05. 弟


私の夢見は悪くなる一方だった。
教皇になって、アテナの名代として世界を征服しようとする、私でない私。
嫌がる由良を無理矢理に押し倒して、汚らわしい手付きで由良を嬲り犯す、私でない私。
そんな夢を見る度に、怒りに燃えた自分の声で目を覚まし、汗も拭わないまま悔しさと悲しみの涙を流すのだった。

あまりにも酷すぎる。
私は世界など望んでいない。
アテナをお守りするためだけに戦いたい。
私は由良を愛している。
いつの日か、アテナがお認めになった暁に花嫁としてこの腕で抱き締めたい。
それまでは、決して穢さず、大切に大切に守って行きたい。

あんなの、私の願望などではない。
そう思うと、悲しくて辛過ぎて、涙が止まらない。
そんな私を、またあの声がそれがお前の願望だと嘲笑する。

一体いつまで、この声は私を苦しめるのだろう…。

私は、黙れと言って首を振りながら涙を流す夜明けを何度も迎えていた。

ある日、カノンの下をいつものように訪れると、カノンがやや心配そうに私を見つめた。

「兄さん、最近顔色が悪いが大丈夫か?」
「ただ夢見が悪いだけだ、問題ない」
「夢見…?ただの夢で毎日そんなに憔悴するものか?」
「カノン、お前のせいかも知れんぞ。オレが教皇になって、お前が晴れて日向の身になりジェミニのカノンとして2人で聖域に君臨するなどと言うから」
「兄さんが教皇になるのは決まったようなもんだろ?ならば、俺がジェミニのカノンになるのは当然の事じゃないか」
「それはまだ決まった事ではないだろう。…オレは怖いんだ。夢の中で、オレが教皇として君臨し、世界征服を企んだり、あまつさえ、オレの大切な由良を…」

そう言いかけて、私はハッと口を噤んだ。
弟とはいえ、夢の内容まで話すべきではなかった。
それに、愛する者が既にいるなど、模範的な聖闘士として失格だと思ったからだ。
この想いは決して捨てられはしないというのに。
カノンは怪訝そうに片眉を吊り上げ、そしてフッとからかうように笑った。

「兄さん、由良って?」
「そ、それは…」
「兄さんの彼女の名前?」
「っ…!!」

私が答えられないでいると、カノンは楽しそうに笑って私の瞳を覗き込んだ。

「安心したぜ。あんまりにも清廉潔白だから、そのうち耐え切れなくて発狂でもするんじゃないかと思ってたが、ちゃんと彼女がいるんだな」

発狂、という言葉に、またあの声が蘇って来そうで私は恐れたが、今回は何も聞こえなかった。
私は深い溜息を吐いた。
双子だからこそ話せる事もある。
カノンの前で口走った以上、ある程度は話しても大丈夫だろう。
カノンは隠された身なのだから。

「あ、ああ、そうだ」
「どんな彼女?聞かせろよ」
「そうだな…。由良は、この聖域のギリシャ人の母と、今は行方知れずの日本人の父との間に生まれたハーフだ。そのため、村人達に冷遇され、早くに母を亡くしたという。天涯孤独の身だ」
「天涯孤独の日陰の身、か…」

カノンは神妙で悲しそうな面持ちで、私の言葉を繰り返した。
そして、カノンはまた興味津々という表情になった。

「なあ、兄さん。ハーフって可愛いのか?」
「他のハーフを知らないから何とも言えんがな。由良は可愛らしいとオレは思う。金髪碧眼ではないが、紛れもないギリシャ人の顔立ちだな。日本人には全く見えない。ブロンドを濃くしたような、ウェーブがかったブラウン…そうだな、琥珀色の髪に、オレンジ色で縁取られたグリーンの瞳をしている。とても不思議な吸い込まれそうな色の瞳だ。上手くは説明出来んがな」
「へえ、ギリシャ人の顔立ちでブラウンの髪にグリーンの瞳か。で、どこまで行った?」

カノンは意味深に笑みを深めて、目を輝かせながら身を乗り出した。

「どこまで、とは?この聖域からは出ていないが…」

何の事か分からず戸惑いながら答えると、カノンは呆れたように溜息を吐いた。

「兄さん、鈍いにもほどがあるぞ。手を繋いだとか、キスをしたとか、その先まで行ったとか、そういう事だ」
「なっ!?」

私はカノンのあまりの言葉に絶句した。
そ、その先だと…!?

「カノンっ!!お前はまた聖闘士としてあるまじき発言をっ!!その先だとっ!?」
「兄さん、落ち着けよ。何も兄さんがそんな事してるだなんて思ってないさ。その先、だなんて特にな。でも、好きな子を抱き締めたいとかキスしたいとか、普通だろ?」
「そ、そうなのか…?」
「はぁ…流石に呆れるぜ。それが普通だ。可哀想な子だな、その由良って子も。兄さん相手じゃキスすらしてもらえないからな」

カノンは大きな溜息を吐いて天井を仰いだ。
私はカチンと来てカノンを睨み付けた。
初めてのキスの日以来、由良と会うと、人目を忍んで何度もキスを繰り返している。
抱き合うだけで、キスするだけで、幸せでたまらない、そんな日々を過ごしている。
キスの後に見つめ合うひと時がとれだけ甘くて幸せな事か…!
由良が可哀想だなんて言いがかりにもほどがある。

「由良が可哀想だとっ!?キスならしているっ!!カノン、お前に憐れまれる筋合いなどないぞっ!!」

私が声を荒げると、カノンは驚いたように目を瞠った。

「兄さんがキスを!?」
「ああ、そうだ。何かオレに言いたい事でもあるのか!?」

尚もカノンを睨み付けていると、やがてカノンは額に手を当ててくすくすと笑い出し、終いには声を立てて大笑いをした。

「何がおかしい、カノンっ!!」
「いや、嬉しくて、な。そうか、そうか…。ははっ!!兄さんも俺と同じか」
「お前と同じ…?」
「キスの事だ。兄さんも俺に追いついたんだなって思ったら嬉しくてな。先に言っておくが、流石に俺だってその先はまだだからな。怒るなよ?」
「驚かせるな、カノン。そうか、お前と同じか」
「ああ、そうだ」

カノンはまた嬉しそうに笑って私の頭を小突いた。

「兄さんも隅に置けないじゃないか。その由良って子、良かったな!でも…夢の中で何があったんだ?何やら不穏な夢だぞ」

カノンはまた心配そうな顔つきになって、私をじっと見つめた。
私は話そうか酷く迷ったが、カノンにしか話せないと決断した。

「カノン…。こんな事、お前にしか話せない。夢の中で、まるで別人な悪魔のようなオレが、毎晩のように無理矢理に由良を犯すんだ。オレはガラスの向こうで、止めろと叫びながら見ている事しか出来ない。それが、毎晩続くんだ。教皇の事も…」
「そうか…」

カノンは目を伏せて私の頭をそっと撫でた。

「兄さんは気負い過ぎなんだ。清い聖闘士であろうって無理しすぎなんだ。何もそこまで気負わなくても、兄さんは教皇になれる。本当は俺の事を日陰の身からジェミニのカノンへと日向の身にしたいって思ってるのも知ってる。双子だから分かる。そのプレッシャーで妙な夢を見るんだろ?教皇の座が欲しいって素直に言わないで無理するからだ」
「教皇の座が欲しいだなんて言える訳がないだろう。そんな不敬な事を」
「だから、俺の前では素直になれよ、兄さん。それから、由良の事だが…」
「由良の事…?」

カノンは優しく、そしてどこか羨ましげに私を見つめて微笑んだ。

「兄さん、よっぽど、その由良って子の事を愛してるんだなって。大切過ぎて傷付けたくないんだろ?」
「ああ、その通りだ。だから、あの夢が辛くてたまらない。本当に由良の事が大切なんだ」
「羨ましいぜ。俺はそこまで惚れ込んだ子はまだいないからな。それでも、分かるぞ。惚れ込んだら、キスだけじゃ物足りなくなる気持ち。その先に進んだら後戻り出来なくなりそうで怖いって気持ち。兄さんはそんな事したくないって気持ちが強過ぎて、最悪の事態の夢を見るんじゃないか?」
「それでは、世界征服の悪夢も由良の悪夢もオレの願望ではないという事か?」
「当たり前だろ?この堅物の兄さんがそんな事を望むはずないじゃないか!」

カノンは明るい笑顔を浮かべた後に、真剣な面持ちになった。

「兄さん、俺、兄さんが由良の事を本当に愛してて、由良も望むなら、その…キスの先まで進んでいいと思う」
「カノンっ!?」
「だって、考えてみろよっ!お前の事だ。由良以外に愛せないのも分かるし、そうしたら花嫁として迎えるしかないだろ?遅かれ早かれそうなるんだ。だったら、躊躇う事なんてないじゃないかっ!」
「カノン…お前は、また悪事をこのサガに吹き込んで!アテナがお許しにならなければ、オレは由良を諦める!」
「何だと!?一人の男の幸せすら認めないアテナなど、愛の女神ではない!」
「アテナを冒涜するな、カノン!」
「いい加減、肩肘張るのを止めろよ兄さん!」

私とカノンはその後すぐに掴み合いの喧嘩になった。

模範的な聖闘士でありたい。
模範的な聖闘士でなければならない。

それは、アテナのため、そしてカノンのためだというのに何故分からないのか…!?

私はその頃、そう頑なに思い込んでいた。

しかし…。
本当に正しかったのは、カノンの方だった。

もっとカノンの言葉を素直に受け入れていれば…。
もっと素直に自由に生きていられれば…。
自分をあんなに追い詰める事はなかった。
狂ってしまう事もなかった。

あんなにも多くの人々を傷付ける事なんてなかった。

カノンも、由良も。
そして、私自身も…。


2014. 8. 13 haruka


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