異邦人


カミュは姉と休みの日が合う時は、姉と一緒に過ごすようになった。
アテネ市街をぶらつき、店を冷やかしたり、カフェで道行く人を眺めながらぽつりぽつりと話す。
ラテン系のオープンなカジュアルファッションの中で、ディテールにこだわった、エスプリのきいたパリ流のファッションに身を固めた姉は、完全に異邦人だった。
髪をシニヨンに結い上げて、計算されつくしているかのように、幾筋かだけ毛束を垂らしている。赤い髪は光線によって明るいブラウンとボルドーワインのような色が混ざり、つやつやと情熱的に輝いている。
カミュはふと自分の髪も同じように見えるのかと、自らの髪に目を落とすのだった。
色は同じようだが、サヤの髪は何故だか美しい。
そう言うと、姉は
「もう、そういうことは彼女に言ってあげなさい」
と笑いつつ、いいシャンプーとトリートメントがあるから持って帰りなさい、と言ってくれた。

姉はオープンカフェで座る姿にも隙がない。
見られることを前提にした身のこなしは、ハッとするほど美しく近寄りがたかった。
一見無造作に座っているが、一番長く見える角度に脚は組まれ、コケティッシュに小首が傾げられている。
細い繊細な指が珈琲カップをつまみ上げ、ブラウン系のルージュを塗った口元へと持っていく。そして、またそっとカップをソーサーに戻すまでの一連の動作にカミュは魅せられた。
遠巻きに姉を見ている人々の視線をカミュは痛いほど感じる。
身内の贔屓目ではない。姉は美しいのだ。
しかし、サヤはそれを当然のように受け止めて気にもしない。
姉に見蕩れる人々の姿は風景の一部のようにしか目に映らないのだう。
涼しい眼であたりをゆったりと眺めてから、カミュの方に視線を移し、「どうしたの?」と聞く。
「サヤ、見られているぞ」
「カミュが目立っているんでしょう?格好いいから」
「いや、私は、サヤの方が目立つと思う」
「そうかなあ」
ふふふと鈴をふるわすような忍び笑いを漏らす。
それがまたひどく姉に似つかわしくて、綺麗で、身内にも関わらず掛け値なしに魅力的だと思ってしまうのだった。


外では人間はそれなりに緊張して身を繕うので、よく見えるものだ。
しかし、それはこの姉には当てはまらないのだった。
部屋で寛いでいる時の彼女は、それまで全ての美を内側に閉じ込めていたのではないかと思うほど輝いて見える。
詐欺だ、とカミュは思う。
部屋に戻ると、カミュにお湯を沸かさせている間にさっさと部屋着に着替える。
グレーのパイル地のイージーパンツにオフホワイトのTシャツといった簡素な格好で、髪を下ろす。
そして、クッションを抱えながら、テーブルの上に置かれた新聞に目を落とすのだった。
時折、足の爪を気にして、ペディキュアのトップコートを塗り直したりする。
姉の纏う雰囲気は、昼寝をしている猫のように陽だまりの香りがする。
出来るなら手を伸ばして抱き上げ、自分の膝の上で甘やかしてやりたい。
こんな無防備な姿は、易々と他の男には見せられないな、とカミュの溜息は尽きることがない。

紅茶を淹れると、姉の眼の前にマグカップをことりと置き、隣に座った。
「ありがと」
「・・・疲れたか?」
「いや、そんなことないよ」
あ、そうそう、と言って姉は立ち上がった。そしてなにやら小包を持ってきた。
「ネイリストを探そうと思ったんだけど気に入ったところが見つからなかったから、道具をパリから送ってもらっちゃった」
そう言って箱から取り出したのはハンドクリームや、ニッパーや、やすりといった類の物。
物珍しそうにカミュが眺めていると、「やってみる?」と聞いてきた。
「いや、いい」と言うと、姉はニヤリと笑った。
「残念。でもカミュに拒否権はないの。カミュにやってもらうことにしたから。しっかり覚えてね」
姉はすっと立ち上がってキッチンから、ガラスのボウルにお湯を入れて戻ってきた。
小さな棚からエッセンシャルオイルを取り出し、一滴その中に垂らす。
すると、部屋の中に爽やかな香りがたちこめた。

「はい、この中に指先を入れて。まあ、カミュの手って冷たいのね」
言われるままに、ボウルの湯に指をつけた。じんわりと温かくなる。
その間、姉はカミュの生活についてポツリポツリと質問をする。
カミュは当たり障りのない範囲で答えたが多くは語らなかった。サヤもそれを気にする様子はない。
とりあえず兄弟の真似事が出来るのが嬉しいのだろう。
はたしてこれが普通の兄弟がすることなのか、カミュにはわからなかったが。
今度アイオリアとアイオロスに会った時に、兄弟とはどういうものなのか聞いてみようと思うのだった。

サヤは、オレンジスティックを使って甘皮の処理を始めた。華奢な指がカミュの手を捉え、爪を磨き上げていく。
何だかくすぐったい程繊細な作業だ。姉は真剣な顔をして、じっとカミュの爪とにらめっこしている。
それが何だか可愛らしくてカミュはくすりと笑った。
「なーに?くすぐったい?」
「いや、あまり真剣だからおかしくて」
「カミュも真剣になってね。ちゃんと覚えて私の爪の手入れ出来るようになるのよ」
ニッパーで余った甘皮を傷つけないように取り除きながら、サヤは言った。
みるみる爪の面積が広がっていく。元々細長い形のカミュの爪は、女官達から羨ましがられるほどだったが、手入れを施されると一段と美しくなる。
カミュは感心した。そのカミュの表情に姉は満足そうに笑った。
「ね?すごいでしょう。綺麗になるにはそれだけの労力が必要なのよ」
そうなのか。それに世の中の男共は騙されるわけだな。
しかし、この姉の場合そこまで必死に修正する必要がないと思う。
そのままで十分綺麗なのに。
そう言うと、サヤは呆気に取られてからくすくすと笑い出した。
「もう、カミュ。実の姉にそんな殺し文句を奮発してもダメよ」
殺し文句だったか?言われて見ればそうかもしれない。
でも本当のことだから。
また姉は笑う。
「ああ、カミュ。あなた本当に彼女がいないの?不思議だわ。こんなにいい男で、素で殺し文句言うのにねえ。でも、これからが楽しみだわ」
本気にしてもらえない事は少々不満ではあったが、姉の屈託のない笑顔を見られることは嬉しかった。


その夜、姉は数冊のネイルアートの本をカミュに渡し、練習してくるように言った。
そして、約束どおりシャンプーとトリートメントをくれた。
唇に軽くお休みのキスを落として玄関の扉のところで別れる。
お休みのキスは、初めは驚いたが、姉がさも当然のようにするのでもう慣れた。とは言っても、ずっと一緒に兄弟として育ってきたわけではないので、やはり少しの後ろめたさとトキメキのようなものはあったりする。
ともあれ、こうしてカミュの休日は終わり、また聖域に帰っていくのだった。

自分の宮に戻り、姉にもらったシャンプーとトリートメントを試してみる。
シャワーを終え、髪を乾かしていると自分の髪から姉と同じ匂いがして不思議だった。
別れてからも姉と一緒にいるみたいだ。
ココアを飲みながら姉の磨いてくれた指先を見つめる。
さて、どうやって練習しようか。姉の喜ぶ姿を想像しながら、カミュは一人口元を綻ばせて考えるのだった。

2004.11.5   haruka


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