その腕の中でシエスタを -後編-


サガは鋭い目付きでカノンを睨み付けた。

全く、この愚弟は懲りもせずに女に手を出しているのか。
それも事もあろうかカミュの姉、サヤに。
ここは聖域との境界だ。
カミュに知れたらどうするつもりだ。

しかし、カノンはどこ吹く風とばかりにニヤリと笑った。

「随分と暇そうだな、サガよ。教皇の間を無人にしても良いのか?」
「今日は、青銅の4人がアテナに会いに来ている。アテナは星矢にかかり切り、氷河はカミュとの再会で大喜びだ。紫龍はムウと。私がいては無粋だ。アテナ神殿にはカミュ、ムウの黄金聖闘士がいるからアテナをお守りするには十分だ。教皇の間はシャカに任せ、獅子宮にはアイオリアとアイオロスを配備してある。守備に抜かりはない」
「青銅の4人か…。アテナもお喜びになっているだろうな。それでお前は席を外したのか。カミュが氷河にかかり切りならば、俺がサヤと会っても問題ないだろう?」

サガの言葉にカノンがそう返すと、サガは返す言葉を探すように口を噤んだ。
そして、サガはサヤに目を移した。
サガの優しい視線に、サヤはホッとすると同時に、その神々しさに見惚れた。

ああ、サガはなんて神のような笑みを浮かべるの…?
カノンとはまた違った魅力に満ち溢れた人ね…。

サヤは視線をサガから離せないでいた。
その様子を見て、カノンは微かに眉を顰めた。

やはり、サガに見惚れるか…。

自分が野性的ならば、サガは神々しい。
同じ姿、同じ声をしていても纏う雰囲気が全く違う。

サヤ、お前はどちらを選ぶのだ…?

サガは、微動だにしないサヤを見つめて、怖がらせてしまったのかと思い、目を伏せてフッと笑って表情を和らげた。

「サヤ、怖がらせてしまったのならば、すまなかった。ここは聖域との境界とはいえ、聖域は固い結界で守られている。ここは外の世界だ。案ずる事はない。私はこの愚弟が何かやらかしていないか案じているがな」

サヤは、カノンとのキスを思い出してほんのりと頬を染めた。
サガはそれを見逃さず、サヤに問いかけた。

「何かあったのか?カノンが貴女に何かやらかしていたのであれば、このサガが許さん」
「ほう…。やらかしていたのであれば、どうするつもりだ、サガよ」

カノンがサガを挑発すると、サガは眉を吊り上げ、小宇宙を燃やし始めた。
カノンも臨戦体制に入る。
サヤは小宇宙を感じ取れないとはいえ、2人の間に火花が散っているような感覚がして慌てた。
カノンとのキスは、絶対にサガには知られてはならない。

「違うの、サガ!カノンは人混みから守るために私の肩を抱いただけ!買い物に付き合ってもらったの。私が男慣れしてないだけだから、カノンを責めないで!」

叫ぶようにサヤがそう言うと、ホッとしたように、サガは表情を和らげた。

「そうか…。安心した。カノン、誤解を招くような物言いは止めろ」
「フッ…相変わらずの堅物が」

サヤは嘘をついた事に後ろめたさを感じていた。
サガがまたサヤを見つめて、そのエーゲの瞳に全て見透かされてしまうような気がして、そっと目を伏せた。

サガは、サヤを見つめながら、初めて出会った時の事を思い出していた。

花が綻ぶような笑顔。
美の結晶のような洗練されたファッションに美しい顔。
人を惹きつけるオーラ。

だからこそ、引き寄せられるように、別れ際にそっと抱き締めて、両頬にキスをしたのだった。
ふわりと香った微かな香水の香りと滑らかな頬が印象的だった。

本当に美しい女性だ…。
あのカミュが必死になって守ろうとするのも頷ける。
それに、カノンが惹かれるのも…。

一卵性双生児だからこそ分かる。
カノンの慕情がそのまま自分の気持ちにコピーされて行くかのように…。

サヤを忘れられなかったのは、私も同じ、か…。

「サガ、俺達は食事へ出かける。聖域の境界から離れるから、お前にこれ以上責められるいわれはない。サヤ、行くぞ」

カノンがサヤの腕を引くと、サヤはやっと我に返った。
カノンにとても惹かれているけれど、これ以上2人きりでいたら、後戻り出来なくなってしまうような気がする。
サガならカノンを止めてくれるはず。

「サガ、貴方も一緒にどうかしら?街へ降りて来たんでしょう?どこかへ出かける用事でもあるのかしら?」
「サヤ、何故サガを!?」
「だって、サガからもカミュの事が聞きたいわ」
「またカミュか…」

カノンは嘆息した。
サガはくすりと笑うとサヤの問いに答えた。

「特に行くあてなどない。ただ、青銅とアテナの邪魔をしたくなくて聖域を出て来ただけだ」
「なら、一緒に行きましょう?氷河と言ったかしら?カミュと一緒にいる男の子のお話も聞きたいわ」
「だそうだ。カノン、異存は?」
「はぁ…。好きにしろ」

サヤのサガを見つめる魅入られたような視線が気になってはいるが、やはりサヤの最優先事項はカミュのようで、カミュの事をサガに聞きたいと言われれば、従うしかない。
なにしろ、サガの方がカミュの事をよく知っているからだ。

「サガ、アクロポリスを下りて細い路地にある店だ。聖域にも帰りやすいし好都合だろう?」
「ああ、お前の行きつけか。分かった。シエスタの時間だが…」
「あそこなら開いてる。行くぞ」

カノンは、サヤの手を取って歩き出した。
サガは微かに眉を吊り上げて、責めるようにカノンの背を見つめた。

まあ、エスコートくらいで目くじらを立てる事はないか…。

サガは、カノンとサヤの後ろを歩いて行った。

パルテノン神殿からアクロポリスの入口までは、少し傷んだ階段が続いている。
そこかしこに書かれている古代ギリシャ文字にサヤの目は奪われ、また建築様式に見惚れ、全く足元を見ていない。
パリジェンヌだから、足場の悪い道でもハイヒールで歩けるのか、とサガが納得しかけた時の事だった。
サヤのヒールが階段の割れ目に引っかかり、サヤは派手によろけた。
カノンはすぐにサヤの腕を掴んで転ばないように支えたが、身体が大きく傾いた状態で身動き出来ない状態だった。
サガがすぐに反対側からサヤを支えると、そのままサヤはサガの腕の中に飛び込んだ形になった。

前言撤回だ。
ここはパリとは違う。
ヒールで歩くのなど無理だ。

「サヤ、失礼するぞ」
「え…?」

サヤが答える前にサガはサヤを抱き上げた。
カノンの眉がつり上がるが、ここはサガに譲るか、と嘆息した。

俺はサヤの唇を奪ったから、姫抱きくらいは譲ってやる。
それに、またサガに何か勘ぐられるのは御免だ。

サヤはというと、サガの、カノンと全く同じ筋肉の着き方に驚いていた。
そして、また頬を染めた。

何で、こんな所までそっくりなの…?
見た目の優しさからは考えられないほど、男らしい筋肉…。
それも、天上の美貌と身体だなんて…。

サガからは、あの別れ際と同じ花の香りが微かに香った。
頬へのキスまで思い出して、ドキドキと胸が高鳴る。

ああ、先ほどまでは、あんなにカノンの虜になっていたのに、サガにもこんなにときめくなんて…。
神様って、罪作りだわ…。
こんなに素敵な人を双子に誕生させるなんて…。

腕の中で頬を染めるサヤを見て、サガは、確かに男慣れしていないな、と納得した。
カノンとはサヤの言うとおり何もなかったのだろう。

それにしても…恥らう様子が可愛らしいものだ。
美しいとは思っていたが、このような面もあるのだな。
ミロは綺麗なお姉さんだと言っていたが、私には美しく可愛らしい年下の女性にしか見えん。

カノンが全く同じ感想を抱いていたとは露知らず、サガはそう思った。

このまましばらくこの腕の中に閉じ込めておきたいものだ…。

サヤは、余程恥ずかしいのか、頬を染めたまま目を伏せていた。
サガの気持ちとは裏腹に、アクロポリスの階段はすぐに終わってしまって、カノンがそうしたように、サガは高い柵をひらりと飛び越えて、そしてサヤを下ろした。

「もう大丈夫だろう。歩けるか?」
「え、ええ」

サヤは染まった頬をぺちぺちと叩くと、深呼吸をして恥ずかしそうにサガを見上げた。

「あんな風に転んでしまってごめんなさい。まさか、入口まで抱きかかえられるなんて思わなかったわ」
「また転ばれては困るからな。カノン」
「何だ、サガ」
「案内を頼む」
「ああ。サヤ、来い」

そう言うと、カノンはサヤと手を繋いだ。
サガの手前、恋人繋ぎではなく。

「今度は転ぶ前に抱き上げるからな。足元に気を付けろ」
「この石畳なら大丈夫よ」
「さあな」

そのやり取りを見て、サガは、カノンがサヤを大切に思っている事を悟った。
やはり、ただの女遊びとは違うようだ。
それでも、カミュは怒りそうだが。
カノンが手を繋がなかったら、自分が手を繋いでいたかも知れない、ふとそう思った。
サヤはどこか危なっかしくて、過保護なくらいで丁度良さそうだ。

サガは、カノンのそんな姿を微笑ましく、同時に微かに羨ましさを覚えながら、カノンとサヤの後ろを歩いて行った。

ほどなくして、カノンの行きつけの店に着いた。
店の外のテーブル席を確保すると、カノンはサヤとサガを先に座らせ、厨房へと入って行った。
新鮮な魚の量り売りがウリの店だ。
カノンは数種類の魚とギリシャの伝統料理を注文すると席へ戻って来た。
ウェイターがすぐにやって来て、飲み物の注文を聞きに来た。

「俺はレツィーナだな」
「カノン、昼間から飲むのか?」
「別に構わないだろう?青銅の坊や達がアテナの相手をしてるんだぜ?俺は非番だから帰ったらシエスタだ。お前もそうしたらどうだ?たまには双児宮でのんびりシエスタでもしろ。どうせ今日は教皇の間には居場所がないんだろ?」

サガは少しの間思案して、「そうだな」と呟いた。

「レツィーナ?」

サヤは、首を傾げてそう尋ねた。

「サヤ、まさか初めてなのか?カノンとミロと食事に行ったと聞いたから、てっきり知っているとばかり思っていた」
「あの時は、ワインだったわ。ギリシャのワインって甘いのね。あまり飲めなかったのよ」
「ああ、それで殆ど飲まなかったのだな」
「ええ。私はシャブリが好きだから。それで、レツィーナってどんなお酒なの?」

サガは堪えきれずにくすりと笑った。
カミュの様子が変わったのは何ヶ月も前の事だ。
それなのに、ギリシャで一番庶民的な酒を知らないとは。

「レツィーナは、ギリシャで一番庶民的な酒だ。神話の時代から受け継がれている伝統的なワインでもある。辛口の白ワインに松ヤニの香りがするワインだ。私も好んで飲む。ギリシャワインより随分と安価だが、辛口で香りがいい所が気に入っている。好き嫌いはあるだろうがな」
「そうだな。サヤはフランス人だからとこの間は普通のギリシャワインを勧めたが、辛口が好みならレツィーナは丁度いいだろう。松ヤニの香りが苦手ではなければな」
「松ヤニの香り…」
「サヤ、どうする?」

ワインに松ヤニ…。
松の香りを思い浮かべて、サヤはますます想像がつかなくなった。
樽の香りなら分かるのだが。

「サヤ、決められないのならば、私のを一口飲んでから考えればいい。カノン、それでいいな?」

カノンは、間接キス…と思ったが、サガの生真面目さではそこまで思い至ってないだろう、この天然が、と内心悪態をついて、溜息を隠して頷いた。

「では、レツィーナをボトルで。グラスは2つでいい」
「かしこまりました」

サガが注文すると、ウェイターは下がって行った。
ウェイターが下がると、サヤはサガとカノンを交互にしげしげと眺めた。

本当に瓜二つ…。
性格は違うみたいだけれど、こうして黙っていると、全然見分けがつかないわ…。
それにしても、本当に美しい人達…。

サヤは、2人を眺めているうちに、カノンとのキスや、2人に抱き上げられた事まで思い出して、また赤面して来た。

ああ、ペリエでも頼めば良かった…。

「サヤ、熱にでも当てられたか?ギリシャの日差しは強いからな」

サガはサヤの額に手を当て、次に、首筋に手を当てた。
首筋を触られてくすぐったさと、また別の感触がして、声をあげそうになって、サヤはそれを抑え込んだ。
サガは首を傾げて手を離した。

「熱中症ではなさそうだな」

カノンは内心呆れていた。
サヤの顔を見れば、サガの天然無自覚な色気に当てられただけだとすぐに分かりそうなものを。

「大丈夫よ。確かに日光を浴び過ぎた気はするけど」
「やはりな。だから、ギリシャにはシエスタがある。シエスタの時間に歩き回って日差しにやられたか」

違うの。
サガとカノンが私にあまりにも触れるからいけないのよ…。

そうサヤは内心抗議した。
これ以上サガがあれこれと世話を焼いたらまた赤面しそうで、サヤは、誰か助けて、と思うのに、他に頼れるのはカノンだけで、カノンはもっと危険だ。
サガとカノンは全く違う意味で、2人ともとても色気がある。
その上、罪な程に美しい。
これが大人の男性?と思ってみても、そのような男性には今までに一度も出会った事がない。
やはり、サガとカノンは別格中の別格だ。

ああ、ミロでもいれば、ミロを愛でて気が紛れるのに…。

そう思っていた所でレツィーナが運ばれて来た。
サヤは、ホッとして、ペリエを頼んだ。
ペリエを飲んだら少しは顔の火照りも治まるだろう。

カノンはボトルを受け取ると、サガと自分のグラスになみなみとレツィーナを注いだ。

「乾杯」

2人同じ声でそう言うと、全く同じ動作でサガとカノンはグラスを呷った。
そして、サガは思い出したようにサヤにグラスを差し出した。

「ああ、味見をさせる約束だったな」

サヤは、家族としか同じ物に口を付けた事はなく、戸惑った。

カノンとはキス。
サガとは間接キス…?

でも、目の前のサガは、神々しいくらいに優しく微笑んでいて、サヤはグラスを受け取った。
そして、照れを隠すように一口レツィーナを飲んだ。
松ヤニと聞いて、もっと苦い味がするのかと思っていたが、ほんのりと松を思わせる香りがする程度で、思っていたよりずっと飲みやすく、辛口で、癖になりそうな味がした。

「思っていたのと全然違うわ…。美味しい」
「良かったな。ではグラスをもう一つ頼もう」

サヤは、グラスをサガに返した。
間接キス…と思うとまた顔が赤くなりそうだ。
サガはにこやかにグラスを受け取ると、そのままグラスを呷り、怪訝そうな表情を浮かべてグラスを眺めた。

「そうか、何か別の香りがすると思ったら、ルージュの香りか」

サヤは、もう、消え入りたいくらいに恥ずかしくなった。
よく見ると、先程自分が口を付けた所は、サガが最初に口を付けた所だった。

ああ、これでお互いに間接キス…。

「あの…サガ…?グラスを代えてもらったら?」
「構わん。私は気にしていない」

カノンは思わず溜息を吐いた。
サガは基本的に気遣いが上手いが、こういう事に疎過ぎる。
自分の容姿や言動が女に与える影響については、本当に無頓着だ。
それもこれも聖域が男社会で、その頂点に立ち、生真面目にその務めを果たしているせいだ。
カノンとはそこが決定的に違う。

「カノン、どうした?溜息など吐いて」
「いや、何でもない」

その時グラスとペリエが運ばれて来て、サヤは殆ど一気にペリエを飲み干して溜息を吐いた。
喉が渇いていたせいもあるけれど、今日一日双子に振り回されっ放しで、顔の火照りを鎮めたかった。
サガは少し驚いたようにサヤを見つめ、手を差し伸べてサヤの頭を撫でた。

「気が利かずに悪かった。余程日差しに当てられていたのだな。少しはマシになったか?」
「ええ…」

それは嘘。
こんな風に頭を撫でられたら、ペリエを飲んだ意味が全くない。
サガにしてみれば、年下の、それもカミュが大切にしている姉だからこそ余計に気をかけているのだが、それが逆効果だとは全く気付いていない。
カノンは助け舟を出す事にした。

「おい、サヤ。注いでやるからグラスを出せ」
「ありがとう」

サガがやっと手を引いてくれて、サヤはホッとした。
そして、注いでもらったレツィーナをぐいぐいと飲んだ。
サガはくすりと笑った。

「いい飲みっぷりだな。そんなに気に入ったか」
「ええ」

違うの、酔いで顔色を誤魔化したいのよ。
ああ、サガ。
もう少し女心を分かって…。

カノンを見やると、カノンは分かっているというように苦笑いをした。
それから、食事が運ばれて来て、それをまずほとんど平らげてから、酒を酌み交わし、雑談を始めた。

「ところで、サガ。青銅って?」
「カミュの姉ならそれくらいは教えても構わんだろう。聖闘士のランクは下から青銅、白銀、黄金だ。聖闘士の数は88星座の数だけある。黄道12星座が黄金聖闘士で、聖闘士最強を誇る。星矢達は青銅では稀に見るほどの実力の持ち主で、時には黄金聖闘士の実力を上回る、アテナの絶対の信頼を得ている聖闘士だ。カミュの弟子、氷河もその中の1人だ」
「カミュの弟子、氷河…」
「まだ10代なのに大した物だ。あの水と氷の魔術師カミュを上回った事があるくらいだからな」
「水と氷の魔術師…?カミュの事…?」

サヤがそう問うと、サガは意外そうに目を瞠った。

「カミュから聞いていないのか?」
「サガ、カミュはアイザックの存在すら隠そうとしていた。サヤには話していないだろうな」
「そうか…。ならば、話さない方がいいのかも知れんな」
「待って!カミュは絶対教えてくれないから、もっと話して!」

サヤはほとんど懇願するようにサガを見つめた。
酔いで潤んだレンガ色の瞳で見つめられて、サガは思わずどきりとした。
年下だとばかり思っていたのに、驚くほど艶っぽい表情を浮かべている。
女のそんな表情なんてほとんど見た事がないサガは、柄にもなく少し頬を赤らめて、魅入られたように息を呑んでサヤに見惚れた。
そして、2人はしばし無言で互いに魅入られたように見つめ合っていた。
隣りでカノンが咳払いをして、ようやくサガは我に返った。

「っ…!!ああ、分かった、では話そう。カミュは、凍気を自在に操る。それこそ、絶対零度の領域まで。空気中の水分を全て氷に変えてしまう事など、カミュにとっては赤子の手をひねるより簡単な事だ。その凍気こそがカミュの武器だな」
「絶対零度の氷…それは痛そうね。ドライアイスでも火傷をしてしまうもの」
「それはいい例えだな。その程度の理解で十分だ」

本当は、それだけでなく、拳で戦う事も含むが、そのような暴力的な事はサヤには吹き込まない方がいい。

「ねえ、サガ。カミュに頼めば、夏でも雪を見せてくれるの?」

意外な問いに、サガとカノンは顔を見合わせた。

「カミュの技はアテナのためにあるものだが?」
「でも、氷の魔術師でしょう?夏に雪が見られたら素敵だわ」
「しかし…」
「サガ、なかなか面白い発想ではないか。私闘ではない。禁ずる必要もないだろう」
「確かにそうだが…。聖域の外で任務でもないのに聖闘士の力を使わせる訳にはいくまい」
「ならば、聖域で見せてやればいいだけの話だ」
「聖域の中か…。確かにそれならば、構わんな」
「サヤ、お前子どもみたいだぞ?可愛い奴だ」

カノンはおかしそうに笑ってサヤの頭をくしゃくしゃと撫でた。
その笑顔は今日一番眩しくて、サヤはまたドキドキと苦しいくらいに胸が高鳴った。

ああ、そんな素敵な笑顔でこんな風に触れないで…。
またときめいてどうしようもなくなってしまうから…。

助けを求めるようにサガを見やると、サガは頬杖を着いて、くすくすと笑っていた。
その笑顔も今日一番眩しくて、サガを見てもカノンを見ても、苦しいくらいに胸がドキドキとして、サヤは困り果てた。

もう、飲んでやり過ごすしかないかも…。

サヤは今日何度目とも知れないグラスを一気に呷り、また自分でボトルからレツィーナを注ぐとまた一気に飲み干した。
サガは驚き目を瞠った。

「大丈夫か!?そんなに一気に飲んでしまっては…」

サヤは、「大丈夫」と言おうとして言葉にならず、ふらついてサガの膝の上に倒れこんだ。

「サヤ!?サヤ!?」

サヤが最後に聞いたのは、サガともカノンとも分からない、自分の名前を呼ぶ声だった。

サガは、膝の上のサヤを抱き直して、困ったようにカノンを見やった。

「カノン、お前、サヤの家を知っているか?」
「残念ながら知らんな。例え知っていても、女一人暮らしだろう?男が部屋に上がるのもどうかと思うが。かと言って、そのまま1人にさせておく訳にも行くまい」
「そういうものなのか?」
「サガ、もう少し女心と男女の機微ををわきまえろ。そういうものだ」
「お前の女遊びもたまには役立つものだな」
「余計な世話だ。仕方あるまい。サヤを双児宮へ連れて行こう。目覚めた時、俺達2人が揃っていれば、サヤも安心するだろう」
「そうか…。ならば、聖域に戻るか」

どこか、まだ不思議そうなサガを見て、カノンは頭が痛くなった。

男1人だったら、女は襲われたかどうか不安になるだろうが!!

まあ、そういう兄だからこそ、純粋な気持ちでアテナの名代が務まるのだが。

サガとカノンは、会計を済ませて店を出ると、人がいない路地裏でテレポーテーションを使って聖域へ戻った。
そこは、白羊宮の前だった。
サヤを抱き上げたサガが先に足を踏み入れ、その後ろにカノンが続いた。

無人と思われた白羊宮にはムウが既に戻っていた。

「サガ、そちらの女性は?」
「カミュの姉だ。私達の監督不行き届きで、酔いつぶれてしまってな。他に介抱する場もないので双児宮に連れて行く事にした。カミュの姉が聖域へ入る許可はアテナからも頂いている」
「そうですか。ならば急ぎなさい。早く水を飲ませないと厄介です」
「分かっている」

サガとカノンは、白羊宮を駆け抜けると、同じ内容をアルデバランに告げて、双児宮の部屋へと辿り着いた。

「私の部屋の方がいいだろう。普段使っていないからな」
「そうだな…」

一瞬、サヤを自分の部屋に入れたいと思ったカノンだったが、メイドが毎日掃除をしている、ほとんど使われていないサガの部屋の方がいいだろうという結論に至った。

サガは、素早く部屋に入り、そしてサヤをベッドに寝かせた。

「カノン、水だ」
「分かっている」

すぐにカノンが水を持って来ると、サガはサヤの肩を揺さぶり、耳元で囁いた。

「サヤ、起きろ、サヤ」

サヤは軽く唸ったものの、ぐったりとしていて、起き上がれる様子ではなかった。
サガの顔に焦りの表情が浮かんだ。

マズい、これはかなりマズい。

「カノン、コップを寄越せ」
「おい、サガ…」
「いいからさっさとしろ!」

完全に焦りの表情で睨み付けられて、カノンはおとなしくサガに従った。

サガはサヤを抱き起し、カノンからコップを受け取ると、水を口に含み、サヤに深く口付けるように、口移しで水を飲ませた。
サヤがこくんと嚥下するのを確認すると、サガはそれをコップ一杯分、繰り返した。
それを見ていたカノンの心境は複雑だった。

この天然無自覚朴念仁が、これはある意味キスと同じだと気付かないのか…?

サガはとにかく必死で、怒りの形相で突撃して来るであろうカミュの事を危惧していた。

何とかして意識だけでも回復してもらわねば!!
カミュに申し訳が立たん!!

カノンにコップを渡すと、水差しからまた水が注がれ、サガはまた口移しを繰り返した。
そうしているうちに、サヤの長い睫毛が震え、ぼんやりとサガを見つめた。

「貴方は、サガ?カノン?」
「私はサガだ。自分で水は飲めそうか?」
「何だか水は要らないの。どうしてかしら…」

それは、サガがコップ二杯たっぷり口移しで飲ませたからだが、カノンはそれを黙っていた。

「要らなくても飲んだ方がいい。カノン、水だ」
「受け取れ」

サガはコップを受け取ると、サヤに握らせようとしたが、サヤはまだ力が入らないのか、水が飲みたくないのか、コップを上手く受け取らない。
焦れたサガは、また水を口に含むと、サヤに深く口付けて飲ませた。
サヤの瞳が驚愕に見開かれる。

私、今、サガにキスされてるの…!?

反射的に水を嚥下して、サヤはサガに口移しで水を飲まされた事に気付いた。
「大丈夫」と言おうとして、またキスをされる。

ああ、今日は、双子両方に唇を奪われてしまったのね…。
サガの唇、とても柔らかい…。
見た目とは裏腹な、少し強引で情熱的なキスだわ…。
カノンとはやはり別人なのね…。

キスの心地よさに目を閉じて、またサガの口移しを受け入れた時の事だった。
突然部屋の中が真冬のように寒くなり、サヤは身震いをして暖を取るようにサガにしがみついた。
次の瞬間、ミロが大声でカミュの名前を呼んでいるのが聞こえ、その直後、大きく扉が開かれた。
扉の向こうに立っているのは、聖衣を纏ったカミュだった。
そして、サヤは丁度、サガに口移しで水を飲まされている最中だった。
傍目に見ると、どう見ても抱き合いながら深いキスを交わしているようにしか見えない。

カミュは、サガが長い睫毛を伏せて、深く姉に口付けているのを見て激昂した。
続いてミロが追い付き、カミュを止めようとしてサガのキスシーンに驚いていた。
しかし、今はカミュを止めるのが優先だ!!
ミロはカミュを後ろから羽交い締めにした。

「カミュ、とにかく落ち着け!!サヤが酔いつぶれただけだってムウが言ってただろう?」
「離せ、ミロっ!!酔いつぶしたのも許しがたい!!その上、これは何の真似だ、サガ!!よくも私の姉に…!!!」

カミュ、弟子にはクールであれって言うくせに、本人が一番クールじゃないじゃないか!!

ミロは心の中でそう叫んだ。

カノンはサガとカミュの間に割って入った。

「急性アルコール中毒になる前に処置したまでだ。それ以上でもそれ以下でもない」
「ええい、問答無用!!」

サガもまた最悪なシーンを見られたものだ。
カミュの怒りはちょっとやそっとでは収まらないだろう。
聖衣を纏ったカミュ相手では分が悪い。

「おい、サガ。カミュを止めるぞ」
「分かっている。ミロ、離れていろ」

ミロは、サガとカノンの真剣な顔を見て、次に襲い来る技に恐怖して間合いを取った。
サガはサヤをベッドの上に座らせて、カノンと共に両腕を交差させた構えを取った。
カミュは手を組んだ腕を真っ直ぐに上にゆっくりと持ち上げた。

「「ギャラクシアン…」」
「オーロラエクス…」

二つの技が正にぶつかろうとする寸前の事だった。

「カミュ!?カミュなの!?ヤダ、その鎧、素敵ー!!」

サヤが大きな声を上げてサガとカノンの前にふらふらと歩み出て、3人は大いに焦った。

サヤを傷付けてしまう!!

急激に膨らんでいた小宇宙を抑えようと必死になっている間に、サヤはよろけるようにカミュにしがみついた。

「カミュ!カミュ!!これが聖闘士の姿なの!?何で今まで見せてくれなかったの!?ヤダ、カッコいいわ!!カミュは私の最高の弟よ!!」
「サヤ!?」

カミュはまさかその方向から姉に褒められるだなんて思わなくて、膨らんだ小宇宙を抑えるのに必死で、姉の次の行動まで考える余裕がなかった。

「カミュ、愛してる!!!」

サヤは…カミュの首に両腕を回すと、カミュに深く口付けた。

カミュは驚きのあまり固まり、そして、小宇宙は急激に収まった。
それはサガもカノンも同じで、唖然として魂が抜けたというべきか。
魂と共に膨らんだ小宇宙も抜けてしまったように消え去った。

カミュは流石にサヤを引き離そうと、そっと押し返してみたが、殊の外強く抱きしめられて、その上唇も深く重ねられて、もう、どうして良いか分からない。

サガとカノンは顔を見合わせて笑った。

やはりカミュには敵わないな。

やっとサヤの唇が離れてカミュはホッとした。
ちらりと後ろを見やると、ミロが某然としたようにカミュを見つめていた。
カミュは頭を抱えたくなった。
姉とのキスを、サガとカノンとミロに見られてしまった。
もしかしたら、聖域中に知れ渡るかも知れない。
それだけは避けたかった。

姉がこんなキス魔だなんて知らなかった。

「カミュ〜。頭が痛い〜」

サヤは、カミュの姿を見た途端に安心して、今更ながらに完全に酔って、先ほどまでの理性がすっかりなくなってしまっていた。

カミュが呆れたように、確かにサヤは酒には強いが、深酔いして酒癖の悪さが出た時には、キス魔になるのだった。

カミュはと言えば、自宮へ連れ帰ろうにも、これでは宝瓶宮へ辿り着くまでに何度姉にキスされるか分かったものではない。
すぐにでも介抱したいのに、何て厄介な…!!

冷や汗をかいていると、サガがカミュに歩み寄り、ぽんぽんと肩を叩いた。

「サヤからのキスについては、黙っていてやろう。その代わり、私の介抱を悪い方に取るな。いいな?」
「そうよ〜、カミュ。サガは水を飲ませてくれたのよ〜」
「分かった、サヤ、分かったから、これ以上のキスは止めてくれ」
「弟だからいいじゃない〜」
「サヤ…弟だからダメだろう。はぁ、サガ、分かった。この状態のサヤなら水も飲めなかっただろうな。さっきは悪かった」
「いや、お前が落ち着いて何よりだ。ここから宝瓶宮は遠い。サヤを介抱するなら私の部屋を使え。必要なら私達を呼べばいい」
「サガ、恩に着る」

サガは部屋着をカミュに手渡すと微笑んで、カノンと共にリビングへと消えて行った。
カミュは心底ホッとして、サヤを抱き上げて、サガのベッドに寝かせた。
そして聖衣を脱いで少し大きめなサガの部屋着に着替えた。

「はぁ、サヤ…。二日酔い決定だぞ?」
「ん…カミュがいるから大丈夫…一緒にシエスタしよう?」

サヤはむすがるようにカミュの手の甲に頬を擦り寄せると、そのまますやすやと眠ってしまった。

「私とシエスタ、か…」

この様子では、おそらく市街でサガとカノンと飲み過ぎて、酔いつぶれてサガに迷惑をかけたという所か。
カノンは要注意人物だが、サガが一緒ならば間違いは起こらない。
何故そこまで頭が回らなかったのか。
サガは理由もなく女性にキスをするような人間ではない。

「クールじゃないな…」

カミュは溜息を吐いて、サヤの隣りに横たわり、そっと抱き締めて、すやすやと眠る姉の綺麗な顔を見つめていた。

本当は何が起きていたか知らないまま…。


2014.7.18 haruka

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