07. 悪夢の真相


あの泉の畔で、初めて私は悪夢の声に敗北し、自分自身を乗っ取られてしまった。

夢が現実になった瞬間だった。

幸い由良を手酷く傷付ける事はなく、己を見失う時間も短く、すぐに我に返ったが、恐ろしくてたまらなかった。

私はやはり狂ってしまっている…?

私でない私が穢した由良の唇を清めたくて、私は何度も触れるだけのキスをして、夕暮れ前に由良を小屋まで送り、次にカノンの小屋へと向かった。

私の理性がどこまで持つか、こうなってしまった以上、私にも予測不能だ。
まさか、ただのプレッシャーから見ていた夢が、夢という殻を壊して現実世界へまで干渉してくるようになるなんて、思いもしなかった。

こんな事を相談出来るのはカノンしかいない。
カノンと私は運命共同体。
タイプは全く違うが、あらゆる意味において、言葉すらなしでも意思疎通出来るのは、一卵性双生児だからなのかも知れない。
カノンは私の事に関しては口が堅いし、真剣になって聞いてくれる。

私は逸る気持ちでカノンの下を訪れた。
カノンの小屋へと着くと、トレーニングの後なのか、風呂上りのカノンが部屋で寛いでいた。

「兄さん、どうした?」

私の表情を見ると、途端にカノンは眉を顰めて心配そうな表情になった。

「カノン、相談に乗って欲しい」
「兄さんがそんなに焦っているのは珍しいな。相談とは?」
「ああ…。余りにも馬鹿げてるかも知れない…。夢が現実世界へまで干渉してくるなんてな」

カノンは訝しげに首を傾げた。

「夢の現実世界への干渉…?兄さん、まさかっ!?」

カノンはすぐに思い至ったらしく、驚愕に目を見開いた。

「その、まさか、だ。今日、オレは由良と出かけた。その時に、あの夢の声に一時的とはいえ支配されて、オレは全く動けなかった。由良を穢すようなあんなキス、オレは絶対に嫌だったのにっ!!」

カノンは信じられないという風にしばらく私を見つめて、そして憂いを帯びた表情で深い溜息を吐いた。
そして、言葉を探すようにじっと自分の手元を見つめている。

「カノン、頼みがある」
「何だ」
「オレがもし狂ってしまったら、オレを殺して欲しい」

カノンは弾けたように顔を上げた。

「嫌だっ!!兄さんを殺すなんて絶対に嫌だっ!!」
「お前は晴れてジェミニのカノンになれるだろう?」
「それとこれとじゃ話が別だっ!!この手で兄さんを殺すなんて…!!嫌だっ!!」

カノンの目に涙が盛り上がっていって、それが頬を濡らして行った。

「何でだよ、サガ。神話の時代から俺達双子は運命共同体だろ?運命共同体なら、俺は兄さんを支える。例え狂ってしまっても」
「カノン、お前にしか頼めないんだ。今後の聖域の事も、由良の事も、オレに何かがあったらお前に託したい」
「だから、何で死んでしまうような事、言うんだよっ!!」
「正気でいられるうちに、お前に約束して欲しいからだ。もし、オレの身に何かがあったら、由良の世話を引き受けてくれるか?」

カノンの瞳を覗き込むようにして言うと、カノンは涙で濡れた目のまま、それでも固い意思をした瞳で頷いてくれて、私はようやく安心した。

「正気でいられるうちに、って、そんなに酷いのか?」
「正直夢見は酷い。悪化する一方だ。あまりよく眠れていない状態だ」
「じゃあ、ただの睡眠不足なのかも知れないじゃないか」
「睡眠不足、な。ただの睡眠不足だったら、どんなに救われる事か…」

私は泉での出来事を思い出して深い溜息を吐いた。
我を忘れてしまったのとは違う、あの感覚をどう説明すれば良いのか。
私自身初めての経験を、双子とはいえ他人に理解を求めるのは難しいような気がした。
この私ですらまだ混乱しているのだから。

「兄さん、俺達、精神攻撃の技を使うだろ?」
「ああ、そうだ」
「俺、考えたんだ。今の兄さんは、睡眠不足で極度に精神的に衰弱している。つまり、技にかかりやすい状態だ。心の隙を突くとまではいかないけれど、睡眠不足で、一時的に意識が持っていかれて、白昼夢を見たんじゃないか?夢と現実世界が繋がる接点なんてそれしか思い付かない」
「そうだろうか…」
「でも、そう考えると辻褄が合うだろう?」
「確かに、な」

白昼夢とは言い難いほどの、あのリアルな感覚をどう説明すれば良いのか。
カノンの表情を見ると、どこか切羽詰まっていて、本当は私の言いたい事を知っているのに、はぐらかして必死にフォローしているような気がした。

「兄さん、今日は泊まって行ってくれ。兄さんを1人で双児宮に帰す訳にはいかない。悪夢にうなされ始めたら俺が起こす。それに…この目で確かめたい。話だけじゃ、流石に双子でも分からないからな」
「しかし、十二宮には幼い黄金聖闘士が…」
「アイオロスに任せればいいだろ?それに教皇だけは俺達が双子だって知ってるんだ。俺の部屋に泊まっても今まで大丈夫だったじゃないか」
「そう、だな…」

そう頷くと、カノンはようやく明るい笑顔になって、私の肩をぽんと叩いた。

「じゃあ、兄さん、風呂に入って来いよ。俺、夕飯の仕度するから」
「仕方がないな。では、オレは教皇に連絡を入れておく」

教皇に連絡を入れて、ゆっくりと風呂へ入ると少し落ち着いて来た。
それでも、昼間のあの出来事を思い出すと恐ろしい。
突然身体のいうことが聞かなくなって、私の意識は身体の外側へ閉じ込められた。
そして、私でない私が、由良の唇を穢している。
あんなおぞましいキスなんて絶対に嫌だったのに。
悔しい事に、私はその様子を外側から見ている事しか出来ない。
そして、もっとおぞましいのは、意識は身体の外側にあるにも関わらず、五感だけはリアルに由良の感触を感じるという事だ。

私は、私自身が汚らわしくて、何度も身体を洗ってそしてようやく風呂を出た。

風呂から上がると、既に食卓に料理が用意されていて、私はカノンと共に夕食を共にした。

「兄さん、やっぱり食欲まで落ちているんだな」
「そうか?」
「無自覚なのか。俺と全く同じ体型なんだ。見ればすぐに分かる。今日は十二宮へ帰さなくて良かった」
「お前がそう言うなら、そうなのかも知れんな」
「今無理に食べろとは言わない。でも、明日はしっかり食べろよ?」
「分かった」

私が微笑むと、カノンもホッとしたように微笑んだ。
2人で片付けをして、食後のコーヒーを飲んでいると、カノンが気遣わしげに私を見つめた。

「兄さん、休めるなら、休んだ方がいい。寝てないんだろう?俺も隣りで寝る」
「隣りで?子どもみたいな奴」
「隣りじゃないと起こせないじゃないか」
「確かにな…」
「じゃあ、もう寝ろよ。寝だめするつもりでな」
「分かった分かった」

カノンは私の手を引いて、寝室へと行った。
2人で寝るとなると少し狭いベッドだが、眠れない事はない。
1人で悪夢にうなされるより、目覚めてカノンが隣りにいて、これはただの夢だと言ってくれる方がずっとありがたい。
私はカノンと共にベッドに横たわり、ぽつりぽつりと言葉を交わしているうちに、独りではないという安堵感から間もなく眠りに落ちて行った。



俺はサガが眠りに落ちたのを確認して、じっとその無表情な寝顔を見つめていた。
月の蒼白い光に照らされると、その色白の肌がまるで死人のような色に見えて俺はぞっとした。

サガがどこか遠くへ行ってしまうような気がした。

しばらくサガの安らかな寝息を聞いているうちに俺も段々と眠くなり、うとうととしていた時の事だった。
サガがうなされ始めた。
うなされたら起こすというサガとの約束だったが、俺には確かめなければならない事があった。

サガの夢の内容だ。

俺は、サガの額に手を当てて小宇宙を高めた。
サガの見ている夢が俺の脳内に流れ込んで来る。
俺は息を飲んで目を瞠った。

アテナを神殿に幽閉して、聖域の全権を掌握して世界の覇権を握り、贅の限りを教皇の間で尽くしている黒髪のサガ。
サガは閉ざされた空間の中で、黒髪のサガの所業を見て血の涙を流している。
黒髪のサガが女を侍らせてそれを楽しんでいるのを見せられながら、嫌だと泣いているサガ。

そして、ブラウンの髪にグリーンの瞳をした少女、由良のシーンに切り替わった。
サガは大切そうに由良にキスをしていた。
見ているこちらも幸せになるような、とても幸せで温かいキスシーンだった。
しかし、サガは苦しみだし、またあの黒髪のサガになると、人が変わったように由良をいたぶり、身体中の隅々まで嬲り始めて、それをまたサガに見せ付け始めた。
サガは絶叫した。

これ以上は、サガの精神が壊れる!

俺は、サガの脳内の黒髪のサガへ攻撃を加えた。

「カノンっ!貴様何をするっ!!私はお前の兄だぞっ!!お前だって同じ欲望を持ってるはずだっ!!」
「ああ、俺は自分の欲望に忠実だから分かるぜ?人間誰しも少なからずそんな欲望があるってな」
「ならば何故私の邪魔をする!?」
「お前は、人間の裏の部分だ。表の存在じゃない。本当のサガを返せ。サガを苦しめるな」
「こちらが本当のサガだ」
「黙れ。消えろっ!」

更に攻撃を加えると、ようやく黒髪のサガはおとなしくなった。
しかし、サガは夜明けまで何度もうなされ、その度に俺は同じように悪のサガを封じ込めなければならなかった。

「カノンよ、お前はアテナが憎くはないのか?サガと同じ実力を持ちながら、ただのスペアとして隠された身の運命にお前を縛り付けたアテナが」
「黙れっ!!」
「カノンよ、共にアテナを葬り、この私と世界を掌握したいとは思わぬか?お前も晴れて日向の身だ」
「クッ…!!サガが教皇になれば、そんな必要はない。黙れっ!!おとなしくしろっ!!」

俺は殊更強くサガの別人格を封じ込めた。
額からぽたぽたと汗が落ちる。

まさか、サガがここまで病んでるだなんて思わなかった。
あの優しいサガが、殺してくれと言うのも分かる。
でも、俺は絶対に嫌だった。
喧嘩ばかりしているけど、誰よりも優しくて穢れのない、大切な兄を殺すなんて絶対に嫌だった。


本当は最初から気付いてた。
サガの夢はただの夢じゃなくて、サガのもう一つの人格の芽生えだったのだと。
清廉潔白過ぎるサガが己を律し過ぎて産まれた強大な邪悪な別人格なのだと。
元々優しくて、壊れそうなほど繊細なサガが、双子の運命故に壊れ始めた前兆だった。


あの時サガを殺していれば、サガはまだ幸せでいられたのかも知れない。
その後の、大きくて辛過ぎる悲しみを知らなくて済んだのかも知れない。
でも、俺はサガを失いたくなかった。
それもこの俺の手で殺すなんて出来なかった。

アテナのための教皇選抜が、アテナを守るはずのサガをこんなにも苦しめている。
聖域のしがらみさえなければ、俺達は双子として堂々と外を歩けるというのに。

俺は、運命を呪った。
俺達に過酷な運命を課した教皇とアテナを。
俺の心にアテナへの憎しみが芽生えた瞬間だった。

しかし、そのアテナへの憎しみこそが、俺達を引き裂く事になるなんて、その時は知る由もなかった。
大切な大切な双子の兄を、自分の幼さ故に、孤独で辛い運命を歩ませるだなんて、その時は思ってもみなかった…。


2014.8.15 haruka



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