くっ…」

確かにカノンにスカーレットニードルを放った事はあるけれど、あれはカノンが抵抗しなかっただけの話で、もしカノンが本気になればミロは敵わない。
サガは厳しい顔付きでミロを見遣った。

「私は行くぞ。あとは頼んだ」
「ああ、任せておけ」

サガは、すぐに走り出し部屋を出て行った。
サヤはその後ろ姿を見送りながら、不安でたまらなかった。

「何故カミュったらあんなにすぐ怒るのかしら…。カルシウム不足?ああっ、私の作る食事がいけないのね!」

いや、俺だってサヤみたいな綺麗なお姉さんがいたら、変な虫が寄って来ないように目を光らせるのに、サヤにはそれが分からんのか!?

ミロとサヤは同時に深い溜息を吐いた。

「いや、サヤの料理とは関係ないと俺は思うぞ」
「そうかしら…」
「カノンがサヤに狼藉を働こうとしたから怒っているのだろう。それは、弟として当たり前の事だ」

そこでサヤははたと思い出したように頷いた。

「本当に怖かったのよ。カミュ、サガ、助けてってずっと祈ってたの。そうしたら、サガがやって来てカノンの事をすごく叱って助けてくれたの。カノンったら、私を押し倒してキスするだけじゃなくて脱がそうとしたんだもの…。サガが助けに来てくれて本当に良かった…」

サガやカミュだけでなく、カノンともキスだと…!?
ますます俺だけ遅れをとっているではないか!!
ええい、俺もサヤと…!!

ミロがそんな事を考えているとはつゆ知らず、サヤはにこやかに着替えを抱えて微笑みかけた。

「バスルームで着替えて来るわね」

そう言ってサヤはバスルームへと消えて行った。

そわそわとして落ち着かないのはミロの方だった。
あのセクシーな下着を身につけて、洗練された大人の女性らしい服に間近で着替えていると思うと、ドキドキとして来る。
そんな風に妄想が膨らんでいた時の事だった。

「あら?どうしましょう。洗濯で縮んだのかしら。困ったわ…」

サヤの困ったような声がバスルームから聞こえて来た。

「どうした、サヤ?」

ミロは我に返り、サヤに問いかけた。

「んー、どうしましょう。でも、ここまで着替えたのなら大丈夫かしら…」

サヤは悩んでいた様子だったが、意を決したようにそう呟いた。

「大丈夫…とは…?」

ミロは、ここまで着替えたのなら、という言葉に疑問符を頭の中に浮かべながら、バスルームの方へ向かった。

「サヤ、何か困っているのか?入ってもいいか?」
「あ、ちょっとだけ待って。……良いわよ」
「分かった、入るぞ」

ミロはバスルームへ入った瞬間、固まった。

何故、上半身だけ半裸で、ブラジャーだけなんだ!?
ええい、正面に鏡さえあればサヤの上半身の前まで見れたものを!!

そう、サヤはミロに背を向けて、ブラジャーのホックを止めるのに四苦八苦していた。

ミロの頬はみるみるうちに赤く染まって行った。

「ミロ、ごめんなさいね。ブラジャーが縮んでしまったのか、上手く止まらなくて…。止めてくれる?」

あまりの言葉にミロは言葉を失った。
女の子のブラジャーなんて触る事、初めてだ。

「ごめんなさい、貧相な身体で絶句してるのかしら?」
「いや、そんな事はない!むしろ、とても綺麗なプロポーションだと俺は思うぞ」
「そう?嬉しいわ。本当に困っているの。助けてくれる?」
「あ、ああ。もちろんだ」

ミロは震えそうになる手でサヤのブラジャーのホックを止めた。
サヤは顔だけ振り向き、微笑んだ。
いや、顔だけだと思っていたのは、サヤ本人だけだった。
ミロはサヤの胸の谷間をばっちり見てしまって、そこから目を離せないでいた。
そして、むくむくと抱き締めたい衝動に駆られて行った。

「ミロ、ありが…きゃあ!」

サヤが礼を言い終わる前に、ミロは衝動的にサヤを抱き締めてしまった。

「サヤ、俺とて男だ。こんな無防備で綺麗な人を見ていて何もするなという方が無理だというものだぞ?」
「えっ!?そんな…」

ミロとサガだけは安全だと思い込んでいたサヤは、混乱に陥っていた。
それに構わず、ミロはサヤを正面に向かわせてキツく抱き締めた。
Tシャツ越しにサヤの柔らかな胸が感じられて、どうしようもなく胸が高鳴る。

「ミロ!?まだ着替えが終わってないのに…こんな事…」

サヤの脳裏には、昨日カノンに抱かれそうになった恐怖が過った。

「ミロ、もしかして、私の事を抱こうとしてるの…?」

サヤは不安げにミロを見上げた。

「だ、抱く!?」

そこまでの事は考えていなかったミロは、素っ頓狂な声を上げた。

「そう、なら良かった。そろそろ放してくれる?」
「いや、まだ足りない。今朝だって…」
「今朝…?何かあったかしら?カミュが怒り狂っていた事しか思い当たる事なんて…」
「いや、大切な事を忘れているぞ」
「大切な事?何かしら?」

サヤはミロの腕の中で不思議そうに首を傾げた。

サヤは気付いてないんだな…。
サガにはあんなに情熱的なおはようのキスをしていたのに…!!

「おはようのキスだ」
「おはようのキス?さっきしたはずよ?」
「違うぞ、サヤ。サガとカミュにしたようなキスだ」
「あ…」

サヤは困ったように曖昧に微笑んだ。

何故、そこで困る!!
俺では役不足という事か!?
ならば、実力行使だ!!
……あんなキス、した事ないけど。

「ならば、俺からサヤにおはようのキスだ」

ミロはサヤの後頭部を引き寄せると、荒々しく深く口付けた。
サヤはミロの腕の中で完全に固まった。
それに構わず、ミロは角度を変えながらキスを繰り返した。

ああ、念願の、綺麗なお姉さんとのキスだ…!!

長い長いキスでミロが喜びに浸っていると、サヤはミロの胸をトントンと叩いた。
ミロはハッとしてサヤの唇を解放した。

夢中になり過ぎて息苦しくさせてしまったか?

ミロがそう後悔していた時の事。
サヤはくすくすと笑い出した。
ミロには何故サヤが笑っているのか分からない。

「…何がおかしい」

いまだくすくすと笑っているサヤに段々と苛立ちを覚えてミロは低い声で尋ねた。

「だって…ミロ、もしかしてキス、初体験?」
「なっ!?」

触れるだけのキスは確かに何度もあるけれど、こんなキスは確かに初体験で、それを言い当てられてミロはうろたえた。
サヤは笑みを深めた。

「やっぱりそうなのね。ぎこちないし、初体験なのに舌なんか使っちゃダメよ?もっと上手になってから、ね?そうね…カノンかサガに教えてもらったらどうかしら?」

ミロは雷に打たれたかのように固まった。
カノンかサガにキスを教えてもらうだと!?
それは、奴らとキスをしろという事なのか!?
それだけは御免だ!!

「サヤ、練習相手ならお前がいいぞ。サガやカノンにキスでもしろと言うのか!?」
「あ、それもそうね…。じゃあ、街に降りて彼女でも作って練習したらいいわ」

違うんだ!!
俺は、サヤがいいんだ!!

ミロが心の中で叫んでいる時の事だった。
ミロはカミュの小宇宙が近付いて来る事に気付き、慌ててサヤから身体を離してバスルームを出た。
それと同時に扉が開き、カミュ、サガ、カノンが部屋に入って来た。

まだバスルームの扉が開いていて、その扉の前にミロが立っているのを見ると、カミュは表情を険しくして駆け寄った。

「ミロ、まさかとは思うがサヤに何かしたのではないだろうな!?」

掴みかからんとするカミュの剣幕に、ミロは後ろめたさを感じて慌てて首を横に振った。

「な、何もしていないぞ!」
「嘘だ!お前の表情を私が見て分からんとでも思っているのか!?ならば聞くが、何故バスルームの扉が開いている!?」

キッとカミュはバスルームの方を見て、今度は口を半開きにして固まった。

何でまたサヤは上半身ブラジャーだけなのだ!?
それに、こんなセクシーな下着を着けてたなんて知らなかった!!

「どうした、カミュ。何か困った事でもあったのか?サヤは無事か?」

サガは神のような微笑みをたたえてバスルームの前まで来た所でカミュと同じく固まった。

メイドが狼狽えていた下着とはこれの事か!?
確かに、随分と大胆というかセクシーというか!!
それに、下着を着けたら随分と豊満な胸に見えるではないか…!!
昨日不本意に見てしまった時よりもっと魅力的ではないか!!
いかん、これ以上見てはいかん!!

サガは口許を押さえて頬を染めて視線を外した。

「どうした、サガ。サヤがどうかしたか?」

サガが視線を外したのをカノンは見逃さず、サヤが扉を閉める前にバスルームの前に立った。

「きゃあ、カノン!?」

着替える事も、扉を閉めるのも間に合わず、サヤは胸を腕で隠して不安げにカノンを見つめた。
隠しきれない下着と胸の谷間を見て、カノンは口笛を吹いた。

「メイドが言ってた下着はこれの事か。確かにセクシーだな。隠さなくても良いではないか。見せてみろ」
「嫌よ」

そのやり取りを聞いてやっと我に返ったカミュは、カノンを押し退けバスルームの扉を勢いよく閉めた。

「サヤ、一体これはどういう状況だ!?」
「ん?ブラのホックが止まらなくて、ミロに止めてもらったのよ」

カミュは姉の天真爛漫さに頭痛を覚えた。

いくらなんでもミロを男として意識してないにしても、もう少し警戒しなければならんだろう!!
相手は男だぞ!?

「サヤ、メイドに頼めば良かっただろう?」
「だって、洗濯で縮んだなんて言ったらあの子が傷付くでしょう?丁度ミロがいたし」
「そういう問題ではないだろう!」
「ん、もう。カミュがいてくれたらカミュに頼んだわよ。なのに、カミュったらカノンの部屋に行ってていないんだもの。心配したんだから」

そうだった。
姉をサガと二人きりにして、その後ミロと二人きりにさせてしまったのは全部自分の落ち度だった。
自分さえサヤといたら、サガにもカノンにも姉の下着姿を見られる事なんてなかった。

カミュはがっくりと膝から崩れ落ちた。

「あ、そうそう。ミロ、おはようのキス、初めてだったみたいだから、サガかカノン、教えてあげてくれる?」
「サヤっ!!」

今度はミロが慌てふためいてカミュを見遣ると、カミュはまだ放心していた。
サガとカノンは目を見開いた後に、同じ声で唱和した。

「「ミロとのキスなんて御免だっ!!」」
「キスしなくても、コツだけなら教えられるでしょう?」
「そう言われてみればそうだが、俺は教える気はさらさらないぞ」
「私もだ」

カミュは頭痛がして来て頭を抱えた。

なんだってまた、この2日のうちに黄金聖闘士3人に唇を奪われるんだ、サヤは!?
これからは、サヤに張り付いて、絶対監視だ!!
特にデスマスクとカノンは要注意だ!!
それに、ミロもミロだっ!!
親友だから安心していたのにっ!!

カミュの思いとは裏腹に、バスルームからは、サヤの呑気な鼻歌が聞こえて来た。

「カミュ、私達は席を外す。姉の面倒を見てやれ」

サガが静かにそう言って、ミロとカノンを伴って部屋を出て行った。
カミュは姉の鼻歌を聞きながら、まだショックを受けていた。

今日もカミュの悩みは尽きないのだった。



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