11. 哀しい微笑み


カーテンの隙間から漏れる燦々とした陽射しが目蓋を照らして眩しさに目を覚ました。
目を開けると、サガが私を見つめていて、目が合うと柔らかく微笑んだ。

「サガ、おはよう」
「おはよう、由良。日に透けるお前の瞳は綺麗だな。今まで気付かなかった」
「ふふっ、そう?ありがとう。サガはいつから起きてたの?」
「20分ほど前か」
「そんなに私、サガを待たせていたの?」
「いや、お前を見つめていたら、20分などあっという間だった。気にするな」

サガはそう言うと、私の額にそっとキスをした。

「昨日は遅かったからな。もう昼近くだ。私もこんなに眠るとは思わなかった。そろそろ起きよう」
「うん。もう一度だけギュッてして?」
「仕方がないな」

サガはフッと笑うと、私をキツく抱き締めた。
それがとても心地良くて、しばらくその感覚に酔いしれていると、サガは私の頬にキスをして身体を離した。

「お前をこのまま抱き締めていたいのはやまやまだが、後でな。先にブランチを済ませてゆっくりしよう。顔を洗ってさっぱりしたいしな」
「そうだね」

私はもう少しベッドでごろごろしていたかったけれど、サガに促されて洗面所へ向かった。
真新しい歯ブラシが2つが並んでいて、本当にサガと暮らすんだという実感がまた湧いて来てくすぐったい気持ちになった。
洗面を済ませると、サガは簡単な朝食を作り、ゆっくりと2人で朝食を摂った。

「ねえ、サガ。今までどこにいたの?」

そう尋ねると、サガは困ったような表情になった。

「遠い遠い場所だという事しか今は言えない」
「そうなんだ…」
「今は黄金聖闘士も各地に散らばっている。何も私だけではないから安心しろ」
「良かった…」

アイオロスの反逆と何か関係があるのでは、と心配していたけれど、そういう訳ではなさそうで、私はホッとした。

「今は考えるのは止めよう。私は由良との時間を大切にしたい。それではダメだろうか」
「ううん。私もサガに会えて嬉しいから。初めてサガと一緒に暮らせるんだもの」
「そうだな」

そう言ってサガは微笑んだ。
その微笑みがどこまでも寂しくて儚くて、またサガが遠くへ行ってしまうのを私は悟った。
ここがサガの唯一の安らぎの場なら、ただそばにいて、その悲しみを癒したいと思った。

朝食を終えると、サガはコーヒーを淹れてくれた。
その間に私はキッチンで片付けをして、もしかしたらサガと結婚したらこういう生活が待っているのかな、と淡い期待を持った。
そんな日は訪れないかも知れないという、漠然とした不安を抱えながら…。

コーヒーを淹れるとサガはリビングへと移動した。
深々とソファに座るサガの隣に私は座ってサガに身体を預けると、サガは私の肩を抱いた。
幸せな甘い空気が流れる。
サガを見上げると、くすりと笑ってサガは触れるだけのキスを私の唇に落とした。

「お前に伝えなければならない事がある」

突然サガは改まって私をじっと見つめた。
何かまた別れの事でも告げられるのかと思って、私は恐怖した。

「アテネでお前がいずれ独立して生活出来るように、学校に通わせようと思っている。聖域では、お前は学校へ通っていなかっただろう?」
「うん…」

私達、母子は聖域では冷遇されていたし、私の生活にはそんな余裕がなかった。

「ここでは混血は珍しくもない。友人も出来るだろう。ただ、ハイスクールにいきなり入るのもなかなか厳しい。だから、家庭教師をつける。ハイスクール1年生から通うといい。そのための手続きも終えてある。入学は秋だ。年齢は詐称になるが、その方がお前のためだ」
「ハイスクール?」
「16歳から通う学校の事だ。科目数も多くて大変だろうとは思うが、いずれその先の大学へ入って卒業し、仕事を見つければお前も一人前に生活が出来る。聖域よりも充実した生活が送れるぞ」

サガが私の将来まで考えているなんて思いもしなかった。
そして、私は少し嫌な予感がした。
独立させようとするということは、サガがいずれはいなくなってしまう事を意味すると思ったから。

「サガ…。私が独立するってこの部屋を出て行かなきゃいけないって事?サガと会えなくなるって事?」

サガは私の頭をそっと撫でた。

「この部屋はお前の物だ。心配する事はない。お前には外の世界を知って欲しい。外の世界で一人前に過ごせるようにな。聖域でのように、寂しい思いもさせたくない。友人も作ってお前には笑っていて欲しい。私も来られる時にはお前に会いに来る。それではダメか?」

優しくそんな事を言われたら、拒めない。
ここは、私とサガの部屋。
ここを出て行かなくてもいい。
まだまだサガに会える。
私にはそれで十分だった。
友達が出来るというのも魅力的だった。

「ううん。サガがそこまで考えてくれてるの、嬉しい…。サガはまた会いに来てくれるのね?」
「ああ、そうだ。数ヶ月に一度になってしまうが…。それでも、その度に1週間はお前と過ごすつもりだ」
「数ヶ月…」

サガを待っていた1年半よりはずっと短い。
けれども、数ヶ月もサガを待たなきゃいけないなんて…。

「寂しい思いをさせてすまない。その分、会った時にはお前と優しい時間をゆっくりと過ごしたいと思っている。私も辛いのだ。私とてお前とずっと一緒にいたい」

サガは切なげに眉を寄せて私を抱き締めた。

「由良、愛している。お前を独りにさせてしまう私を許してくれ…」

そう言って、サガは優しいキスをした。
サガの唇が震えていて、切ないほどにサガの気持ちが伝わって来た。
孤独には慣れている。
私はサガを抱き締めた。

「うん、大丈夫。サガを信じてる。必ず会いに来てくれるって」
「ああ、約束する」

それから、私達はまた冷めかけたコーヒーをゆっくり飲みながら、優しいキスを繰り返した。
ようやく満足した頃にサガはフッと笑って私の頭をそっと撫でた。

「先ほど話していた家庭教師の件だ。聖域の生活を知っていて、尚且つ私が信頼出来る人物を選んだ。その男なら、お前を預けられる」
「男の人なの?」

サガ以外の男の人と2人きりになるなんて、少し怖くて不安になった。

「私が絶対の信頼を置いていて、私に忠実な男だ。手厳しい男でもあるがな。むしろ、お前がその男になびくのではないかと心配なくらいだ」
「そんな事ないよ!じゃなかったら、サガを1年半も待てる訳ないじゃない」
「そうだったな」

サガは笑みを深めて私の頭をそっと撫でた。

「どんな人?」
「私と同じ、黄金聖闘士だ。中でもとても優秀でな、お前の家庭教師にはぴったりだ。まだ11歳だが、ハイスクールに入るくらいの知識は十二分にある。それこそ大学へ入れるレベルまでの知識だな。聖域で英才教育を5年間受けている。年下だからといって甘く見ると痛い目に遭うぞ」
「11歳…」

私は年齢を聞いて安心した。
流石に11歳の男の子に私がなびくはずがない。

「今からその男を呼ぶから待っていろ」

サガは目を閉じた。
その身体が淡い金色に輝く。
すると、部屋の中に可愛らしい美しい男の子が金色の光を纏って現れた。

「サガ、約束通り来たぞ」
「アフロディーテ、ご足労だった。由良、この男は黄金聖闘士、ピスケスのアフロディーテだ。アフロディーテ、彼女が由良だ。以前も言ったがお前に由良の教育を託したい。聖域で学校に行っていなかったから、そこを考慮してやって欲しい」
「由良、よろしく。サガ、私は厳しいが、いいのか?」
「だから、手加減をしてやってくれ」
「はぁ…。サガは私達には厳しかったというのに、恋人には甘いのか。分かった。そこそこ手加減してやろう」
「よろしくお願いします」

私がぺこりと頭を下げると、アフロディーテは満足そうな笑みを浮かべた。

「年下だからと言って、私を侮るかと思っていたがなかなか謙虚ではないか。気に入った。このアフロディーテが引き受けた。サガ、安心したまえ」
「ああ、頼りにしている。私は今回は1週間はここに滞在して由良の勉強を見るつもりだ。その後はお前に頼む」
「了解した」
「では、書斎に行こう。由良の教材がある」

私達は書斎へ入って行った。
アフロディーテは、本棚の真新しい本をパラパラとめくるとフッと笑った。

「簡単だな。これなら秋まで待たなくてもハイスクールに入れるんじゃないか?」
「由良次第だな。出来れば週2回は見てやって欲しい。由良、アフロディーテは厳しいからな。空いている時間で必死に勉強した方がいい。寂しさも忘れるだろう。アフロディーテ、私がいる間は私が見る。それなりに厳しくはするつもりだ」
「どうだかな。とにかく、来週からは始めるぞ。サガ、読み書き計算くらいはそれまでにマスターさせておくんだな」
「当然だ」

私にとっては、何の事やらさっぱり分からない本を簡単と言い切るアフロディーテに驚いた。

「やっぱり黄金聖闘士は違うのね」
「当たり前だ。中でも私は相当サガにしごかれたからな」
「尊敬する」

心からそう思って言うと、アフロディーテは大輪の花が咲きこぼれるような笑顔を見せた。

「ますます気に入った。サガ、由良の事は任せておけ」
「アフロディーテ、恩に着る」
「では私はこれ以上は邪魔しない事にする。サガ、久々にゆっくりしたまえ。失礼するぞ」

アフロディーテはもう一度私に微笑みかけると、来た時と同じように金色の光に包まれて消えて行った。


それから5日間、私はサガに勉強を教えてもらった。
サガはとても優しく、読み書きを教えてくれて、私は本を読む事が出来るようになった。
まだ書くのは戸惑う事があるけれど、それでも元々話している言葉を書くのだと言われてからは、効率が上がって行った。
算数も、市場での計算とあまり変わらず、ややこしい計算でつまずくだけでなんとか独学出来るレベルにまではなった。
上手く出来る度に、サガは優しくキスをしてくれて、それがとても幸せだった。

勉強が終わると、また甘い時間を過ごし、2人で買い物に出かけた。
外の世界の服は見慣れなかったけれど、サガがよく似合うと褒めてくれて嬉しかった。
夜は、また私を抱き締めて眠ってくれて、こんな日がずっと続けばいいと願ってしまうほど嬉しかった。

そして、約束の1週間後がやって来た。
その日は珍しく、サガはなかなかベッドから出なかった。
私を何度も強く抱き締めて、私の首筋に顔を埋めて静かに涙を流していた。

「サガ…もっと一緒にいられないの?」

サガは涙を流したまま首を横に振った。

「もっと一緒にいたい。でも、叶わない願いなんだ。由良、愛している。姿を消す理由は言えない。でも、お前の事を毎日想う。お前だけが私の救いで希望の光だ」
「希望の光…?」
「分からなくてもいい。お前が大切でたまらないという事だ」
「私もサガが大切だよ。サガがいない間、サガの無事を祈ってるよ」
「ありがとう。由良…」

サガは名残り惜しげに、今までになく何度も私の唇を求めた。
サガの悲しみが私にも伝染して、私もいつしか涙を流していた。

次に会えるのはいつなんだろう?
サガはどこで何をしているの?

でも、その問いはサガを苦しめそうで私は聞けなかった。
サガの瞳を見つめると、悲しみに満ちていた。
こんなに近くにいても、サガが抱える悲しみの理由が分からない。
私に出来るのはただそばにいるだけ。

「今日の夜更けに私は帰る。それまで、ここで怠惰な一日を過ごしてもいいだろうか?」
「いいよ。私もサガともっと抱き合いたい」
「由良…」

サガは淡い笑みを浮かべた。
嬉しそうに微笑んでいるはずなのに、その微笑みは何故かどこまでも淋しかった。
私はそれを見ていられなくて、自分からサガの唇を求めた。


こうして、私達の心もとない逢瀬が始まった。
サガは生活費をたっぷりと部屋に置いて行った。
そして、サガが姿を消した翌週からアフロディーテの家庭教師が始まった。
私は猛勉強をして、アフロディーテの厳しい指導に何とかついて行った。
サガは私がハイスクールに入るまで数回だけこの部屋を訪れ、また2人で切ないほど優しい時を過ごした。

そして、私はハイスクールに入学したのだった。

2014.8.21 haruka



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