控え室で出番がくるまでの間は手持ち無沙汰で、レンは鞄から携帯電話を取り出すと着信とメールの確認をする。着信はなく、新着メールは登録しているサイトからのメールマガシンだけで、レンが望んでいるものは届いていない。
メールマガジンを読む気にもなれず、大した情報でないことはわかりきっているため未読のまま削除し、小さく溜め息を漏らしながら携帯電話を閉じる。
「レンが溜め息なんて珍しいね。あんまりやると幸せが逃げるよ?」
「アイスがあれば幸せなカイトみたいに俺は単純にできてないから、溜め息の一つや二つ吐きたくなるよ」
嫌みっぽく返せば、カイトは大袈裟に傷ついた顔をして嘆く素振りを見せる。レンが本心から言った訳ではないことをカイトは知っており、こういったやり取りは日常では当たり前で、一種のコミュニケーションとなっていた。
このように言葉を交わすことができなくなることは恐ろしいことで、バナナイスは団結力を強くしなければ今の座に居座ることは困難だと外部より理解している。だからこのようなやり取りも大切になっていた。
「で、本当に大したことじゃないんだよね?」
「俺からしたらそうじゃないって断言できないけどな。俺には大問題でLENには問題ないとだけ言っておく」
仕事にプライベートなことを持ち込む真似はしないとレンは決めているため、カイトはすぐに溜め息の原因がなんなのかを把握する。
本来なら今の時期に恋人を持つことは許されないが、レンはデビューする前からリンと交際しており、二人の仲を間近で見てきたため別れろなど言うことはできない。それは今この場にいないがくぽも同じようで、マネージャーにそれが知られないようにと祈るばかりである。
所属している事務所も今が売れ時だとバナナイスに力を入れていて、もっと名を売ろうと躍起になっている節が見られた。そんな中リンのことが知られたら事務所が起こす行動などわかりきっている。
「連絡は?」
「メールはしてる。けど、最近返ってくるのが遅くなったかな」
「今の時期何かしら行事とかあるから忙しくなったんじゃないかな?」
「……体調崩したりしてないといいけど」
こうやってリンのことを考えるだけでリンに会いたくなる。リンは真面目な性格だから何事にも手を抜かない――その分気負いすぎて見ている方は不安になるが。
「……電話、しても大丈夫かな」
考えれば考えるほど不安になって、リンの元気な声を聞きたいという気持ちが強くなる。声を聞けばこの不安な気持ちもすぐになくなるだろう。
時計を見ればまだ八時になる前で、電話をしても失礼な時間帯ではなかった。事から解放されるのは真夜中になるため、今を逃せば電話をすることはできない。
レンは閉じていた携帯電話を開くとリンの携帯番号を打ち、通話ボタンに親指を当てる。親指がそのボタンを押そうとした刹那、閉じていた扉が開かれ、メンバーの一人であるがくぽが部屋に入る。
「あ、がっくん。お疲れ様ー」
「先に済ませてしまい、すまなかった」
「それは気にしない。スタッフさんが先にがっくんを呼んだんだからさ。で、次は誰?」
「次はレン殿を指名された」
がくぽの言葉を聞いてレンは通話ボタンから親指を離し、携帯電話を閉じて立ち上がる。間が悪いとはこのことを言うのだろうなどと考えながらレンは携帯電話を鞄に入れた。
「次は俺か。カイトかと思っていたんだけどさ」
「個人が終わったあとは集合も何枚か撮影すると聞いた。終わるのはおそらく十時あたりになるだろうな」
レンは素早く頭の中で今日のスケジュール表を広げ、次の予定を思い出す。確か、十時半からラジオのゲストに呼ばれていて、それからは番組の収録があったはずだ。帰宅するのはいつも以上に遅くなることは明白で、リンに電話することは諦めるしかない。
「寝る暇もないくらい忙しくなったね。デビューした頃の暇さが嘘みたいだ」
「忙しさで大変だが、感謝しなくてはならないな」
「……そうだな。俺たちの夢は叶って、その真っ最中なんだからな」
バナナイスというグループを作って路上で歌っていた時、常にデビューすることを夢見て活動していた。今はその夢は叶っていて、もっと高波を目指して今を頑張っている。
「じゃあ、行ってくるわ」
「行ってらっしゃい」
カイトとがくぽに見送られ、レンは控え室を出ると案内役のスタッフが待機しており、彼のあとについてスタジオに向かう。途中何度か視線を感じてスタッフを見れば、何やら熱い眼差しを注がれており、笑顔を向ければ顔を真っ赤にして慌てたようにスタッフは前を向く。
バナナイスはビジュアル系のバンドでレンは花形をしているが性別は男――だが、たまにこのように性別を勘違いされることは少なくない。性別が男だとわかれば悔しがることがほとんどだが、極たまにそれでも恋慕を向けてくる者がいるが、生憎レンはそっち方面に興味などなく、リンにしか興味はない。
「……移動中にメールしてみよう」
せめて文でもいいからリンの近状を知りたい。返ってくるまで時間はかかるだろうが、リンの返事ならいつまでも待つことはできる。
「LENさん、何か言いました?」
「なんでもないです。ただの独り言なので気にしないでください」
「そうですか。あ、もうすぐスタジオに着きますよ!」
廊下の角を曲がるとスタジオが見えて、スタッフはゆっくりと扉を開けて、レンに入るように促す。
スタジオに入る前にレンは深呼吸をし、ゆっくりと前を見据える。その顔はレンではなくバナナイスの一人であるLENの顔になっていた。