カナリア | ナノ

 あの日、スカウトを受けて、リンとミクは何故か歌手としてデビューすることが決定した。事務所の社長は根回しが早く既に両親の許可をもぎ取っており、更にはデビューするための準備まで整えていた――二人には承諾するという選択肢しか残されていなかった。
 バナナイスに匹敵するグループになるようにと、有名なダンスと歌唱の講師の指導を受けている最中で、休みのないハードスケジュールに心身ともに疲労を感じていた。
 レンはこれ以上に予定が埋まっており、暇を見ては大学にきていたのかと思うとレンの身体が心配になる――バナナイスの人気はまだまだ上がっており、いろんな番組やラジオに引っ張りだこだと聞く――いつか過労で倒れてしまわないだろうか。
「芸能人になるって大変なんだね……」
「だねー……」
 歌のレッスンが終わり、リンとミクは束の間の休憩を取っていた。
 歌は互いの良いところを伸ばすらしく、力強いリンの声は少年にも似ているということで、男装する方向で固まりつつある。芸名もリンは凛、ミクは美玖と決まり、あとはデビューの日を待つばかりだった。
「うーん……男の子の格好をするってことは口調もそれっぽくした方がいいってことだよね?」
「確かに騙すなら徹底的にやらないとね!」
「騙すは人聞きが悪い気がするけど、確かにミクの言う通りだよね!」
 少年の格好をしているのに口調が女の子だとあまりいい印象を持つことはできない。どんな男の子を演じようかと頭の中でイメージしてみるが、浮かぶのは一人の顔ばかりで。
「俺は男の子……男の子……」
 自分に暗示をかけるように呟いたあと、頬を軽く叩いて立ち上がる。
外見に変わりはないが、気持ちはリンから凛へと変わったような気がして、世界がいつもと違って見えた。
「美玖! 打倒バナナイス目指して頑張ろうな!」
「うん! 目指せ日本一!」
 意気込みを新たにしたところで、レッスンの復習に取りかかろうとしたリンは携帯電話が光っていることに気づく。緑色の光はメールの新着があることを告げている。
「誰からだろう?」
 携帯電話を開いて慣れた手つきでメールを開く。送信相手はレンからで、忙しい合間にメール文を打ったのか一言しか書かれていなかった。
 だがそれは今のレンの気持ちを知るには充分すぎて――それと同時に忙しさとかまけて連絡を怠ってきた自分を反省したくなった。前までこちらから連絡していたのに、と申し訳ない気持ちになる。
「レン君からだったんだね」
「……うん。私、レンにすごく心配かけてたみたい」
「返事送ってあげたらいいよ」
 まだレッスン開始まで時間はある。
 リンはいつもより指を早く動かし文を打つ。最初に書くのは連絡を怠っていたことへの謝罪、そしてレンが知りたがっているであろう近状を打っていたところで指が止まった。
――カナリアのことを、レンに知らせるべきだろうか?
 だがカナリアの目標は打倒バナナイスで、事務所からしてもまだカナリア結成は世に伏せておきたいことだろう。せめて解禁になるまでは他言しない方がいい。
 そう考えたリンはカナリアについては一切触れず、大学であったことのみを綴る。心の中にある、レンに内緒にしておくという罪悪感は思った以上に重たいが、それを振り払うように書き終え送信ボタンを押した。
 いずれはレンに知られることだが、今は告げることはできない。そういえば、レンは自分が芸能界に入ったことを知ったらどんな反応をするだろうか、とリンは想像してみる。
 狼狽するレンや驚愕するレン、憤激するレンなど様々なレンが浮かんでは消えるがどれも違う気がした。うまく言葉にすることはできないのだが、そんな反応ではなくてもっと別の、見ていて悪寒を感じるような反応をしそうな気がする。
「思い違いだといいけど……」
 今更正直に伝えればいいよかったかな、と思っても、携帯電話の画面にはメールの送信完了の文字が映し出されており、それだけの件で再び送信するのは憚われた。
 またあとですれば、と先伸ばしにすればそのままズルズル伸びることはわかりきったことで、それなら見つかるまで黙っていた方が得策に思える。
「バレたらバレた時のことだもんね」
 先ほどの発言はその場の勢いで言ったが、本当はバナナイスを超える気はなく、ただ彼らのライバルとなることで、歌に更なる磨きがかかればと思っていた。まず、バナナイスのライバルになれるかはわからないが、なれなかったら自分たちの歌はその程度までだっただけのこと。
 無名の頃からバナナイスを見てきたから、歌にどれほどの情熱を注いできたのか知っているから、バナナイスにはもっともっと輝いてほしかった――それによって彼らが更に手の届かない存在になっても構わない。



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