双子の受難 -後編-
サガは風呂場で冷たいシャワーを浴びながら、まだ動揺していた。
色気を振りまく女官達は時折煩わしいとすら思う事もあった。
何故、私はこれほどまで動揺してるのだ?
そうか、サヤは誘惑するつもりが全くないからなのだな。
そうだ、そうに違いない。
それにしてもあの姿は…。
カミュは何とも思わないのか!?
まあ、姉弟所以かも知れんな。
私もカノンが美しいなどとは思った事がないからな。
それと同じか、それならば納得出来る。
しかし…わざとではないにしても、あれは…。
サガの思考は何度もループし、冷たいシャワーで身体をごしごしと洗って風呂に浸かって、ようやく落ち着いて来た。
私は一体何を考えていたのだろう。
ただ、無邪気な年下の女性を、それもカミュの姉を大切に思い、愛でていただけではないか。
カノンのように下心を抱く事など私にはあり得ん。
今、思えば、何と言う事もないではないか。
下心…。
し、下心…だとっ!?
マズい、マズいではないかっ!!
あの姿のサヤとカノンを2人きりにしてしまったら…!!
サヤを守らねばっ!!
サガは絡み合う2人を想像すると、顔から血の気がざあっと引いて行く心地がして、慌てて風呂から上がって、バスローブに着替えてリビングへ大急ぎで向かった。
サガはリビングの扉を開けて、ソファからキスのような音が聞こえて慌ててそちらを見やると、驚愕と怒りで目を見開いた。
サヤがソファの上に押し倒されて、カノンにキスをされながら、バスローブをはだけされられている所だった。
一瞬サヤの艶っぽい表情と身体に目を奪われたが、すぐに我に返り、サガは鋼のような声でカノンを咎めた。
「カノン…この双児宮で一体何をしている!?」
「フッ…プロポーズを受け入れてもらおうとしてるだけだ。正式にこのカノンの婚約者としてな」
「婚約者…だとっ!?サヤの意思はどうなんだっ!?」
サヤは、ようやくカノンの愛撫から解放されて、上がった息の下、祈りが通じたと安堵し、何度も心の中で繰り返していた言葉を口にした。
「サガ、助けて…」
半裸まで行かなくても、肩まではだけられたバスローブと、太もも近くまで露わになった、モデルのような筋肉質で細く長い脚を見て、急激に怒りが込み上げた。
やはり、この愚弟と2人きりにさせたのは間違いだった!!
サガは力尽くでカノンを突き飛ばすと、サヤを抱き上げた。
「ってぇ。サガ、本気でサヤを娶りたいと思って何が悪い!!女遊びではないぞっ!!」
「だが、サヤは私に助けを求めたではないかっ!!サヤを傷付けるのは、このサガが許さんっ!!」
「ほう…ではどうするつもりだ…?」
「お前が近づけないよう、これからサヤを私の部屋に連れて行く。サヤは、このサガが守る!」
カノンは驚き目を瞠った。
潔癖性のサガが、自分と共に女を部屋に入れるなんて初めての事だ。
サガは怒り心頭で、そんな事は頭からすっぽりと抜け落ちている様子だった。
サヤは、助かったという安堵感でいっぱいで、凛々しいサガの表情に、まるでナイトみたい、と見惚れていた。
「サヤ、掴まっていろ。私の部屋へ行く」
「え、ええ。ありがとう」
サヤはサガの首に腕を回して掴まった。
サガは、厳しい表情のままカノンを一瞥すると、部屋を出て行った。
部屋に着くと、サガはサヤをベッドの上に座らせて、テーブルの上に置かれていた水差しから水を飲んだ。
まだサガは激怒している様子で、サヤはどう声をかけて良いものか考えあぐねて、そっと部屋をぐるりと見回して、その広さに驚いていた。
サヤの部屋の4倍はある。
マスターベッドルームの造りで、キャビネット、テーブルが備え付けてあり、シャワールームと思しき所はレストルームなのだろう。
全てがこの部屋で完結していて生活出来る空間だ。
ここなら外に出なくても化粧は直せるし、用を足す事も出来る。
何よりサガがそばにいて守ってくれると思うと、心底安心した。
「サガ、さっきはありがとう。私、あのままカノンの婚約者になるのかと思ったわ」
「そんな事は断じて許さん。カノンと貴女が出会って間もないではないか。もう少し、ゆっくり事を進めているのなら、このサガも認めよう。だが、あんな形で無理矢理婚約者にするなど、言語道断。サヤ、安心してここで休むといい」
サガは怒りを露わにした後、サヤに優しく微笑みかけた。
「ありがとう。サガは本当に優しいのね」
サヤがふわりと微笑むと、サガもフッと柔らかく微笑んだ。
しかし、次の瞬間、サガは目を見開き慌てて顔を素向けて頬を染めた。
よくよく見れば、カノンに乱されたままの格好ではないか!!
肩は露わになっているし、胸元は初めに見た時よりも、もっと際どい所まで開いている!!
ベッドにしどけなく座って太ももまで露わだし、私は一体どこを見ていればいいと言うのか!?
サガは咳払いをして、クローゼットへ向かった。
そこにはパジャマがある。
…男物、しかもサガのサイズだが、裾を捲り上げればバスローブよりもずっと安心だ。
サガは自分の分とサヤの分を取り出すと、なるべくサヤを見ないようにしながらパジャマをサヤに手渡した。
「汗が引いたのなら、これに着替えるといい。二日酔いで汚しても構わない。ここにはヨーロッパ式のバスルームがあるからな」
「ありがとう。じゃあ着替えて来るわね」
サヤがバスルームへ消えて行って、サガは心底ホッとした。
サガは、まだ汗が引かないので、パジャマの下だけはいて、上半身は裸で涼む事にした。
初夏のギリシャはからっとした気候で、日陰であれば、それなりに涼しい。
窓を開け放ち、微風で涼みながら水分を補給していると、サヤがバスルームから出て来た。
サヤはズボンの裾を膝まで捲り上げて、上着も肘まで捲り上げていた。
本当にぶかぶかで、まるで子どもが大人のパジャマを着ているような格好で、上着の裾は膝の上くらいまである。
微笑ましい姿だと思いながら、そこで、サガは怪訝そうに首を傾げた。
何故かサヤが固まったまま、頬を染めているからだ。
「サヤ、どうした?」
「え?だって…」
サヤはサガの上半身から目を離せないでいた。
風呂上りの、水も滴るいい男なだけでなく、まるで磨き上げたようなほど美しく男らしい筋肉質な上半身が露わだったからだ。
男性経験なんてほとんどない…つまり、キスまでしかした事のないサヤにとって、それはあまりにも刺激的過ぎて、それでもその身体の造形の美しさと絶世の美貌に魅せられて、目が離せないのだ。
ヤダ…こんなに綺麗な身体をしてたの?
横抱きにされてる時も感じたけれど、こんなに綺麗な筋肉をしてるだなんて思ってもみなかったわ…。
ミケランジェロのダビデ像よりも綺麗だなんて…。
初めて抱かれるなら、こんな人がいいわ…。
と思い至った所で、サヤはますます頬を染めた。
何を考えているの?
サガにはそんなつもりは全くないのに。
でも、カノンもきっと同じ身体をしているのよね?
ああ、カノンはダメ。
なし崩しなんて嫌だわ。
もう少し時間が欲しいし、ゆっくり関係を深めて行くならいいけれど…。
「どうした、サヤ?ああ、そろそろ二日酔いか?ベッドで休むといい。あと2時間ほどで夕食だが、無理そうだな。私はフルーツだけにするつもりだ。昼間、あれだけ食べれば十分だ」
「私も食べられたらフルーツがいいわ。お言葉に甘えてベッドで休むわ」
サヤがベッドに移動しようとした時の事だった。
歩き出した途端に大き過ぎるサガのパジャマのズボンが、何とか止まっていたヒップをするりと抜け落ちて、上半身だけパジャマを纏っている格好になってしまった。
サガはそれを見て口が半開きのまま固まり、サヤがズボンを脱いで畳むまで視線を外せないでいた。
サガの頬が染まって行く。
サヤは、太ももの中ほどまで上着が長い事を確認して、サガに微笑みかけた。
「大丈夫よ。私のワンピースもこのくらいの長さだし、これ位の長さの服なんてたくさん持っているのよ?」
「そ、そうなのか?」
思えば女聖闘士の格好を思い返せば、もっと身体のラインが丸見えだし、うろたえる事もなかろう。
しかし、ぶかぶかの私のパジャマの上着だけで部屋をうろつかれたら、否応なしに、綺麗な脚が丸見えで、意識してしまうではないか!!
これはワンピースとは違うのだぞ!?
ワンピースよりいっそ淫らに見えてしまうではないか!!
寝乱れてしまったらどうするつもりだ!!
私も同じベッドで寝るのだぞ!?
サガはリビングのソファで寝る事も一瞬考えたが、カノンが夜這いでもかけたら、と思うと心配で、やはり一緒に眠るしか選択肢はない。
サヤは、少し高めのベッドによじ登り、太ももがほぼ丸見えの状態になって、サガは慌てて目を逸らした。
女性を部屋に泊める事がこんなに神経を使う事だなんて思いもしなかった。
サヤはベッドに潜り込むと、欠伸をかみ殺し、ヘッドボードに寄りかかりながら、シーツを腰の辺りまで引き寄せたので、サガはようやく安心した。
安心出来ないのはサヤの方だった。
水を飲むために背中を向けたサガの筋肉は、背中まで美しく、見惚れてしまってどうしようもない。
ああ、抱かれたいって気持ちってこういう事なのかしら…。
サガには2回しか会っていないのに、見ているだけでドキドキするなんて…。
サガが優しいから?
ストイックだから…?
あの身体に愛されたら…。
サヤは、サガに抱かれる事を想像して、一人真っ赤に頬を染めて、慌てて顔までシーツに潜り込んだ。
サガはその気配を感じて気分でも悪いのかと心配になり、ベッドに腰をかけてサヤに話しかけた。
「気分でも悪いのか?飲ませ過ぎて悪かった」
そう言って、至極優しい手つきでシーツの上にちょこんと覗いている頭をそっと撫で始めた。
サヤは、サガの姿が目に入らないせいか、その優しい手つきにうっとりとして、段々動悸も治まっていって、サガに甘えるように、ベッドの端に身体を寄せた。
先ほどまではサヤに振り回されっ放しだったが、こうしていると随分と可愛らしいではないか。
このままずっと、側に置いて、可愛がりたくなるほどだ…。
サガはふと、今日は久々の休みだと思い至って、休息を今のうちに取らなければ、後々の任務に響くと思い至った。
こうしてサヤがシーツに包まってさえいれば、何も赤面させられるような事はないし、眠ってしまえばどうという事はない。
シエスタも取っていないし、今日は早目に眠るのも悪くないとの結論にサガは至った。
「サヤ、私も眠る事にする。失礼するぞ」
「え…?」
サガは、サヤの反対側からベッドに潜り込んだ。
しかし、問題が一つだけあった。
サガは横向きの、それも一定の向きでないと寝付けないのだった。
その方向にはサヤがいる。
キングサイズのベッドとはいえ、横幅は180cm。
大柄なサガがベッドに入ると一人では広々と眠れるベッドが狭く感じる。
つまり、サヤに寄り添うようにしか眠る事が出来ない。
それはサヤも同じだった。
サガの方向を向いてしか寝付けない。
お互いシーツを肩までかけてベッドに潜り込むと、自然と目が合った。
サヤの頬がほんのり染まって行く。
サガは、少し困ったような表情を浮かべていたが、顔を見る事くらいどうという事はない、という風にただ穏やかな雰囲気を纏っていた。
しばらく無言で見つめ合っているうちに、サヤはいまだにサガに見惚れているものの、段々と美しいものを見つめていられる幸せで、気持ちが穏やかになって行った。
アルコールがまだ抜け切らないで、段々と頭痛がして来て、サヤは手を額に当てて目をギュッと瞑った。
「大丈夫か?」
「ん…ただの頭痛よ。飲み過ぎたみたい」
「悪かった。気持ち悪くはないか?」
「気持ち悪くはないけれど、明日か今夜まで響きそう。ごめんなさいね。明日はお仕事なんでしょう?」
「いや、まだ青銅がいるからな。明日も休みと言えば休みだ。十二宮の黄金聖闘士の配備の命令さえ出しておけば、貴女の介抱は出来る。まあ、カミュが迎えに来るだろうがな」
「そう…。でも、動けるかしら…」
「ならばこの部屋で休んでいればいい。カミュも氷河にかかり切りかも知れんし、アイザックも合流するとなると、カミュは宝瓶宮から動けんからな」
「そう…。…さっき、頭を撫でてもらってた時、とても気持ち良かったの。頭痛も和らいで」
サヤは、目を閉じたまま、うっとりとそう言った。
サガは、それで頭痛が和らぐならば、サヤが眠るまで、望み通りにしてやろうと決心した。
こうしている今は、本当に心が安らいで、とても愛しいような感情が心に芽生えて行く。
サガはフッと笑うと、そっとサヤを引き寄せた。
サヤは少し驚いたが、すぐに優しく優しく後頭部を撫でられて、また幸せな気持ちでされるがままになった。
サヤは、甘えるようにもぞもぞと更にサガに近付き、その逞しい身体に自分の身体がほんの少し触れた。
思わずハッと目を見開いたが、目の前のサガは優しい笑みをたたえていて、ホッと安心すると同時に、どうしようもなくもっとサガに甘えたくなってしまった。
この逞しい身体に抱きしめられて、こんな風に頭を撫でられたら、どんな気分になるのかしら…?
サガの温もりを近くに感じると、そんな思いが段々と強くなって行く。
決して下心のような感情ではなく、ただ寄り添いたいという気持ちでいっぱいになって行く。
サヤは、おずおずとサガに寄り添い、その逞しい背中に腕を回して、サガの美しい筋肉質な胸に頬をすり寄せた。
サガは一瞬身体を強張らせた。
何、だと…!?
まさか、私を誘っているのか!?
しかし、サヤはあくまで穏やかな幸せそうな表情をしていて、それを眺めていると何だか自分の心も穏やかで幸せな気持ちになって行って、またゆっくりとサヤの頭を撫で始めた。
ああ、とても気持ち良くて、幸せな気分…。
サガの身体、逞しくて温かい…。
「サガとくっつくの、何だか幸せ…」
しばらく頭を撫でてやっていると、ふとサヤがそう呟いた。
サガは内心このように寄り添う事に後ろめたさを感じていつつも、初めて女性の柔らかな身体が触れる事の心地よさを噛み締めていた。
「私も同じような気持ちだ。女性の柔らかな温もりがこのように心地よく、穏やかな気持ちにさせるとは知らなかった」
「そうなの?」
「ああ。私は模範的な黄金聖闘士でなければならないからな。このような事をした事は今までに一度もない。しかし、今はただこうして幸せなひと時を過ごしていたいと思ってしまう。教皇失格だな」
サガは、そっとサヤの背中を抱き寄せた。
サヤは、サガの身体に密着する形になって、またときめいてしまって、頬をほんのりと染めた。
それはサガも同じようで、頬がほんのりと染まっていた。
「サヤ…。貴女をカノンに渡したくない。こんな気持ちを抱くのは初めてだ」
「サガ…」
お互い見つめ合っているうちに、段々と視線が熱を帯びて行って、互いに引き寄せられるように、そっと唇が重なった。
何度か触れるだけのキスをしているうちに、サガの腕に力が篭り、また口移しの時のような情熱的なキスに変わって行った。
サヤは甘い陶酔感でいっぱいになって、サガの背中を抱きしめた。
このまま抱かれてもいいとすら思った。
2人の息が上がった頃に、やっと唇が離れた。
サガならカミュも一目を置いているし、この身を捧げても…。
とサヤが思っていたら、サガは頬をほんのりと染めて、恥ずかしそうに笑った。
「キス…とは、こんなに幸せなものなのだな。知らなかった」
「え…?サガ、初めてなの?」
「ああ。女性を抱き寄せるのも、キスも初めてだ。黄金聖闘士がそのような行動を取るのは、婚儀の後でしか決して行ってはならないと信じていた」
「私は…キスまでなら、経験があるの。何だか悪いわ」
「妙齢の一般の女性ならば仕方がない。もう少しこうしていたいというのは私の我儘だろうか?」
「そんな事…私、貴方に惹かれ始めてる。サガに抱き締められたいと先に思ったのは私よ?」
「嬉しい事を言ってくれるな」
そう言うと、サガはまたサヤを抱き締めてキスを繰り返した。
サヤは、そのキスに酔いしれながら、このままサガと本気の恋に落ちそうな予感がしていた。
カミュの事を気にかけながらも…。
カミュ、ごめんなさい。
私、サガに惹かれてる。
ああ、でも、カミュともっと一緒にいたいのよ?
それでも、サガとも一緒にいたいの。
どうすればいいのかしら…?
でも、今は考えるのは止めましょう。
だって、サガのキスがこんなに気持ち良くて幸せだから…。
今は何もかも忘れて…。
Fin…
2014.8.1 haruka
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