フランス語講師さん 1/1
世界一美しいと言われる言語を、世界で一番美形な人から教えてもらえる私って本当しあわせだと思う。
「はぁ…先生って、なんでそんな美人なのー」
講習後、他の生徒が帰っていく中私はひとり一番前の席で、片付けをする先生を眺めていた。
「美人、はbelleですよ。因みに女性形です」
わざわざ手を止めて彼は丁寧に説明する。
先生の言う内容よりもその言葉を紡ぐ声が好き。
「ねぇねぇ、なんでセバスチャン先生はフランス語教えてるの?」
さっきの説明なんて全く耳に入ってないというような私に先生は溜息をついて眼鏡を外した。
その動作がまた格好いい。
「貴女こそ、どうして覚える気の無いものを専攻してるんです」
「え、先生を間近で眺めたいから」
「………」
「あと意味は分かんないけど先生の話すフランス語聴いてたい」
「私が教えるからにはきちんと授業を受けてもらわないと困ります」
「あ!この後ランチおごらせる約束してたんだった!じゃ、そう言うことでまたね先生!」
出ていこうとしたら後ろから慌てた声で呼び止められた。
「待ちなさい!何故窓から出ていくんですか!」
「こっからの方が食堂近いし。じゃねー♪先生、ア・ドゥマン!」
確か、また明日って意味だよなーとか思いつつ慣れない言葉と共に外へ出て行った。
“ねぇ先生!私のところに嫁にきてください”
これが彼女から聞いた初めての言葉だった。
言い寄ってくる生徒やあからさまな色目をつかう生徒はそれなりにいたが、あんな風に声をかけてきたのは彼女が初めて。
そして今日も、ユイは講習後に自分の元へとやって来た。
「セバスチャン先生はー、やっぱり彼女さんいるんですか?」
「いいえ。いませんよ」
「私、昨日告白されちゃったんですよー」
「…はい?」
彼女の言葉にピタリと手が止まる。私は静かにユイに向き直った。
「付き合ってって言われてまだ返事してないんですけどね」
調べもしない辞書のページをぱらぱらと捲りながら彼女は言葉を続ける。
「いや、私は先生のこと好きだけど、いくら馬鹿でも相手にされてない事くらいは分かってるから。だから付き合ってみてもいいかなー…なんて」
「何故それをわざわざ私に?」
問いかけるとユイは椅子から立ち上がった。
「もしかしたら、行かないでくれ!とか言ってくれるかなと期待してみたり」
「私がそんな事を言うように見えますか」
「だよね。それじゃキャラ違うか」
似合わないよね先生にそんなセリフ、と笑って彼女は出て行こうとする。
今日は普通に、扉から。
「ユイ。お待ちなさい」
「えっ?」
名前で呼び掛けられたことに驚いたのか、彼女はきょとんとした顔で此方を振り返った。
私はチョークを手に取り黒板に文字を綴る。
「何してんの?」
「これ、訳せますか?」
指し棒で綴った文を示せば彼女は首を傾げて黒板を見つめた。
「分かんない。私フランス語苦手なんだって、…っ?」
ユイの顎に指を添えその瞳を覗き込んだ。心なしか、近くなった互いの距離に彼女は頬を染めたように見える。
「私の担当で、お馬鹿な生徒のままは許しませんよ。この問題を訳せるようになるまでは貴女は恋愛禁止、です」
微笑んだ私に、見開かれるユイの瞳。
「せんせ、」
耳元に口を近づけ、声を低め囁く。
「私以外の相手とはね」
眼鏡を外しもう一度顔を覗き込めば、彼女はぽかんとした表情で私を見上げていた。
“J'ai besoin de vous.”
私には、
貴女が必要なのです
(本気…?)(私がいつ、貴女を相手にしないと言いました?)((貴女が声をかけてくるずっと前から私は貴女を知ってましたよ))