15. ホワイトクリスマス


由良を抱き締めて泣いたあの日以降は、グラード財団の孤児達の師匠となる聖闘士の選定で大忙しだった。
加えて、各地での鍛錬の様子などが次々に報告されて来て、執務は今までにないほどの忙しさを極めていた。
瞑想は、各地の情勢を探るので精一杯で由良に会う事も出来ない。
唯一、眠る前に由良と携帯でメッセージを交わしたり、少しだけ電話で話したりする事だけが癒しのひと時だった。

悪の私は、私の執務の能力を買っているのか、最近では全く表に出て来なくなった。
このまま消えてなくなればいい。
もしかしたら、もう消えてなくなっているのかも知れない。
それくらい、私はずっと正気を保っていた。
何故15の時に狂ってしまったのか不思議なほどに。

偽りの教皇として執務を行うのにはまだ抵抗があるが、それでも私が姿を消せば今まで育て上げた聖闘士達が動揺する。
他の神々に弱みを見せないためにも、私はこの仮面を被り続けなければならない。
だから、私はとにかく仕事に打ち込み続けた。

もうすぐ秋が終わり冬の到来を告げる頃、由良からメールが届いた。
2年前に約束した、24歳のクリスマスイブの件だった。

由良に縋って泣いた日以来、由良とは会っていない。
教師として一年間余り働いた由良は新米ながら立派な教師になっただろうか。
メッセージでは、生徒に慕われている教師として上手くやっているようだった。
生徒と写真に写っている由良は生き生きとしていて、生徒達も嬉しそうに笑っていた。
そして、すっかり大人の女性になった由良はますます魅力的な女性へと成長していた。

出来れば、卒業式に由良を祝いたかった。
美しく成長していく由良を、写真ではなくこの目で見守りたかった。

私は、クリスマスイブの日は予定を何も入れず、久々の瞑想の部屋に入って誰も近付けないようにするつもりだった。
由良のメールには、パリのホテルの名前が書いてあって、スイートルームを押さえてあるとの事だった。
スイートルームならば、ゆっくりと寛げそうだった。

私も世間のクリスマスを知らない訳ではない。
私はモバイルルータを手に入れて、Macで由良へのプレゼントを探し始めた。
そして、ある指輪が目に止まった。

ダイヤモンドで花の形が作られている煌びやかな指輪だった。
それは、聖域で初めて由良に出会った花畑を連想させた。
私達にとって、これ以上はないほどの思い出が詰まった指輪に思えた。
私はいまだにあの出会いが忘れられない。
由良の美しい不思議な色をしたグリーンの瞳に魅せられた事も。

その指輪はフランスのブランドなので、パリで手に入れるのに丁度いい。
私はブランド名を頭に叩き込んだ。

そして、執務に忙殺されているうちに、由良との約束の日が近付いて来た。
私はその数日前から瞑想の部屋に篭り、私の幻影を残してそっと聖域を抜け出し、由良の部屋で過ごしていた。

「サガ、何だか疲れているけど大丈夫?」
「ここで疲れを取ってからパリに向かえば問題ない。滞在が短いから荷造りもすぐに済むだろう」
「パリは寒いから、冬支度しなきゃ。サガもカシミヤのコートとマフラー、持って行った方がいいよ?お天気見たら、雪だって。ホワイトクリスマス、憧れだったんだ」
「ホワイトクリスマスか。エッフェル塔のそばのクリスマスツリーとイルミネーションが確か有名だったか」
「サガも知ってるのね」
「それくらいはな」
「じゃあ、私、サガの分も荷造りするから、先にベッドに行ってて」
「いや、コーヒーを淹れてソファで横になる。お前が眠る頃に私もベッドに行く」
「うん、分かった」

由良は始終笑顔で、よくよく考えたらこれが由良との初めての海外旅行だと気付いた。
私は別段海外旅行には興味がなかったが、雪というものをギリシャで見る事が滅多にないので、興味を持った。
アテナしか信仰していない私がキリストを祝うのもおかしな話だが、9年前にアテナを殺害しようとした私はどの神も信じる資格がない。
キリストを祝うのも悪くないと思えた。

コーヒーを飲みながら寛いでいると、由良はスーツケースを持って現れて、それを玄関に置いた。

「そんなに持って行くのか?」
「中身は冬の洋服だよ。結構かさ張るんだね」
「ならば、着て行けばいいだろう?」
「そうだね。そうしたらお土産も入るし」
「そんなに買うのか?」
「分からないから持って行くの」
「はぁ…好きにしたらいい」
「サガ、ありがとう!そろそろ寝ようか」
「そうだな」

それから、ベッドに移動して私はいつものように由良を抱き締めて眠った。
抱き締めると、由良を抱きたくてたまらない、切ない気持ちでいっぱいになる。
それでも普段の疲れがたまっていたのか、由良の存在に安心していたのか、私は夢も見ずにぐっすりと眠る事が出来た。
あの声は聞こえなかった。

次の晩、由良は窓の外を一心に見つめていた。

「由良、どうした?窓の外に何かあるのか?」
「冬の大三角形と、ふたご座。会えない時は、こうしてふたご座を眺めていたの。ふたご座がサガに私の想いを届けてくれるような気がして…」
「メッセージを送り合っていただろう?」
「それでも伝えきれない想いがたくさんあったから。サガ、愛してるよ」
「私もお前を愛している。何も今、ふたご座を眺める必要はないだろう?私はここにいる」
「うん…」

私を振り返った由良の目には薄っすらと涙が浮かんでいた。

「サガは笑っているはずなのに、微笑みがどこまでも寂しそうで。サガが消えてしまいそうな気がするの。私、サガが好きでたまらない。サガが消えてしまったら、と思ったら悲しくて悲しくて。ふたご座に願ったら、私の想いがサガに届くと思ったの。会いたくてたまらなくて、もう一度強く抱き締めてって。一人で眠るの、寂しくて辛かった」

切々と由良の想いを聞かされたら、私まで切ない気持ちになって、私は後ろから由良を抱き締めた。

「私はいつも由良を想っている。愛している。私の守護星座がお前に想いを届けるなら、何度でもふたご座に願いを託そう。いつまでもお前を想っていると」
「うん…」
「さあ、もう遅いからそろそろ寝よう。明日からパリだ。気付かれないように早朝にテレポーテーションでパリに行く」
「そうだね。早く寝なきゃ」

由良は切ないくらい淡い、消えそうな微笑みを浮かべると、寝室へ行きベッドに潜り込んだ。
私もベッドに入ると、由良を抱き締めた。
由良は何か物言いた気に私を見つめていたが、私は日頃の疲れからか、由良の温もりのせいなのか、昨日に引き続き間もなく深い眠りに落ちて行った。

翌朝、私達はテレポーテーションでパリに着いた。
ひと気の全くない午前4時、石畳をスーツケースを引きながら歩く。
前日から予約していたホテルでチェックインを済ませ、私達はスイートルームで、また仮眠を取る事にした。
腕の中の由良は、どこか落ち着きがなかった。

パリで何をしようとしているのか気になりながらも、ただ由良と2年振りに眠れる幸せに私は浸っていた。
時折由良を抱きたくてたまらない気持ちになりながらも、その優しい温もりが心地よくて私はまたぐっすりと眠った。

次に起きた時は、午後9時。
店開きの前の、丁度いい時間だった。

「サガ、おはよう」
「何だ、起きてたのか?」
「30分くらい前に起きたばかりだよ。ルームサービスを取って、お昼はレストランで軽食を食べたいな。夜はフルコースにするの」
「随分張り切っているな」
「だって、フランス料理、初めてなんだもの。みんな美味しいって言ってるでしょう?」
「確かにな。フランスとイタリアは料理に外れはまずないと聞いた事がある」
「やっぱりそうなんだ!」
「ルームサービスは、好きなのを選ぶといい」
「うん!」

由良は嬉しそうに頷くと、メニューと睨めっこをして悩んでいた。
それが微笑ましくて、私はダイニングテーブルに肘を着いて、頬杖をしながら由良を眺めていた。
ようやく由良はメニューを決めて、フロントに注文をした。

しばらくして運ばれて来た食事は、朝にしたら豪勢で、由良が食べ切れるか心配したが、余程美味しかったと見えて、思ったよりも早く食べ終えた。

「いつもより食べるのが速かったな」
「だって美味しいし、買い物にも行くし、サガのテレポーテーションで行きたい場所もたくさんあるし」
「明日も泊まるだろう?そんなに慌てなくても時間はある」
「でも、世界遺産と美術館を見て周りたいし」
「そうだったな。では出かけるか」
「うん!楽しみ!」

由良は本当に嬉しそうに微笑んで、私達は今日は世界遺産を見て周る事にした。
アテネの神殿も美しいが、城や宮殿、美術館もよく出来ていて、感嘆の吐息が漏れた。
とても一日では周り切れないほど、その場に佇んで名画や建築様式に見惚れていたかった。
それは由良も同じようで、私達はゆっくりと見物して行った。

夜になると、今度はエッフェル塔が見えるイルミネーションが美しい通りへ出て、クリスマス気分を存分に味わった。

クリスマス気分を味わいながら、私は悩んでいた。
由良に指輪を渡すのはクリスマスイブがいいのか、クリスマスがいいのか。
その時、不意に由良が私の袖をくいと引いた。

「ねえ、お店もクリスマス気分できっと素敵だよ?行ってみたいな」
「そうだな」

由良がどこの店に行きたいのかは分からないが、これは由良にプレゼントを買う好機だと私は思った。

「由良、シャネルがどこにあるか知っているか?」

そう尋ねると、由良は驚いたように目を瞠った。

「うん。どうして?私もブランド街に行こうと思っていたの」
「そうか。ならば丁度良かった。今からそこに行こう」
「う、うん。サガにプレゼントしたい物があるから。内緒で選びたいから、お店の外で待っててくれる?」
「分かった」

私達は、サンノトレ通りという所へ向かった。
由良はカルティエという店に入り、しばらくしてから戻って来た。
ロゴ入りの小さな袋を大切そうに抱えて、満面の笑みを浮かべていた。

「サガが喜んでくれるといいなぁ」
「お前が一生懸命選んだんだ。嬉しいに決まっている。シャネルへ行くぞ」
「うん」

シャネルと聞いて、由良は戸惑っている様子だった。

「どうした?」
「だって、シャネルって高いんだもの。お財布もバッグも憧れるけど」
「そうか。ならば、バッグも財布も見ればいい。私の目当ては違うがな」
「サガの目当てって?」
「店に着いてから、な?」
「うん…」

やがてシャネルの路面店を見つけると、2人で中に入った。
バッグなどを眺めていると、店員がやって来た。

「何かお探しですか?」
「カメリアの指輪を探している」
「カメリアの指輪ですか?ご婚約おめでとうございます。ブライダルコーナーへご案内致します」

私も由良も言葉を失って、目を瞠った。
そして、由良は頬を染めて嬉しそうに私を見上げた。
私はまさかあの指輪にそんな意味が込められていたとは知らず、動揺した。
由良を花嫁に迎えられないこの身で婚約などと、由良を期待させる訳にはいかない。
それでも、あの指輪を由良にどうしても送りたかった。
そして、私達は店員に促されるまま、ブライダルコーナーへと向かった。

そこにはダイヤモンドの指輪がいくつも並んでいた。
その中に、由良に送りたかったカメリアがあった。
可愛らしい花のモチーフがダイヤモンドで出来ている。
花だけのシンプルな物から、リングにまでメレダイヤがあしらわれている物もある。

「シンプルな物がよろしいでしょうか?それとも、ハーフエターニティの物がよろしいでしょうか?」
「ハーフエターニティ?」

聞いた事がない言葉に私は首を傾げた。

「一周ぐるりとダイヤモンドで装飾された物がエターニティリングと呼ばれます。ハーフエターニティは、半周で、サイズのお直しも出来ます」
「ハーフエターニティ、か…」

私の由良への愛は永遠だ。
それでも、もう長くは一緒にいられないような気がした。
由良にはハーフエターニティが相応しいのかも知れない。
私達の運命の象徴として…。

「とりあえず、指のサイズをお測り致しましょう」

由良の指のサイズは11号、私のサイズは17号だった。

「由良、もう少し眺めて悩みたい。先に財布とバッグを見ておくといい」
「私は選べないの?」
「では、この中から3つ候補を挙げろ。その中から選ぶ。どれを買うかは後のお楽しみだ」

すると、由良はあの花畑のような可憐な笑みを浮かべた。
その笑みが愛しくてたまらない。
由良は私の頬にキスをすると、財布のコーナーへと消えて行った。

「可愛らしくて綺麗なフィアンセですね」

フィアンセという言葉に胸がちくりと痛んだ。
でも、仮初めでもいいから、結婚の真似事をしたかった。
切なくなるほどに望んでいた、由良との結婚の白昼夢をここでなら見る事が出来る。

「ありがとう。私の最愛の女性だ。このシンプルなのも着けやすいが、彼女は教師だ。仕事のない日に着けるのならば華やかな方がいいだろうな。パーティの時に映える。このハーフエターニティのカメリアにする」
「かしこまりました。マリッジリングはどうなさいますか?」

私はそこで言葉に詰まった。
マリッジリングは、きっと永遠に由良に渡せない。
それでも、それは私がずっと夢見て来た願望そのものだった。
もし、万が一許されるのなら、由良と共にこの指輪を嵌めたい。
それが叶わなくても、執務室で指輪を眺めながら、由良との結婚を夢見る事が出来る。

きっと切なくてたまらなくなるだろうけれども…。
それでも、それこそが私の切なる願いだった。

愛している。
許されるなら結婚をしたい。

夢見る事くらい許されるだろう?

私は花を模った曲線が可愛らしいカメリアのマリッジリングを指差した。

「これを包んでくれ」
「ダイヤモンド入りのでよろしいでしょうか?」
「ああ」
「かしこまりました」

店員は在庫を確認すると、ペアで入る箱を用意してその中にマリッジリングを並べてラッピングをした。

この指輪の存在は由良には知られてはならない。
下手に期待させたら傷付くのは由良だ。

私は会計を済ませると、由良の下へ向かった。
由良はパーティにもちょっとした買い物にも使えるバッグを見ていた。

「あ!サガ、買い物終わったの?」
「ああ。由良、バッグを見ているのか?」
「うん。最近友達の結婚式が多くて、バッグを探していたの。そうしたら素敵なの見つけちゃった。私のお給料じゃ買えないけど…」

そう呟く由良は淋しそうだった。
友人達が結婚していく中、将来を誓い合えない私といるのはどんなに辛いだろう。
私は由良を悲しませてばかりだ。
罪滅ぼしのために、私は贈り物をする事しか出来ない。

「普段使いにも出来るではないか。持っていて損はないぞ。揃いの財布と一緒に買ってやるから、そんなに悲しい顔をするな」
「え!?いいの!?」
「これで由良が喜ぶなら安い物だ」

私は店員を呼んで、由良が欲しがっているバッグと財布を買った。

「わぁ、ありがとう!」
「喜んでくれて何よりだ。他に買いたい物は?」
「明日、また考える。荷物増えたからホテルに帰ろう?」
「そうだな」

私は荷物を片手で全て持ち、由良と手を繋いでホテルの部屋に戻った。
部屋に戻ると荷物の整理をして、私は結婚指輪をこっそりと自分の荷物に忍ばせた。
その間、由良はシャネルのバッグに見惚れていた。

「これから食事に行くだろう?ドレスコードのある店かも知れないから私は着替える。お前はそのバッグを持って行くといい」
「え?いいの?」
「ああ。お前もイブニングドレスに着替えろ」
「うん、分かった」

お互いに着替えると、老舗のレストランへ向かい、ゆっくりと食事をした。
ギリシャ料理とは違って、見た目から味までこだわった料理はとても美味で、由良は写真を撮りながら嬉しそうに食事をしていた。

「サガ、すっごく美味しかった!また明日は違うレストランに行きたいな」
「お前が喜ぶならどこでもいいぞ」
「嬉しい」
「ドレス姿のお前も綺麗だな」

私も携帯を取り出して、由良の写真を何枚も撮った。
これも私達の思い出になる。
少しずつ増えて行く由良の写真は、私達が過ごした時間の足跡だ。
眺めていると、様々な思い出が蘇って来る。
今回の旅も、忘れられない思い出になる。

「そろそろ帰るぞ」
「そうだね」

私達は寒空の下、手を繋いでゆっくりと歩いて行った。
すると、頬に冷たい水のような物が当たり、気のせいかと思ったらまた水滴のような物が当たり、雨かと思って空を見上げたら白い雪が降り始めていた。

「サガ!ホワイトクリスマスだよ!」
「まだクリスマスイブだぞ?」
「あと2時間くらいで日付が変わるもの。今日は少しだけ遅くまで起きてる!ホテルの部屋から雪を眺めるの」

そう言ってはしゃぐ由良は、聖域で恋に落ちた頃の幼い由良に戻ったようだった。
私は由良を抱き寄せて、触れるだけのキスをした。

「私も雪のクリスマスは初めてだな。由良、身体が冷えるから部屋に戻るぞ」
「もうちょっとだけ眺めていたいな」
「はぁ、仕方がないな」

私はコートの前のボタンを外して、由良を後ろから抱き締めて、コートで由良の身体を包み込んだ。

「これで少しは温かくなったか?」
「うん。サガの身体、あったかい…」

私達は、降り注ぐ雪を浴びながら、ただ静かに寄り添っていた。
絡み合う指先から、由良の愛情と想いが伝わって来るようだった。

ただ、由良の心の裏側にある切なる願いだけは、気付く事が出来なかった。


2014.8.25 haruka



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