12. 幸福と不安の影


由良はハイスクールに通うようになって、随分と明るく、そして綺麗になった。
その間も時折アフロディーテは由良の家庭教師をしていた。
アフロディーテの報告によると、友人にも恵まれたようで、学校帰りにカフェに立ち寄っておしゃべりをしているようだ。
付き合っている男性の話も互いにするらしい。
私の事を由良が何と言っているかは分からないが、それが何だかくすぐったかった。

私は由良の学校生活を邪魔しないように、長期休みの時に由良に会いに行くようになった。
会えない間、寂しがる由良のために、アフロディーテを使者にして手紙のやり取りをしていた。

私の悪の顔は最近は表に出て来る事は少なく、随分と安定して来て、私は由良と過ごす日をより長く取る事が出来るほどまで回復した。

私の罪が消える事はないけれども…。

時折、罪の意識に苛まれ、自害したくなる事がある。
そんな時だけはあの悪魔に私は支配されて死ぬ事が出来ない。

いつになったらこの悪魔は消えるのだろう…。
この悪魔がいる限り由良とは結ばれない…。
それでも、会いたくてたまらない。

最早、後戻りは出来ない。
死ぬのならば、いつかお戻りになったアテナの手で死のうと思うようになった。
やはり、私はどう足掻いても由良を悲しませる運命にあるようだ。
それならば別れてしまえばいいのに、どうしようもなく由良が愛しくて、この気持ちのおかげで私の理性が保たれているような気がした。

由良がハイスクール3年生の7月、私は由良の下を訪れる事にした。
丁度ハイスクールを卒業したばかりで、大学の進学も決まっていた。
私とアフロディーテの家庭教師が印象深かったようで、教師になりたいと聞いた時は、私もアフロディーテも喜んだものだった。
手紙で由良に卒業祝いは何がいいかと聞くと、「スマートフォン」という返事が返って来た。
「サガとお揃いで持ちたい」と言われて、私は溜息を吐きながら了承した。
私達には必要のない物だから、縁がない。
それでもそれが由良の願いなら叶えてやりたかった。
身分証明書は、由良の部屋を購入した時に戸籍などを偽ったものを発行してある。
後は由良が好きな物を選べばいい。
私はアテネで必要な書類を揃えると、夜更けに由良の下へ向かった。

「サガ、会いたかった!」

そう言って私に抱き付く由良の顔からはもう幼さが抜けて、綺麗な一人の女性になっていた。
とても生き生きとしていて、日常生活が充実している事が窺えて、私は嬉しくなった。
由良にはこういう風に笑っていて欲しかったから。

会えなかった時間の空白を埋めるように、私達は長いことキツく抱き合っていた。
そして、何度も繰り返しキスをしてようやく満たされると、由良が紅茶を淹れにキッチンへと向かって行った。
もうすっかり一人暮らしに慣れて、この部屋での家事も手際がいい。
私はソファに深々とソファに座り、マガジンスタンドに立てかけてある卒業写真を手に取った。

そこには私の知らない由良の生活が広がっていた。
女友達と抱き合いながら微笑んでいる由良。
何かの祭りの準備をしている由良。
そして、男友達に笑いかけている由良。

私はこの男に嫉妬して、アルバムを閉じた。
何のしがらみもなく、由良の日常生活でそばにいられる男が羨ましい。
私と由良が聖域に生まれず、幼い頃から共にいられれば、誰にも縛られず、ずっとそばにいられて妻として迎えられたかも知れないのに。
こうして屈託なく笑い合える環境で育つ事も出来たのかも知れないのに…。

全ては教皇を殺害し、アイオロスまで死に追いやった、私の中の悪魔のせいだ。
いつかカノンが言っていた。
私は模範的な聖闘士であろうとして、自分を抑圧し過ぎていたからなのだと。
私達双子の運命さえなければ、私達はもっと自由に過ごす事が出来た。
由良をいつか花嫁として迎える事も出来たかも知れない。

「サガ、憂鬱そうな顔してどうしたの?黄金聖闘士の任務の事…?」

由良の心配そうな声で、私は我に返った。

「いや、何でもない」
「そう?すごく悲しそうだったから、心配になって…」
「何のしがらみもなく、お前のそばにいられる男達に嫉妬していただけだ。私はお前に会える期間が限られているからな」

そう言うと、由良はくすくすと笑い出した。

「何がおかしい?」

本気で嫉妬していた私は内心少し不機嫌になった。
由良は紅茶をコーヒーテーブルの上に置くと、私の隣に座り、私を抱き締めた。

「15の時から私はサガ一筋だよ?他の男の子になびく訳がないじゃない。それに嫉妬してくれて嬉しいの。サガに本当に愛されてるって感じるから」

甘える猫のように頬をすり寄せて、そんな事を言われると、先ほどの嫉妬心が淡雪のように消えて行くのを感じた。

「私はお前しか愛せない。昔からそうだ。だからその笑顔すら独占したくなるのだろうな。もっとお前に会いに来られれば良いのだが」
「だから、スマートフォンが欲しいの。カメラもかな。サガの写真を撮ってね、部屋いっぱいに飾るの」
「私が必ずしも圏内にいるとは限らないぞ?」
「それでも、世界各地を飛び回ってたら、連絡が取れるかも知れないでしょう?」

まさか、教皇の間にずっといるなんて事は言えない。
聖域が圏内とは思えない。
それでも、瞑想の度に少しの時間だけ街に降りて来るのは可能だ。
それで由良が満足するならそれでも構わないような気がした。
私だって、由良と文字だけとはいえもっと言葉を交わしたい。
電話が出来るなら尚更だ。

「そう、だな。私もお前の声が聞けるのは嬉しい。明日が楽しみだな」
「うん!」

私達は順番に風呂へ入ると、ベッドに潜り込んで、以前のように躊躇わずに絡み合うように抱き合いながら、飽きるほどキスを交わした。

それでも…。

段々と別の感情が生まれて来ているのは確かだ。
いつかカノンが言っていたように、キスの先まで進みたいという気持ちが芽生えて来ている。
その一方で、その先まで進んだら後戻り出来ないのでは、という怖い気持ちもある。
全てかつてカノンの言った通りだった。
私はその感情を抑え込み、ただひたすらに優しいキスを繰り返した。

私はかけがえのない双子の弟まで殺めてしまった。
カノン、すまない、と心の中で詫びながら…。

やがて、安心したように由良が眠りに就き、その幸せそうな寝顔を見つめているうちに、私も安らかな眠りに落ちて行った。

朝、夢も見ずに目を覚ますと、由良は満面の笑みを浮かべて私を見つめていた。

「サガ、おはよう」
「ああ、おはよう」

由良が私より早く目覚めるのは珍しい。

「珍しく早いな」
「だって、サガと出かけるの、楽しみなんだもん」
「それにしてもまだ早いだろう」
「そうなんだけど…。でもね、サガの寝顔を見られたし、朝からとても幸せ。サガの寝顔、とても綺麗なんだもの」
「そうか?」
「うん」
「ならば、もう少し寝かせてくれ。ここにいると寛ぐ。日々の疲れが取れるんだ」
「そっか…。サガは忙しいもんね」

忙しいというより、あの悪魔を抑え込むのに神経を使っているからなのだが、由良といると何故かリラックスして、あの悪魔は泉でのあの日から由良の前では現れなくなった。

「もう少し眠ればどうという事はない。お前も寝たらどうだ?」
「そうだね…。眠れなかったらこの部屋にいるだけでもいい?」
「ああ、構わない。お前の気配さえ感じられれば」
「分かった!じゃあ、紅茶を淹れてくるね。また眠くなるかも知れないし」
「お前の好きなようにすればいい。私はもう少しだけ眠る」

由良は頷くと、パタパタと部屋を出て行った。
その間に、私はまた眠りに落ちて行った。
浅い夢の中で、久々に私はあの悪魔の声を聞いたような気がした。

あの女は邪魔だ。
いつか、この手で二度とお前に会えなくしてやる、と…。

次に目覚めると、由良は既に着替えて薄化粧をしていた。
余程待ちきれなかったのだろう。
時計を見ると9時を指していて、私は予想以上に眠っていた事に気付いた。

「由良、待たせて悪かった。予想以上に疲れていたようだ」
「ううん、いいの。サガがよく寝ていたから、朝シャンして、着替えて化粧して紅茶飲んでたら丁度いい時間になったよ」
「すっかり大人になったな。化粧をしなくてもお前は十分に綺麗だが、化粧をしたお前も魅力的なものだな」

そう言うと、由良は至極嬉しそうに笑った。

「ねえ、スマホ買いに行こう?今から朝食なら丁度いい時間かな」
「分かった。すぐに仕度をする」
「じゃあ、私、ブランチを作ってくるね」

私は洗面を済ませ、身仕度を整えた。
由良は、下ごしらえを既に済ませていたのか、私がダイニングへ入って行った時にはもう料理が並べてあった。

「はい、コーヒー」
「ありがとう」

私が朝必ずコーヒーから手を付ける習慣まで由良はよく知っていて、本当に結婚生活を送っているのでは、という錯覚に陥る。

由良と過ごす時間は短いというのに。

そう思うと辛くてたまらなくて、それでも今この瞬間の幸せを大切にしたくて、私は由良の学校生活を殊更色々尋ねてゆったりと食事をした。
由良は始終、嬉しそうに話をしていて、私の悲しみも和らいで行った。

「サガ、随分遅くなっちゃったね」
「ブランチならこういうものだろう。それにまだ午前中だ。今から出かければ充分間に合うのではないか?」
「ふふっ、それもそうだね。サガと出かけるの楽しみ」

由良は本当に嬉しそうに笑って、手鏡を取り出すと、淡いピンクベージュの口紅を塗って、身仕度を整えた。

「サガ、出かけよう?」
「そうだな」

私の手を取って、指を絡ませるように繋いで私を見上げた。
由良の嬉しそうな満面の笑みは、どこまでも眩しかった。

いつまでも、いつまでも、その微笑みを守ってやりたかった…。

でも…。
お前から、由良の微笑みを永遠に奪ってやる…。
そんな声がまた聞こえたような気がした。


2014.8.22 haruka



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