パラレル執事 | ナノ
狂恋序曲 1/2

ピアノの魔術師。

リストの再来。

黒衣のピアニスト。

悪魔の音色を奏でる貴公子。


彼にはいつもそんな言葉がついて回る。


パリで調律師をしていた私が、彼と出会ったのは2年前。
あの頃は付き合えるなんて夢にも思わなかった。

「でも、もう2年経つんだ…」

早いなあと控え室の窓辺で溜め息を吐く。すると、その耳元で凛としたテノールが囁かれた。

「夜風は体に毒ですよ、マドモアゼル」

髪を掬い取られキスを落とされる。

私が視線を上げると、上質な色のボルドーの瞳が細められた。

セバスチャン ミカエリス、稀代の天才ピアニストと賞される、私の彼氏だ。


「ユイ、そろそろ時間です。席はいつもの場所にとってありますから」

「うん、ありがとう。それよりセバスチャンこそ早く行かないと」

今日は彼のリサイタル。

会場は既に観客でいっぱいの筈。

「私は後で行くから。一緒に廊下歩いてる所見られたらファンの女の人が怖いもの」

私の言葉に彼は苦笑する。

「だからですか?いつも席を二階の隅にするのは」

私が頷くと、セバスチャンは笑いながら頭を撫でてくる。

黒の礼装から微かに薔薇の香りがした。

セバスチャンは常に黒を身に纏っている。

リストもリサイタルでは好んで黒い衣装を着たというから、そういう所も共通してるのかも知れない。

「もしかして本当に生まれ変わりなのかな…」

私が零すと彼はすぐに意味を察して、自分の顎に手を当てた。

「フランツ リストですか。それはあり得ませんよ。彼は私と違って神を愛するタイプの方でしたから」

特に晩年の変わり樣には驚かされましたねぇ、と独り言のように呟く。

「…………、」

時々セバスチャンは、昔の音楽家達とまるで会った事があるみたいな口振りで話しをする。

彼らの楽譜に慣れ親しんでいるからだと思うけど、私はいつも不思議な違和感を抱かされた。


「さて、そろそろ時間ですね」

長い指先が私の前髪を払う。
そのままそっと、彼の唇が額に触れた。

「今夜の演奏はユイに捧げますよ」



彼のピアノは人を魅了する。

テクニックを見せつけるかの如く華やかに弾けば、観客の目は簡単に奪う事が出来る。

気品と官能を兼ね備えた音色を奏でれば、観客の耳は簡単に酔わす事が出来る。

時には演奏中に気絶するファンもいる程だ。

観る者聴く者の心を捕らえる、まさしく悪魔の音色。

そんなセバスチャンの優雅に演奏する姿を見つめながら、ふと思う。なぜ彼は私を選んだのだろうと。

私より容姿の綺麗な人や才能のある人だってセバスチャンならすぐ見つかる筈なのに。

これと言った取り柄もない私のどこに、彼は惹かれたのか。

もしかしたら私ばかりが彼を好きなだけかもしれない。

完璧すぎる音色は、ここ最近の私の気持ちを不安に揺らがせていた。


リサイタル後、家に帰りセバスチャンの淹れてくれた紅茶を口に運ぶ。

彼は私が昨日調整したばかりのピアノと向き合っている。

「今日も凄かったね」

そう言えばセバスチャンが顔を上げた。

「貴女は今日も、何か考えていたでしょう」

見透かしたような目にどきりとした。
手招きされて、私は少し後ろめたい気持ちになりながら席を立つ。

隣に行くと彼は微笑んでから鍵盤に視線を落とす。

綺麗な指が今まで聞いた事のない曲を奏で始めた。

「………っ、」

身体の芯まで溶けてしまいそうな抗い難い音だった。

狂おしい程、情熱的で。
まるで自由を奪われた鳥みたいな気分になる。

その指先に視覚を奪われ、その音色に聴覚を囚われて。

悪魔のようなピアニストに、心ごと私の全部を持っていかれるのが分かった。


身体が震えて立っていられなくなりそうになる。その時、曲は終わり音色が止んだ。

「ユイ、」

腕を引かれてセバスチャンの膝の上に座らされた。

「これは貴女の為に作った曲です」

先程までピアノを弾いていた指が、髪を掬って私の耳に掛ける。
その単純な仕草は官能的な調べを思い起こさせた。

「私の、ため…」

「一体、何を不安に思う事があるのです?こんなにも、私はユイしか見えていないというのに」

熱っぽい声で囁かれる。私の心臓は不規則なリズムを刻み始めた。

「……セバスチャン、」

「今の曲で分かったでしょう?私がどれ程貴女を欲しているかが…」

これでも我慢している方なのですよ?と、彼は口元に弧を描いた。

「愛していますよ、ユイ」

ボルドー色の瞳が私をまっすぐ捉える。

「私も、…っ、」

答える前に噛みつくようなキスで口を塞がれた。

彼の膝の上でバランスを崩した私はピアノに手をつく。

静かな夜の部屋に、鍵盤の音が広がった。



魂を甘く狂わせる

その指先が、

その音色が――


(余計な事は考えず私だけを見ていて下さい)(うん、…ごめんなさい)(不安に思う暇もないくらい溺れさせて差し上げますよ)

あとがき

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