その腕の中でシエスタを -中編-


ふと我に返ると、ここは土産物屋で、そこでこんな風にカノンとキスを交わしてしまった事に、今更ながらサヤは気恥ずかしくなった。
幸い、店主は外で客の呼び込みをしていた様子で、カノンとのキスには気づかなかったようだ。

「もう、カノンったらこんな所でキスをするなんて…」
「ならば、お前の部屋か、俺の部屋の方が良かったか?」
「部屋に入るのは、流石にまだ早すぎるわ」
「ならば、どこでも一緒だ」

カノンは、今度はサヤの頬にキスをすると、また店内をぐるりと見回した。
つられてサヤも店内を改めて見やった。

「あ…アテナ像がある…」
「ああ、そうだな。しかし、聖域のアテナ像にはどれも劣るな。強いて言えば…この像が似ているか」

カノンが指差したのは、とても美しい顔をしたアテナ像で、左手には盾を、右手にはニケを乗せたアテナ像だった。

「パルテノン神殿にあったと言われる、黄金のアテナ像もこんな美しい像だったのかしら?」
「さあな。古代にペルシャが戦争で持ち帰ってしまって溶かされてしまったからな。俺達でも知る由もない。ただ、聖域のアテナ像だけが、俺達にとってのアテナ信仰のシンボルだな」
「シンボル?」
「ああ、そうだ。俺達がお仕えしているのは、現世に降臨したアテナそのものであって、あのアテナ像は、別の役割を果たしている。これ以上は、聖域の機密に関わるから言えん」
「そう…」

サヤは、もう一度、アテナ像を見つめた。
これが、カミュがお仕えして、お守りしているアテナ…。
部屋に飾ったら、カミュはどう思うのかしら…?

「何だ、サヤ、欲しいのか?止めておけ。カミュはおそらく気に入らないだろう。宝瓶宮の守護、弟子の育成、現世のアテナへの忠誠にしか興味のない男だ。ああ、お前の事で今は頭がいっぱいの様子だがな」
「カミュったら…」
「安心しろ。任務には私情を持ち込まないクールな男だ。サヤ、『お前が』この像が欲しいなら、俺は止める気はないぞ」

サヤは少し悩んで、首を横に振った。

「部屋にあったら素敵かも知れないけど、今は決められないわ」
「それは、俺とまたデートをしてここに来ると解釈するが」
「もう、からかわないで…」
「いや、本気だぜ?」

カノンは真剣な眼差しで、サヤの瞳を覗き込んだ。

「他の黄金聖闘士は、まずこのような所には来ない。俺くらいだな。それに、他の黄金聖闘士にお前を渡す気もさらさらない。いつか、今度こそお前を振り向かせる」

その言葉にサヤは頬を染めた。
カノンからこんなにはっきりとした告白をされるなんて思ってもみなかった。
そして、天上の美貌が眼前に近付き、また唇に掠めるようなキスをされた。
その唇の柔らかさに、眩暈のようなものすら感じてしまうほど、サヤはカノンに魅入られた。

ああ、サガの事、忘れてしまいそう…。
カノンの想いを受け入れたらどうなるの…?
私はまだカミュと過ごしたいのに。

「弟から卒業するまで、俺は待つからな」

そう言ってカノンはフッと笑った。

「オリーブの店へ行くのだろう?来い」

またカノンはサヤの肩をやや強引に抱いて店の外へ出た。

そんな強引さが心地いいなんて、私、どうかしてるわ…。
本当に淡い淡い恋心だったのに、こんな事をされたら好きになってしまいそう…。

カノンは赤面したサヤを見下ろして、唇の端を吊り上げて笑った。

陥落までもう少しか…?
サガにだけは渡さん。

そんな気持ちを抱きながら、カノンはサヤの肩を抱いてまた路地を歩いた。
しばらくすると、やっとサヤの目当ての店へ着いた。

「オリーブの酢漬けでも買うのか?」
「そうね…。本当のお目当ては、オリーブの石鹸よ。フランスのとよく似ているのよ」
「フランス人が、自国に誇りを持っているというのは本当なのだな。郷に入れば郷に従えという言葉があるだろう?」
「まだそこまで慣れてないから…」
「一年も経たずに慣れるだろう。シエスタの時間でも開いてる店があるから、そこで食事でもどうだ?味は保証する」
「この間、ミロと一緒に行ったお店、良かったわ。貴方なら趣味がいいから信頼するわ」
「嬉しい褒め言葉だな。俺もオリーブを買って帰る」

カノンは品定めをして、酒のつまみにとオリーブを何種類か買った。
サヤは、少しのオリーブと、石鹸をいくつか買い、2人は店の外へ出た。

「結構な時間だな。アクロポリスに向かうぞ。ところで…お前、そのハイヒールでアクロポリスを登るつもりか?」
「ええ。フランス人は大抵石畳でもヒールで歩くものよ?」
「アクロポリスには向かないがな。歩けそうになかったら抱き上げてやるから安心しろ」
「それは流石に恥ずかしいわ…」
「パルテノン神殿へ行きたいんだろう?それなら我慢するんだな」
「前に行った時は大丈夫だったのに…」
「そうか、それは残念だな。行くぞ」

繁華街を抜けて、アゴラの周りを歩くと人混みも減って、カノンはサヤの肩を抱くのを止めた。
少し寂しいような、ホッとしたような気持ちになった刹那、カノンは今度はサヤと手を繋いだ。
それもいわゆる恋人繋ぎで。
サヤは驚いてカノンを見上げた。

「アクロポリスへは急な勾配だからな。手を繋いだ方がお前を引っ張り上げられるだろう?」
「それでも、こんな手の繋ぎ方は…」
「肩を抱かれたくせに今更だ。パルテノン神殿が見えて来たな」
「もう、閉館時間じゃないかしら。先に来た方が良かったかも知れないわね。うっかりしてたわ」
「構わん。俺にとっては、いつ来ても同じだ」
「え…?」

サヤの問いかけに、カノンは悪戯っぽい笑みで答えて、それ以上何も言わなかった。
サヤは繋いだ手の男らしさにまた赤面した。

ああ、さっきのは、本当にカノンの告白だったのね…。
こんな手の繋ぎ方するなんて、まるで恋人同士だわ…。
どうしよう、胸がドキドキする…。
一日でこんなにカノンとの仲が進展するなんて、まだ早いわ…。
それに、キスまで…。
ああ、どうしよう…。

そんなサヤの気持ちに気付く事なく、カノンはのんびりと歩いては、時折サヤに微笑みかけた。
サヤはその笑みにすらときめいてしまって、まるで恋人のような錯覚すら覚えてしまう。
カノンに手を引かれる形でアクロポリスの入口へ辿り着くと、サヤが危惧した通り、閉館していた。

「残念だわ…」
「ここには来た事がないのか?」
「何度かあるわ。パルテノン神殿のそばに無造作に倒れてる岩に古代ギリシャ文字が書かれていて、それを解読しようと思って…。あんな大切な物を無造作に置いておくなんて呆れたわ」
「それで、読めたのか?」

サヤは首を横に振った。

「流石に全部は無理よ。所々分かるだけで、ほとんど意味は通じない。ダメね、勉強不足よ」

カノンは意味深に笑って、そしていきなりサヤを抱き上げた。

「きゃっ!何するの!?」
「中に入るのさ。おとなしくしてろ」

そう言うと、カノンはひとっ飛びに背の高い柵を飛び越えて、アクロポリスへと侵入した。

「カノン!こんな事をしちゃダメでしょ!」

カノンは、面白そうに笑った。

「お前の願いを叶えたまでだ。何も問題はない。流石にこの階段を登らせる訳には行かないな。このまま行くぞ」
「えっ!?」
「観光客もいない。何も恥らう事はないだろう?」

そういう問題じゃない、とサヤは思う。
カノンの逞しい身体を全身で感じてしまって、ときめいてしまってどうしようもない。
鍛え上げられた力強い腕や、大胸筋。
それらが身体に触れて、赤面どころか、頭が沸騰しそうだ。

赤面したサヤを見下ろして、カノンはまたフッと笑った。

二度目に会った時から、カノンはサヤの淡い恋心に気付いていた。
しかし、サヤがサガと出会ってからは、サガにも淡い恋心を抱いている事を知った。
今日、しつこいくらいにサヤに触れたのは、サヤに自分だけを見つめて欲しいから。
サガへの想いを消し去るために…。

思い通りの反応を得られて、カノンは満足していた。
もちろん、サガへの嫉妬心だけではない。
サヤは本当に美しい。
そして、少し危なっかしい所も可愛らしく感じられて、守ってやりたくなる。
カミュにとっては年上の綺麗な姉かも知れないが、カノンにとっては、年下の綺麗で知的で可愛らしい女だ。
腕の中に閉じ込めて、その反応を楽しみながら、愛でたくなる。
そんな女が、今、正に腕の中にいる事に、カノンの胸も高鳴った。

ああ、本当にこのまま自分の部屋に連れ帰って、飽きるほど気怠いキスを交したい…。

そんな想いを抱きながら、カノンは、足早にパルテノン神殿へと向かった。

神殿へ着くと、カノンはやっとサヤを下ろした。
サヤはホッとしたように微笑み、神殿のレリーフがいくつも欠けているのを眺めて悲しそうな表情を浮かべた。

「レリーフが世界各地に散らばっているなんて、残念だわ…」
「確かにな。古代ギリシャ人の描いた神話の世界は興味深い。俺達にとっては、まだ神話の時代が続いてるがな」
「そうなの?」
「そもそもアテナの存在が神話の神ではないか。俺達は、神話の世界のアテナにお仕えしている。このレリーフは、神話の世界をある程度は忠実に描いているだけに残念だな」

カノンは、またサヤの手を取り恋人繋ぎをすると、神殿の周りを歩いた。
そして、サヤの言うとおり、雑多に散らばっている、石板に、古代ギリシャ文字が彫られているのを見つけて、サヤの手を離した。
サヤは真っしぐらにその中の一つの石板の前に座り込み、指でそっと文字をなぞりながらぶつぶつと呟いていた。

「それで?サヤ、読めるのか?」
「何となく。でも、全部は分からないわ」
「そうか、見せてみろ」

カノンは、石板の前にしゃがみ込むと、フッと笑った。

「ギリシャ神話だな。簡単だ」

そうして、カノンはすらすらと石板の文字を古代ギリシャの言葉で読み上げて、次に、それを現代の言葉にやすやすと翻訳した。
サヤは本当に驚いて、カノンを見つめた。

「貴方、何で…?」
「幼い頃から聖域にいたら、これくらい容易い事だ。何なら全ての石板を読んでやってもいいぜ?」
「本当?」
「ああ、どうという事はない」

それから、カノンは無造作に散らばる岩に彫られた古代ギリシャ文字をすらすらと読んでは翻訳をした。
ふとサヤを見ると、憧れの表情を浮かべてカノンを見つめていた。

サヤは、カノンが古代ギリシャ文字を読み上げる、カノンの知的な横顔に見惚れ、どうしようもなくときめいていた。
天上の美貌が、また更に魅力的になって、すっかり魅入られてしまっていた。

カノンは、予想以上に知的で素晴らしい男性だわ…。
私では役不足なくらいに…。

ほうと甘い吐息を吐くと、カノンはサヤを立ち上がらせて、抱き寄せた。

「俺に惚れたか…?」

サヤは答えられない。
確かに今日一日でカノンに惚れてしまったと言えば、惚れているのだろう。

でも、カミュとの関係はどうなってしまうの?

戸惑うように、視線を泳がせると、またくいと顎が持ち上げられて、カノンはサヤにキスをした。
蕩けるような甘いキスで、また身体に力が入らなくなり、カノンのなすがまま…いや、カノンのキスに我知らず応えていた。

ダメ…。
これ以上、カノンに触れられたら、完全に陥落してしまう…。
ただでさえ、今日一日で、カノンにどうしようもなく惹かれてしまったというのに…。

カノンは、サヤから明確な答えが得られなくて焦れた。
でも、こうして自分のキスに応えている所を見ると、間違いなくサヤが自分に惚れているのが伝わって来る。
ああ、何て心地のいいキスだ…。

そのまま俺のものになれ。

そんな想いで、長い長いキスをすると、サヤが苦しそうにカノンの胸をとんとんと叩いたので、ようやくカノンはサヤを解放した。

「カノン、酷いわ…。私の答えを聞かずにあんなキスをするなんて」
「その割に、俺のキスに応えていたようだが?」

そう言うと、サヤは頬を染めて俯いた。

「カミュとの関係が崩れるのが怖いの…」
「またカミュか…」

サガではなかった事に安堵しつつも、弟への愛情へ、呆れられずにいられない。

「カミュはいつまで経ってもお前の弟だろう?何も関係など変わる訳がない」
「それでも、一緒にいる時間が減るわ。10年以上もカミュと離れ離れで、再会してからはまだ数ヶ月しか一緒にいないもの。まだまだカミュと一緒にいたいわ」
「なるほどな…」

カミュの姉への愛情も考えると、まだまだサヤもカミュから離れられないのかも知れない。
時期尚早だったか。

そうカノンが納得してサヤをそっと解放した時の事だった。

「カノン、聖域の境界で一体何をしている?」

そこに立っていたのは、自分と全く同じ格好をしたサガだった…。

⇒Next Act.

2014.7.18 haruka

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