08. 優しい時間


久々にぐっすりと眠って目を覚ますと、私の寝顔を見つめているカノンと目が合った。
目が合うと、カノンはにっこりと微笑んだ。

「兄さん、おはよう」
「ああ、おはよう」
「気分はどうだ?」
「久々によく眠れた気がする。夢も見なかった」
「そうか、良かったな!また泊まりに来いよ。お子様達の面倒を見て疲れてるだけなんじゃないか?」
「そうだろうか…」
「十二宮にいたら、何かとプレッシャーも多いんじゃないか?」
「そうかも知れんな」

私が微笑むと、何故かカノンは悲しそうに瞳を揺らし、私の頭を抱え込むようにして抱き締めた。
その身体は小刻みに震えていた。

「カノン、どうした…?」
「兄さんがどこか遠くへ行ってしまうような気がして…。何でそんなに淋しそうに笑うんだよっ。兄さんは狂ってなんかいないっ。今まで通り普通に笑えよっ」
「そんなに淋しそうだったか?」
「そのまま消えてしまうかと思った…」
「オレはどこにも行かないから安心しろ。黄金聖闘士だからな」
「黄金聖闘士…。そう、だな」

カノンはようやく私を放して、ぐしゃぐしゃと私の髪を撫でるとベッドから起き上がった。

「俺、朝飯の仕度して来る」

カノンは私の顔を見ないまま、寝室を出て行った。
私は久々の睡眠からまだ完全には抜け出せなくて、ベッドの中でまた微睡んだ。
キッチンで声を殺してカノンが泣いているのを知らないまま…。

少し微睡んでから起きると、私はホッとした。
もうあの夢は見なかった。
確かにカノンの言う通り、十二宮での生活が少しプレッシャーになっているのかも知れない。
たまには双子で過ごす時間が必要なのかも知れない。
私がダイニングへ行くと、カノンは朝食の仕度を終えていた。

「昨日、食欲がなかった分も食べてもらうからな」
「分かった分かった」

朝からまるで夕食のような量だったが、久々に空腹を覚えて、私達は他愛もない話をしながら食事を終えた。
カノンはホッとしたように笑っていた。

「兄さんの食欲が戻って良かった。それに顔色も良くなった。近々また泊まりに来いよ。…絶対に」

そう言うカノンの表情はどこかとても真剣だった。

「ああ。オレは疲れているのかも知れんな。お前ともトレーニングをした方がいいし、教皇に願い出てみる」
「ああ、そうしてくれ」

カノンは嬉しそうに微笑んだ。

「なあ、兄さん」
「何だ、カノン」
「由良の所に行ってやれよ。昨日のフォローをして来たら、兄さんだって気が楽になるんじゃないか?」

私は昨日、自分が自分でなくなった事をまた思い出して恐怖した。

「しかし、昨日のあれは…」
「あれは白昼夢だ。兄さんは寝不足で疲れていただけだ。昨日は夢も見なかったんだろう?」
「そうだな」
「たっぷり寝たなら大丈夫だ。フォローしに行って来いよ。それで…出来たら今日は兄さんとトレーニングしたい。それに泊まって行って欲しい」

カノンがこんなに我儘を言うのは珍しい。
最近では兄弟喧嘩をする事の方が多いくらいなのに、まるで甘えているようだ。
私はその事に少し違和感を覚え、戸惑いながら答えた。

「流石に連続で双児宮を空けてもいいものだろうか」
「俺のトレーニングは兄さんのスペアとして必要だろ?教皇にそう納得させるんだ」
「はぁ、カノン。お前はまた悪知恵を働かせて」
「兄さんの夢がまだ心配なんだ。今日だけは頼む」

カノンの表情は本当に真剣で、また嫌な予感が過ったが、私と同じ精神攻撃を使うカノンがそばにいた方が安心なのは確かだ。
それに、私が発狂するのもカノンの前の方がいい。
本当に危なかったら、カノンは私に手を下してくれると信じている。

「分かった。私もお前とトレーニングするのが一番気楽だし、技が磨かれる。教皇にそう連絡を入れておこう」

カノンはホッとしたように頷いた。

「じゃあ、由良の様子を見に行ってやれ」
「そうだな。しばらくしたら戻って来る。こういう気楽な日もいいものだな」
「だろう?じゃあな!ゆっくりして来ていいからな!ゆっくりだぞ?」
「何だ、カノン、にやにやと笑って」
「いいから、いいから!」

カノンは私の脇腹をを肘で突つくと、私を外に送り出した。
笑顔のカノンに見送られて私は由良の小屋へ向かった。

由良の小屋の扉をノックして声をかける。
しかし、返事がなかった。
裏の畑を見に行っても姿が見えない。
また水でも汲みに行っているのかと思ったら、部屋の中からくしゃみと咳が聞こえた。
心配になって私は扉のすぐ近くから声をかけた。

「由良、入るぞ」

外から声をかけて、そのまま私は真っ直ぐに寝室へと向かった。
寝室へ入るのは流石に初めてだったが、あの辛そうな咳をしている所を見ると、とても酷い風邪を引いているような予感がした。
寝室の扉をノックして開けると、予想通り、毛布に包まって辛そうに咳をしている由良がいた。

「コホッ…サガ?」
「大丈夫か?昨日、足を冷やしたからじゃないのか?」
「ん…サガの風邪がうつったんじゃないかな?」
「私の風邪…?」
「だって、昨日、頭痛がするって言ってたから」
「あれは…」

風邪じゃないと言いかけて私は言葉を飲み込んだ。
まさか、白昼夢に悩まされていたとは言えない。

「あれはただの片頭痛だ」
「片頭痛?大丈夫なの?」
「昨日はよく眠ったから大丈夫だ」
「良かった…」

由良は自分の方が辛いはずなのに、至極嬉しそうに笑った。
私はベッドに腰をかけて、そっと由良の額に手を当てた。
予想以上の熱に私は驚いた。

「由良、随分と熱があるじゃないか。何か食べたのか?」
「ん…食欲がなくて」
「食べなければ治るものも治らない。今、何か作って来るから待っていろ」

私はまず水で冷やしたタオルを由良の額に乗せて、そしてオートミールを作って、フルーツとカモミールティーを添えてベッドサイドテーブルに置いた。
由良は身体を起こして、また辛そうに咳をしていた。

「とりあえず温かい物を食べた方がいい」
「オートミール…」
「そうだ」
「お母さんが作ってくれたの、何だか思い出しちゃうな。嬉しい…」

由良は瞳を揺らして少し無理に微笑むと、息を吹きかけながら一口食べた。

「美味しい」
「それは良かった。食べられそうか?」
「うん!」

途中、湿った咳をしながらも、由良は本当に嬉しそうに、ゆっくりとオートミールを平らげた。

「サガ、ありがとう。もうお腹いっぱい」
「由良、薬は?」
「朝飲んだから大丈夫」
「そうか。眠れそうか?」
「せっかくサガがいるのにもったいないよ。サガと一緒にいたいもん」
「眠らなければ、治るものも治らないぞ」
「うん。分かってるんだけど、目が覚めてサガがいなかったら寂しいなって思って…」
「では、由良が目覚めるまでそばにいよう」
「うん…」

由良はそれでもどこか落ち着きなく、何か言いたげな眼差しをして私を見つめていた。

「どうした?まだ欲しい物があるのか?」

何か他にあっただろうかと考えを巡らせていると、由良は恥ずかしそうに、囁いた。

「添い寝…。添い寝して欲しいの」
「そ、添い寝?」
「昔、お母さんがそうしてくれてたのを思い出して…」

一緒のベッドで眠るなんて、カノンか幼い黄金聖闘士だけで、女性とだなんて初めての事だ。
胸がドキドキと高鳴る。
例え由良の母の代わりだと言っても。

「お願い…ダメ…?」

熱で潤んだ瞳でじっと見つめられると、そのままグリーンの瞳に吸い込まれそうな感覚がして、私は思わず頷いてしまった。

「女性相手に添い寝なんて初めてだ。どうなっても知らないぞ?」
「ふふっ、サガに何かされるんだったら、それもいいかな。なんて嘘。今はそんな気力も体力もないもの。そんな時にサガが何かする訳ないもん」
「はぁ…。私も男なんだがな。でも確かにこんな状態のお前に何かしたいとは思わないな。仕方がない。お前が起きるまで添い寝してやるから、ゆっくり眠れ」

途端に由良は満面の笑みを浮かべた。

「嬉しい。恋人にこういう看病されるの、憧れだったの」
「仕方のない奴だな。では、失礼するぞ」

私は由良を抱き上げて私が横たわるスペースを確保すると、正面から由良をそっと抱き締めた。
由良は私の腕前で幸せそうに私に身体を預けて、目を閉じた。
額に、頬に触れるだけのキスを落として行くと、由良は私に抱き付いた。

「サガ、風邪うつっちゃうよ?」
「人にうつしたら治ると言うだろう?」
「でも、サガが風邪引いたら大変」
「それでお前が治るのなら大歓迎だ」

私は掠めるようなキスを由良の唇に落とした。
由良は驚いて、私の胸に手を着いて身体を離そうとした。
しかし、私はそれを許さず由良を引き寄せて、唇をしっかりと重ねて、食むように角度を変えながら、長い長いキスをした。
由良はいつしか絡み合うように抱き付き、私のキスに応えていた。
由良が咳き込む気配がして、私はようやく唇を離した。

もうあの声は聞こえない。
私は心の底から安堵した。
こんなに満たされた気持ちは初めてだった。

私の腕の中で、ひとしきり咳をすると、由良はうつらうつらとして、私の腕の中で眠り始めた。
私もその寝顔を見つめているうちに、段々と眠くなって、深い眠りに就いた。

やがて夢も見ずに眠れて目を覚ますと、由良が私の寝顔を見つめていた。

「サガって、寝顔まで美しいのね。見惚れちゃった」
「そうか?自分では分からないが」
「まるで彫刻みたいだったよ。それに睫毛が長くて綺麗…」
「お前も綺麗だったぞ。見惚れているうちに眠ってしまった」
「そうなの?」
「ああ、そうだ。そろそろシエスタの時間だな。変な時間帯だが、またオートミールを持ってくる。薬は?」
「ダイニングのテーブルの上」
「分かった。用意して来るからゆっくり休んでいろ」
「うん!」

もう一度だけキスをすると、私は由良の食事の仕度を始めた。
仕度が終わると由良に食事をさせて、薬を飲ませた。
そしてまた縺れ合うように抱き合いながら、飽きるほどキスを交わした。
疲れ切った由良をまた抱き締めたまま眠って、夕方過ぎに由良の小屋を出た。

あんなに幸せなひと時は初めてだった。
愛しい女性を腕に抱いて眠ることが、こんなにも心が満たされるものだなんて知らなかった。


でも、これが私が狂う前の最後のデートだった。
今思い返しても、あのデートがあったからこそ私は理性をより長く保つことが出来たのだと思う。
それくらいに、キラキラ煌めく尊いひと時だった。


カノンの小屋に戻ると、カノンは待ちきれないという風に私を待っていた。

「随分とゆっくりして来たな。まさか、その先まで進んだのか?」
「まだ早いだろうが。由良が風邪を引いていたから看病して来ただけだ」
「帰って来て大丈夫だったのか?」
「夕食も作ってあるし、薬も持っている。あとは睡眠だけだな」
「そうか…。じゃあ、約束通りトレーニングをして貰うぞ」
「今からか?本気か?」
「ああ、そうだ」

カノンは小屋の外へ出ると、ギャラクシアンエクスプロープロージョンの構えを取った。
私も同じ構えを取り、お互いの技が拮抗した。
そうして技のぶつけ合いをしているうちに、2人共疲れ切って、部屋に戻った。

「兄さん、白昼夢は大丈夫だったのか?」
「ああ。お前の言う通り、寝不足だったのかも知れないと思うようになった。由良に添い寝をしている時も夢を見なかった」
「そうか…。良かったな!」

カノンは複雑な表情を見せた後、にっこりと笑った。

「じゃあ、風呂に入って夕飯を食べたらまたゆっくり寝ろよ。明日からまた十二宮だろう?」
「そうだな。お前と話しながら眠る事なんて滅多にないからな。昨日もよく眠れた。双児宮へ帰る前にもう一度よく眠りたいものだ」
「ああ、そうした方がいい。先に風呂に入って来いよ」
「そうか?ではそうさせてもらう」

風呂に交互に入って、ゆっくりと夕食をカノンと共にした。
カノンはいつに増して饒舌で、幼い頃の思い出話から、由良との恋についての話まで、話が尽きないほどに互いに話をした。
カノンはもう二度と私に会えないと思っているのかも知れないと、ふと脳裏を掠めた。

「カノン、もう遅くなる。そろそろ寝よう」
「そう、だな。兄さん…」
「何だ、カノン」
「また泊まりに来いよ?」
「ああ」

カノンの表情は真剣で、どこか寂しそうだった。
私はカノンの頭をくしゃりと撫でた。
するとカノンは、私をギュッと抱き締めた。

「約束だからなっ」
「ん?合間を見つければまた来られるだろう。心配するな」

私はカノンの背をぽんぽんと叩いた。
カノンはしばらく私を抱き締めていたが、ようやく深い溜息を吐いて身体を離した。
その顔はほとんど泣きそうなほど哀しげだった。

「じゃあ、そろそろ寝よう。俺は兄さんが寝付いてから寝る」
「オレは昼寝したからなかなか眠れんかも知れないぞ」
「寝不足が続いてたんだ。眠れるさ」

ベッドに2人で横になって、また幼い頃の話をした。
まるで神話の世界の双子のように、仲が良かったあの頃の話を。
やがて私は睡魔に襲われ、深い眠りに落ちて行った。

これが、最後にカノンと過ごした優しい時間だった。
カノンはその日も私の邪悪な心に一晩中攻撃をしかけ、心の奥底に封印してくれていたというのに、私はそんな事はつゆ知らず、後に取り返しがつかないほど酷い事をカノンに対してしてしまった。
哀しく辛い未来は、カノンがいれば避けられたかも知れなかったのに…。

私は、カノンの不器用な兄弟愛に気付いてやれなかった。

運命の歯車が狂うまで、もう時間がなかった。

戻れるものだったら、あの時に戻りたい。
お前は、私にとってかけがえのない双子の弟だったと。
どちらも欠けてはいけない、双子の弟だったと。
最愛の弟だったと。
そう言ってやりたかった。


2014. 8. 17 haruka


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