邂逅


俺は、偶然手に入れたポセイドンの力によってスニオン岬の岩牢から脱出し、海闘士達を結集させつつ、しかし生活はアテネで送っていた。
スニオン岬から少し離れた場所という事と、繁華な街に身を潜められるという事が好都合だった。
ポセイドンの財宝を売り、手狭ながらも腰を落ち着けられる棲家を得ると、俺はそこで独りで生活をしながら、俺を殺そうとした兄に恨みを募らせていた。

いったいどれだけの時をあの岩牢で過ごしたか。
何度死にかけたか。
決してとても仲の良い兄弟とは言えなかったかも知れないが、互いをそれなりに思いやって来た。
なのに、何故サガは俺を殺そうとしたのか。

憤懣やる方ない俺は、アテネでの生活に慣れると女の腕の中を渡り歩く生活を送り始めた。
禁欲的なサガならば眉を顰めそうな生活だが、生活も保証され、性欲も満たされる。
生まれ持ったこの姿が女に与える影響を俺は熟知していた。

サガと共にいない空白の時は、何故だかとても空虚で、まるでぼんやりと過ごしているかのように時が過ぎて行った。
まだ人も少ない海底神殿でトレーニングをしたり、海将軍達を各地から召喚してそれぞれの修行地に送り込んだり、アテナとの戦いへと備えて行く間も心はどこか虚ろだった。

それでも、俺は野望のために密かに計画を着々と進めて行った。
俺とサガを引き裂いた、憎いアテナを滅ぼして、再び出来る事ならサガと世界を征服するために…。

長い時をかけながら、アテナとポセイドンを一騎打ちにさせて共に葬り去る計画が段々と現実味を帯びて来た頃には、俺は26歳になっていた。
あとはポセイドンの復活を待つのみ。
そして、いずれ聖域に戻ってくるアテナを待つのみ。

俺は、相変わらず特定の女と短くて数ヶ月、長くて数年恋人同士として過ごしては別れるという生活を送っていた。
女の方は恋をしていても、俺はいつもどこか冷めていた。
中には好みの女もいた。
それでも、いつかサガが言っていたように大切過ぎるほど大切な女はいなかった。

あの少女、由良はサガと俺が離れ離れになった後、どうなったのだろう…。

まさか、悪のサガに…?
そう不憫に思う事もあったが、結局どうでもいいという結論に至った。
由良の身に何かがあっても、それは俺を殺そうとしたサガへの罰なのだと言い聞かせて心の中で笑っていた。

そう、あの日、出会うまでは…。




私は石畳の狭い路地に気を付けながら、買い物と病院に出かける所だった。
サガと離れ離れになって3ヶ月、私は初めての妊娠にとても不安を抱いていた。
悪阻も初めての体験で、仕事の疲れで流産しないかとか、心配でたまらなかった。
初めて、エコーで胎芽を見た時にはどれだけ嬉しかっただろう。
サガとの子供がこの身体に根付いている。
離れてしまっても、それが私とサガの絆で、正しく血を分かち合った愛の結晶だ。

だから、私は大切にしたかった。
そして、今日の検診でお腹の子供がどこまで成長しているかとても楽しみだった。

足元からふと目を上げて、今度は道行く人々にぶつからないように気を付けて歩き始めた時、とても懐かしいブロンドの後ろ姿を見つけた。
今までも、何度か似た後ろ姿を見つけては追いかけては、サガとは似ても似つかなくて落胆していた。
私はまだサガが帰って来るのではと期待していた。
もしくは街中で出会うのではと。
今回もまた後ろ姿だけが似ている別人なのかも知れない。
しかし、あの背の高さといい、髪の癖まで同じで私の胸は高鳴った。

…その人には、彼女が腕をしっかり絡ませて歩いているから間違いなく別人だろうけれど…。

どうせ病院と同じ方向に歩いているから構わない。
出来ればよく似た後ろ姿をもう少し見ていたかった。
サガの面影に想いを馳せたかった。

仲良さげに歩いている彼女が、サガに似た男の人の腕を引いて、お店を指差した。
後ろ姿で見えなかった横顔が露わになった瞬間、私はバッグをぶら下げたまま両手で口許を覆い、そして涙が溢れてくるのを感じた。

面影だけでもいい。
ずっとずっと会いたくてたまらなかったサガの姿がそこにあった。

思わず私は小走りに駆け出して、その人の背を追いかけた。

「サガ!!」

サガそっくりの男性は、サガの名を聞くとピクリと身体を震わせ、足早に彼女の肩を抱いて歩き出した。

やっぱり別人なんだ…。
でも、それなら何故、サガの名前に反応したの?

私はまたサガの名前を呼びながら小走りに駆け出すと、通行人に派手にぶつかり、転んでしまった。
その瞬間、腹部に激痛が走り、私は恐怖した。
私が守らなきゃいけないのは、サガの面影じゃなくて、今、お腹の中にいる命なのに…。
後悔と不安で涙が零れて行く。
すると、通行人なのか、私の肩に手を置いて背中をさすってくれる人がいた。

「大丈夫か!?」

その声に私は我が耳を疑った。
サガのような深い優しさは感じなかったけれど、紛れもないサガの声だった。
見上げると、先ほどの男性が心配そうに戸惑ったように私を見つめていた。
腹部の激痛に抗いながら、私はその人の顔を見上げて、今度こそその懐かしいサガの面影に涙が溢れ出した。

「サガ…サガ…。ずっと会いたかったよ…」

サガの顔を見つめた後、あまりの痛みに私の意識はブラックアウトした。
最後の瞬間、女の人のヒステリックな声と、サガの厳しい声が聞こえて抱き上げられるような感覚がした。





俺は、「サガ」と呼ばれて嫌な予感がした。
聖域関係の人間である事は間違いない。
さっさとまいてしまって、関わらないに限る。
そう思って女を連れてやや足早に歩き出した。
しかし、サガを呼ぶ女の声は切迫詰まっていて、俺はいつかサガから聞いた女の事を思い出しかけた。
でも、サガの事なんて今は考えたくなくて、更に歩調を早めた。

そんな時、小さな悲鳴と共に後ろから追いかける女が転ぶ気配がした。
俺と関わろうとするからだ、と内心不機嫌になったと同時に、その女の身体からサガに似た雄大な小宇宙を感じて、俺は反射的に振り返った。
倒れた女からは確かにサガに似た懐かしい小宇宙が溢れ出していて、それが急激に小さくなって行く。

何故…?
まさか…まさか、サガの子か!?

そう思い至った瞬間、俺は駆け出していた。

うずくまる女の背を撫でると意識があってホッとした。
しかし、小宇宙が弱まって行く。
俺の顔に焦りの表情が浮かぶのが分かった。

「大丈夫か!?」

背中をさすりながら声をかけると、額に玉のような汗を浮かべて女が俺を見上げた。
女は懐かしそうに俺を見つめ、涙を流した。
ウェーブがかった琥珀色の髪に吸い込まれそうなグリーンの瞳をした女だった。
どこかで聞いたことがある、と記憶の糸を俺は辿り始めた。

「サガ…サガ…。ずっと会いたかったよ…」

恋しくてたまらなかったという気持ちがありありと分かる声音で囁かれて、俺は鮮明に思い出した。
サガが俺に打ち明けた、サガの唯一無二の最愛の女の事を。
ブラウンの髪に吸い込まれそうなグリーンの瞳をもつ、日本人とギリシャ人のハーフの由良。
まだ俺とサガの仲が良かった時に、聞いた話だった。
相変わらずサガはあの頃からずっと由良を愛していたのだと思うと、我が兄ながら微笑ましいような、しかし同時にとても嫌な予感がした。

何故、サガは由良と共にいないんだ?
何故、由良はサガを恋しがって泣く?

色々と聞きたい事はあったが、由良はすぐに気を失ってしまい、俺は慌てた。
小宇宙が小さくなって行くのが心配で仕方ない。
あんなに恨んでいた兄なのに、こうして目の前でよく似た小宇宙が小さくなって行くのを感じると、言葉では言い表せない喪失感で心が苦しくなった。

「ねえ、カノン、放っておきましょうよ」
「黙れっ!!」
「サガって誰?」
「だから黙れと言ってるっ!!」
「何よ!私とのデートより、知らない女を取るわけ!?」
「生憎だが、知らない訳ではない」
「嘘!!」
「多分、俺が守ってやらねばならん女だ。口出しは無用だ。俺は急ぐ。お前は帰れ」
「信じられない!」

俺は喚く女を無視して、由良のバッグの中の母子手帳を確認した。
やはり、由良はサガの子を妊娠していた。
あんなにサガの事を憎んでいたのに、何とも言えない喜びがふつふつと湧くと同時に、今の由良の状態が心配でたまらなかった。
病院へ連絡を入れると、大きな病院へと案内されたので、俺は由良を抱き上げてそこに真っ直ぐに向かった。
そこで由良が処置を受けている間、ずっと俺はサガによく似た小宇宙に祈っていた。

とにかく、生きろ、と…。

やがて、由良の長い睫毛が震え、由良はそっと目を開けた。
オレンジ色がかったグリーンの瞳がとても印象的な目と合うと、また由良は涙を浮かべた。

「サガ…帰って来てくれた…」

そんな瞳と声で泣かれてしまったら、関わりたくないという気持ちが大きく揺らぎ、俺はどうしようもなく由良のそばに、いや、サガの子どものそばにいてやりたくなった。
あのサガが、あそこまで愛していた由良を独りにしている事が気になって仕方がない。
俺は初めてサガを知る人間に対して名乗った。

「俺はサガではない。サガの双子の弟、カノンだ」
「サガの弟…?カノン…?やっぱり、サガじゃなかったのね…」

由良は静かに泣いた。
俺はどうして良いか分からず、そっとその頭を撫でてやる事しか出来なかった。

「頭の撫で方まで、サガと一緒。本当に双子なのね…」
「俺はサガではないぞ」
「分かってる」
「本当は分かってないだろう」
「…そうね。サガに会いたくて会いたくて。サガの面影だけでいいから、カノンにそばにいて欲しいって思ってしまうの。容態が落ち着くまででいいから、お願い…」

容態、と聞いて、俺はまた心配でたまらなくなった。
サガと由良の間に何があったのかも気になる。
あの堅物が、最愛の女をこのように放っているのも気になって仕方がない。
それに、サガに似た小宇宙を何故かもう少し感じていたかった。

「お前の容態が安定するまでの間だけだからな」

そう素っ気なく答えると、由良は目に涙を浮かべて微笑んだ。

「ありがとう、カノン」

その微笑みがあまりに綺麗で哀しくて。
俺は、由良の瞳に釘付けになった。


あの日、俺はサガの代わりに由良を守ると心の中で誓った。
その後、惹かれてしまいそうな予感を打ち消して、ただ、兄の代わりに徹して守り続けようと、俺は誓った…。

サガの子を守りたかった。
初めて俺の中に芽生えた、誰かを守りたいという気持ちだった…。


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