するりと手の中から零れるように、緩く持っていたウェッジウッドが滑り落ちていく。そしてそのまま床に叩きつけられ、激しい音をたてて割れた。
こういう時、いつもお兄様が側に駆けつけてくれたものだ。
「ナナリー!」欲しいものは「ナナリー様!?」まるで我楽多のように、いつか忘れられてごみと化すのだろうか。ナナリーは原型を失い砕け散った真白な陶器を悲観に見下ろしていた。
「大丈夫ですか?」
「…ええ、大丈夫です。咲世子さん」
お兄様がいなくなって、もうすぐ一年が経つ。その日は、この世界が生まれ変わった記念すべき日でもあった。全てがゼロとなり、ゼロから始まった日。
割れたカップを手際よく処理する咲世子を横目に、ナナリーは本棚に飾っている写真を見つめた。
それはいつか見た、いつか感じていたはずの小さな幸せの憧憬。
瞼を閉じれば今も貴方の声がするというのに、折角見えるようになったこの瞳にはもう、貴方が映ることはない。哀しいと思う。お兄様は器用な人だった。どんなことでも卒なくこなす、優しいひと。いつも誰かの為に傷つき、誰かの為に嘆き、誰かの為なら世界を変革すらしてしまえる、尊敬する兄。ナナリーの1番は兄だった。かつて彼がそうであったように。自分も彼をあいしていた。
(あいしていた、いいえ、あいしてる)
心の中でひっそりと呟き、薄い息を吐き出す。心臓が震え、涙腺が揺れる。
「ナナリー様?」
弾かれたように、ナナリーは目を開ける。カップの処理を終えた咲世子が不安げに此方を見ていた。かっちりと目が合うと、咲世子はナナリーが何かを言う前に一礼して部屋の扉へと向かって行った。しかし出て行く前に振り返って、
「新しい紅茶をお持ちしますね。淹れたての、温かいものを」
失礼します、と言って咲世子は出て行った。部屋にまた静寂が訪れる。大きめの窓から差し込む茜色の光が眩しすぎて、滲む。重力に従って落ちていく涙を止めることは出来そうになかった。
「お兄様」強く生きると決めたけど、今だけは許して。こんな弱い私を許して。
きっと貴方の日には、真っ白な花を持って笑顔で逢いにいくから。
「ナナリー様、紅茶をご用意しました」
「ありがとう、咲世子さん」
琥珀色に澄み渡る紅茶を一口。
じんわりと優しく、温かい味に、また涙が零れそうになったが、なんとか耐える。
「美味しいです、咲世子さん」

髪を撫でる指の先から、痛いほど伝わっていた愛。もしまた貴方と始まることになったとしても、構わないと、今なら強くそう言える気がするのだ。


130414
BGMは箱庭/天野月子


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