シュラの憂鬱


シュラは、サヤとお茶でもとメールをしたが、返事が芳しくなく、少しがっかりした気持ちで、一人ぶらぶらと歩いていると、くだんのカフェに辿り着いていた。
サヤと初めて出会ったカフェだ。
アテネの喧騒から離れた、パルテノン神殿に程近いこのカフェは、聖域にも近い。
そして、何より、サヤとの思い出は、全てこのカフェにあった。

サヤは今頃どうしているだろうか?
ちらりと見えた手帳には、仕事のスケジュールが書いてあったような気がする。
女一人で生計を立てているのだ。
今日もきっと、仕事だったんだろう。
悪い事をしてしまった。

シュラは、サヤのお気に入りのカフェオレを頼み、その甘さに少し顔を顰めながらも、彼女に想いを馳せていた。
シュラは随分と長い時間、そこでぼんやりと、道行く人達を眺めていた。

そういえば、サヤの仕事を聞いた事はなかった。
どんな仕事をしているのだろう。
カミュと過ごしたいから、パリ大学からギリシャへやって来たとは聞いた。
フランス人が、このアテネでどんな仕事をするのだろう?
しかし、悲しいかな、シュラは聖域の事しかよく知らない。

サヤとお茶が出来ないのであれば、そろそろ聖域に帰ってもいいだろう。
今日は、紫龍が聖域を訪れているという。
アテナの邪魔をしたくなくて街に降りて来たが、サガの話によると、今夜、紫龍は磨羯宮に泊まるらしい。
メイドに任せれば問題ないが、手土産でも買いに行くか。
そう思い、席を立ってカフェを出た時の事だった。
パルテノン神殿の方からよく見知った人物がやって来て、シュラは目を瞠った。

カノンとあのサガがパルテノン神殿の方から歩いて来る。
カノンはともかく、あのサガが軽々しく街に下りて来る事などまずあり得ない。

そして…。
シュラが一番衝撃を受けたのが、カノンが手を繋いでいる女性だった。
それは、今日想いを馳せていたサヤだっからだ。

どうして、何故、カノンと…?
サヤは聖域との境界の辺りから歩いて来た。
そこに何らかの理由、恐らく仕事で迷い込んだのかも知れない。
それにしても、カノンだけでなくサガとも共にいるなんて、信じられない…。
それも、カノンと手を繋いで…。
そういえば、以前カノンに危ない所を助けてもらったとは聞いた。
この足場の悪い道を、単にエスコートしているだけとも考えられる。

しかし…。
ならば、何故サヤはあんな風に赤面しているんだ?
赤面した顔もどこか可愛らしく、相変わらず綺麗な人だ。
後ろを歩いているサガも、どこかサヤを微笑ましく思っているような雰囲気を感じて、シュラは何だかいたたまれなくなった。

2人黄金聖闘士がいるならば、自分もさりげなく合流しても何らおかしな事ではない。
サガがいるため、カノンとのデートには見えない。
ただ、サヤが今日断りのメールを入れた事が気になって仕方がない。

少なくとも今日は、俺を避けているのかも知れんな…。
あのまま連絡がなかったから…。

それでもやはり、カノンと会うためだったのではという疑念が拭えない。
じっと3人を見ているうちに、彼らは路地に入り、姿を消した。
シュラは溜息を吐いて、聖域に戻る事にした。

聖域に戻り、白羊宮、金牛宮を抜けて、無人の双児宮で思わず立ち止まり溜息が出た。
やはり、サガにでも声をかけて、共に楽しい時を過ごした方が良かったかも知れない。
サヤの笑顔を思い出すと、今更ながらに悔やまれる。

そのまま双児宮で立ち尽くしていると、後ろから声をかけられた。

「おい、シュラ。ぼーっとしてどうした?磨羯宮へ帰らねぇのか?」
「ああ、デスマスクか。お前はどうしてここに?」
「アフロディーテが来るって言うから買い出しだ。お前、マジで浮かない顔してるけど大丈夫か?」
「元々こういう顔だが…?」
「いや、俺には分かる。お前、失恋でもしたような顔してるからな」
「なっ!?失恋!?違うぞ、デスマスク。あの人とは茶飲み友達でそれ以上でもそれ以下でもない!都合が合わなかっただけだ!」

シュラは声を上げて、自分で言った内容にまたショックを受けていた。

カノンとは手を繋いで歩く仲なのに、俺は、ただの茶飲み友達…。
それも、カノンとのデートのために都合が合わないと断られた茶飲み友達…。

「ふーん、茶飲み友達ねぇ。俺にはそうは見えねぇけどな。とりあえず、巨蟹宮まで来いや。話せばすっきりする事もあるぜ?アフロディーテもいるしな」
「…そうだな」

デスマスクだけだと冷やかされるかも知れないが、アフロディーテもいるならば、とシュラは巨蟹宮のリビングへと入って行った。

「どうした、シュラ?悩み事でもあるのか?私で良ければ話を聞くが?」

アフロディーテは、優雅な仕草で紅茶を飲みながら、シュラに微笑みかけた。

俺もこれくらい気さくであれば、サヤともっと話が弾んだだろうに、と思うとまた心が重たくなって行く。
その点、カノンは気さくな上に気が利くし、押しも強い。
サヤがそのまま流されてしまっても仕方ない、魅力的な男だ。
ああ、俺は何もかも劣っている…。

溜息を吐いたシュラを見て、アフロディーテは怪訝そうな表情を浮かべた後に、フッと笑った。

「この平和な聖域で、そのような憂鬱な表情を浮かべて溜息を吐いているなんて、女性絡みか。相談に乗ってやろう。どこの女か言いたまえ。聖域の女か?」
「いや、一般人だ。しかし、あながち一般人とも言い難いか…」
「ふーん、一般人とも言い難い、か。どんな女なんだ?」
「ただの茶飲み友達だ。フランス人らしい。とても綺麗な女性で話上手で、俺みたいな口下手な男相手でも、微笑みながら楽しそうに話をしてくれる」
「ならば良かったじゃないか。君にもそういう相手が出来て。それで?デートは何回したんだ?」
「デ、デート、だと?」

シュラは、デートという言葉に固まった。

デートといえば、男女が約束をし、2人きりで街を歩いたりする、付き合いの前提のような、あれの事か!?

アフロディーテは、シュラの様子を見てくすくすと笑った。
遅れてやって来たデスマスクも、遅めのランチをテーブルの上に置きながら、堪えきれないように笑っていた。
そこで3人はランチをつつきながら、話を再開した。

「デートなんてどうって事ねぇじゃねぇか。手ぇ繋いだり、肩抱いたり、美味しい事ばかりだぜ?堅苦しく考えんなよ」
「あの人にはそういう事はしたくないっ!!ただ、そばにいるだけで安らぐんだ…」

アフロディーテとデスマスクは、顔を見合わせた。

「シュラ、そういうのを恋って言うんだが…。君は気付いていなかったのかい?」
「こ、恋!?」
「大切過ぎて手を出せないんだろう?恋人同士になるのなら、前進しなければならないとは思うが…。で、何度お茶をしたのかな?」
「3度だけだ。その時に携帯の番号とメールアドレスを教えてもらった」

アフロディーテはニヤリと笑った。

「メールアドレスまで教えてもらっているのなら、脈ありではないか!良かったな!」
「ところがそうでもないんだ…」

シュラは、カノンとサヤが手を繋いでいるシーンを思い浮かべて、憂鬱そうに溜息を吐いた。

「彼女のメールアドレスを知っている黄金聖闘士が一人いる。カノンだ」
「何故、一般人がカノンを知っている!?」
「何やら、男達に襲われそうだった所をカノンに助けてもらったと言っていたか。その時にメールアドレスを交換したらしい」
「なるほどな。カノンは街によく下りているから、あながち不思議でもないな。しかし、君の憂鬱とは関係あるまい。茶飲み友達から発展するかも知れないだろう?」

シュラは、先ほど見た光景を思い出して、深い溜息を吐いた。

「浮かない顔だな。何かあったのか?相談に乗ってやるから、言いたい事があるならば言いたまえ」

アフロディーテにそう言われ、あまりに馬鹿馬鹿しい事だとは思うけれど、アフロディーテの真剣な表情を見て、シュラは意を決して話し始めた。

「口にするとあまりにも馬鹿馬鹿しいのだが…」
「それでも、君は悩んでいるのだろう?真面目な君の事だ。些細な事でも悩むのは長年の付き合いで分かっている。デスマスク、絶対に笑うなよ?笑ったらブラッディローズだ」
「笑わねぇよ!!ブラッディローズは御免だし、シュラの悩みが気になるからな!」

シュラはデスマスクを見遣り、デスマスクも身を乗り出すようにして聞いているのを確認して、話を再開した。

「今日も、お茶でもと彼女にメールをしたんだ。断りのメールが来て、彼女も仕事で忙しいのだと納得して、いつものカフェで俺はのんびりしていた。パルテノン神殿のそばのカフェでな。そうしたら…」

シュラの瞳が悲しげに揺れて、アフロディーテとデスマスクは手に汗を握るような気持ちで続きを待った。

「カノンが彼女と手を繋ぎながら、サガと共にパルテノン神殿の方から歩いて来たんだ。俺は、カノンが彼女とデートをしたのだと疑った。しかし、サガが共にいたから、どこかで合流しただけかも知れないとも思う」
「カノンとデートか…。手を繋いでいたらそう勘ぐるのはあながち間違いではないかも知れないな。所で、彼女はフランスの何処から来たんだい?」
「パリ大学だそうだ」
「パリ大学か!それなら、ハイヒールをよく履いてるんじゃねぇのか?」

言われてみれば、サヤはいつもハイヒールを履いていた気がする。

「パリジェンヌは、石畳でもハイヒールを履くって有名だぜ?カノンはエスコートしていただけかも知れねぇよ。パルテノン神殿からの道は坂がキツいからな」
「そ、そうか!?」
「おうよ」

暗かったシュラの表情が少し明るくなった。
アフロディーテは、にっこりとシュラに笑いかけた。

「ならば、君にも可能性があるじゃないか。また彼女に電話でもすればいい」
「そうだな」

食事も終わり、食後の紅茶をゆっくりと楽しみながら、バカンスはどこがいいか話している時の事だった。
小宇宙を燃やしたカミュが猛スピードで近付いて来て、デスマスクは慌てて聖衣を纏い、巨蟹宮の回廊へと立ちはだかった。

「そこをどけ、デスマスク!!」
「カミュにミロ、何があった?聖衣まで纏って」
「ムウから通信があった。私の姉が酔いつぶれて双児宮にいると!!私の大切な姉を酔いつぶしたなんて、許しがたい!!そこをどかねば、私とて容赦はしない!!」

怒りに燃えたオーロラエクスキューションの構えを取ったカミュには、流石に敵わない。

「わ、分かったから、姉さんの手当てをしてやれ」
「もちろんだっ!!行くぞ、ミロ!!」
「ああ」

カミュとミロはすぐに駆け出して行った。
その様子をアフロディーテはこっそりと覗いていた。
シュラはサヤに思いを馳せて、ぼんやりとしていた。

デスマスクは、聖衣を脱いで溜息を吐きながらリビングに戻って来た。

「ったく、カミュの野郎、あんなに威嚇しなくてもいいじゃねぇか。あいつ、シスコンか?」
「デスマスク、要点はそこではないだろう。双児宮にカミュの姉が酔いつぶれているという事だ。確か、シュラの想い人はサガとカノンと共にいたはずだ。という事は、シュラ、君の想い人というのはカミュの姉なのではないのか?」

シュラは言葉に詰まり、そして頷いた。

「カミュに口止めされていたから、敢えて言わなかったが、その通りだ。まあ、例え俺がサヤ…カミュの姉に想いを寄せた所で、カミュのあの様子だ。カミュが怒り狂うような気もする」
「確かにな。さっきのカミュの殺気は半端なかったからな。お前もまた厄介な女に惚れたもんだぜ」
「俺も先ほどそう思った。…はぁ…」
「そう気を落とす事もないのではないか?酔いつぶした事に対して怒り心頭なのだろう。君はそのような事はしないから、安心したまえ」
「だといいのだが…」

そうしばらくデスマスクとアフロディーテが交互に慰めていると、今度はミロが慌てた様子で双児宮から飛び出して来る小宇宙を感じて、デスマスクはまた面倒くさそうに聖衣を纏った。
今度はアフロディーテも回廊へ出てミロと対峙した。
シュラは何事かと気になって、回廊への出口でミロとサガ、カノンの会話を聞いていた。

そして、口移しとはいえ、サガがサヤに情熱的なキスをしたと聞いて、その場で崩れ落ちた。

やはり、サヤはサガを選んだのか、と…。

サガとカノンが立ち去ると、アフロディーテがシュラの様子を見て顔色を変えた。

「シュラ、大丈夫か!?」
「やはり、サヤはサガを選んだのだな」
「とにかく、リビングへ行こう」

アフロディーテは、シュラを抱えるように、リビングへと入って行った。

「いいか、シュラ。サヤには選択肢はなかった。口移しという事は、意識不明だったという事だ。仮に相手が君でも受け入れただろうさ。君は女性を酔いつぶしたりはしないだろうが。だから、サガのキスはノーカウントだ。あの潔癖性のサガが女性に軽々しくキスをするはずがないだろう?」

冷静になって考えればその通りだ。
それでも、3人で昼間から飲み会、しかもそれで酔いつぶれるほど飲まされたのは、許しがたい。
その上、唇を奪うなど…!

でも、それもこれも、自分が晩生過ぎるからなのだと思うと情けない。
もう溜息しか漏れて来ない。

「とりあえず、君は磨羯宮へ戻ったらどうだ?そろそろメイドに紫龍が泊まる準備の指示をしないとダメだろう?紫龍に春麗の事でも聞いて、参考にすればいいじゃないか。私は1人の女性だけを愛した事がないからな」
「まあ、俺も似たようなもんだしな。あれはまだガキだが、参考にはなると思うぜ」
「分かった。じゃあ、戻るとするか。デスマスク、アフロディーテ、世話になった。またな」

シュラは巨蟹宮の回廊に出ると、双児宮の方を振り返った。
またサヤの笑顔を思い出して辛くなる。
早く磨羯宮へ戻って、自分を取り戻さねば。

シュラは重い足取りで、自宮へと帰って行った。
サガのキスを時折思い出して、辛いような羨ましいような気持ちになりながら…。


2014. 8. 9 haruka

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