!高尾の目の色原作基準





 体育館いっぱいに響き渡るバッシュのスキール音を遮るようにダンダンと固いボールが床を殴り付ける。片方がパスを出せば、そのボールをしっかりともう片方が受け取りそしてそのまま手の中から放られたボールは寸分の狂いも無く鉄のゴールポストに触れる事も無くネットを潜り床を叩いた。
「休憩にしよーぜ」
 それを区切りにパスを出した方、高尾和成は体育館の端に投げ置いていたタオルを二枚手に取り一方を自分の左手に持ちもう一枚を先程シュートを打った方、緑間真太郎へと投げ付けた。
 練習とは思えないレベルのハイスピードなボールの行き交いがとても心地好いと高尾は感じていた。どう足掻いても辿り着けないと、諦めたくは無いのにそうだと言う絶対的な才能を常に突き付けられていると言うのに、だ。
 タオルを受けとった緑間は感謝の言葉では無く「ふん」と言うだけのツレない言葉だけを返し汗を拭い始める。滴る汗を拭っても既にシャツが吸い込んでいる分はどうしようもなく気持ちが悪いと思いつつその感覚にも大分前に慣れてしまっている高尾はくいっと水分を咽に流し込みタオルを床に放った。
 再び床に転がっているボールを手にしてドリブル、シュート、落ちて来るボールをキャッチし緑間に投げ付ける。緑間が手に持っていた筈のタオルはいつの間にか先程高尾がタオルを投げた場所に綺麗に畳まれ鎮座していた。つまり両手が空になっている緑間は高尾が不意をついたつもりで投げたボールを難無く受け止め、その場から一歩も動く事なくボールを高く、弧を描くように跳ね上げた。
 高尾が今しがたゴールを決めたリングへと吸い込まれるように入って行ったボールはそのまま落下する。

「今日はここまでだ!」

 落下したボールがダンと大きな音を立てたが、それよりも太く低く張り上げられた主将の声でその日の部活は終わりを告げた。



 二つだけのスキール音とボールが床を叩く音が静かな体育館を支配する。はっはっと短く切れ切れの息を散らしながらキュッとタイミングを合わせながら高尾が高い位置にボールを投げて、そのままの高い位置で受け止めた緑間が受け取ったボールを投げる。
 しかしいくらフォームを崩されていないとは言え不安定な場所から放たれた弧はゴールポストの端へと落ちていき甲高い音を発して明後日の方向へと飛んでいった。

「はぁ、流石に今日は終わりにしね? 明日も練習あんだから今無理しちゃダメっしょ」

 膝に左手を付き緩やかに腰を折りつつ、右手で顎を伝う汗を拭いながら高尾は疲れを隠しもしないで声を上げる。集団練習を終えた後二人で今の今まで同じ事を繰り返しやっていた、だが一向に上手くいかないそのシュートに痺れを切らしつつも体力の限界が来ていたのは緑間も同じだったらしく、忌ま忌まし気にリングを睨みつけ小さく「ああ」とだけ返事をした。

 あちらこちらに転がったボールを拾い集めカゴに戻す緑間を横目で見ながら高尾はキュルキュルとゴールを元の位置に戻す作業に勤しむ。幾つかしか使っていなかったとは言え割と重労働だと高尾は思う。気だるげに、しかし緑間の叱責を買わぬようなるべく手早くすませようと手首を動かした時だ。ぱらりと頭上から金具のメッキが剥がれ塗装の皮が落ちて来る。
「っ、ぅ」
 ぱらぱらと疎らに降ってきたそれは高尾に見事命中する。高尾がヤバいと思った時には既に遅く、瞳の奥に異物が入ったような痛みが高尾を襲った。
 目薬は部室に置いている、だが、何より痛い。思わず異物の入った右目をぎゅっと閉じてなんとかそれをやり過ごそうと試みるが上手くいかない。それどころか痛みだけが増すばかりだ。
 まだ全てのゴールを片付けていないのに、止んでしまった音に緑間も気が付き高尾に駆け寄る。
「どうしたのだよ、高尾」
「目に、ゴミ入っただけだから大丈夫、マジ心配すんなって」
 強がってみたが一向に取れる気配の無い異物に涙さえ出て来る。ほろりと、右の目だけが別の生き物になったかのように涙を溢れさせて止まらなくなっていく。涙と一緒に零れる事を願いつつ恐る恐る瞼をあげる。

「動くな」

 痛みに眉を寄せながら瞼が上まで上がったところでいつの間にか離を詰めていた緑間が視線を合わせる。俯いていた高尾の顎に右手が添えられ強制的に上を向かせられる。そしてがっちりと固定したところで緑間のテーピングが巻かれていない左手の指が高尾の右目に伸びる。

「閉じるな、高尾。お前の目がどれ程大事かわかっているのか」

 本能的に閉じようとする目に緑間は二度目の喝を入れる。低く腹に響く声を真正面で聞きながら高尾はそろそろと目を開ける。溢れ続ける涙には異物は混じらず高尾の瞳に残っているのだとわかる。濡れた睫毛をふるふると震わせながら必死に瞼をこじ開けて緑間に顔を向ける。
 緑間は一度咳ばらいをしてゆっくりと、爪が短く綺麗に切り揃えられた指先を高尾の右目に侵入させる。やはり閉じてしまいそうになる目を叱咤して高尾は耐える、しかしどうしても他人に目を触られると言うのは、怖い。
 高尾が肩を小さく震わせたところですっと目から痛みが引いていく。瞬間的に「ああ取れたんだ」と理解して物凄い安心感が高尾を襲う。緑間も安堵したように息をつき高尾を見る、何故か緑間がまだ顎をホールドしている為に男二人は至近距離で見詰め合い続けている。
「サンキュ、真ちゃん、もう取れたみたい」
 ほろほろ溢れ続ける涙を止めるべく腕を上げて着ていた白いシャツの袖で拭おうとすれば緑間は空いた方の左手でそれをぱしりと制止した。
「え?」
「綺麗だ」
 勿論奇行もだがその言葉は幾つもの疑問符を高尾の周囲に飛ばした。エース様の大切な左手を振り払う訳にも行かず結局のところ硬直状態だ。

「お前の目は、綺麗だと言っているのだよ」

 キラキラと星を零したような瞳の色を映す橙の涙が止め処なく体育館の床を濡らし、高尾は言葉の意味も理解出来ないまま目を丸くして緑間を見詰める。何度か瞬きをすればその都度高尾の睫毛は涙を弾き瞳の回りに輝きを放つ。

 瞬間、高尾は現実からは切り離された場所に居る錯覚に陥る。

 掴まれた右腕と捕らえられたままの顎だけの繋がりで二人がまるで宇宙にでも居るような不思議な感覚。緑間の後ろの大きな窓から見える空は美しい濃紺。まだ陽は暮れていなかった筈なのにと思う隙も無く濃紺のカーテンは窓の外だけじゃなく緑間の背後を、左右を、高尾の後ろまでもを覆い尽くしそして一瞬にして満天の星を散りばめる。
「俺の、目」
「ああ」
 至近距離で目を見られた高尾はそれならば、と緑間の瞳を逆に見る。常盤のように濃く、春を連想させる芽吹きの色をしたガラスには自らの姿が映る。互いの目を反射してきらりと輝き空に星を散らし、弾けてゆく。シャボン玉の割れる時を彷彿とする飛沫をあげて星は全て弾けて消えた。同時にカーテンは朝を告げる作法で、目覚めを促すそれで一斉に幕をあげる。
「高尾」
 高尾の小さな瞳が、それこそ落っこちるのでは無いかと思うほどに目を見開いた時、涙は止まり、緑間の唇が星が弾ける程度の、一瞬の飛沫のように高尾の唇をさらっていった。
 宇宙も星も無いのに緑間の周囲はきらきらと輝いていて、「何かに似た感覚」を高尾は思い出す。頭の中全てを何かに似た感覚に占められた高尾の思考には後から後から、じわじわと先程のがキスなのだと教える。
「し、ん、」
 嫌じゃない、嫌じゃないと脳が本音を告げながら駄目だと理性が警鐘を鳴らす。あの感覚はきっと超えてはいけないラインだと自覚して、閉じ込めた想いに似ていたのだ。超えてはいけないラインを作ったのは確かに高尾だった。だがその線はまさか、いとも容易く向こう側から超えられてしまった。

「多分、好きだ。 高尾の事が」

 それどころかラインを消し去った緑間に高尾は更に目を丸くする。プライドの高い緑間らしい最初の補足が愛しい。顎を乗せていた筈の緑間の右手はいつの間にか頬に這わされ、緩やかにお互いを向かせ合う。
「俺、は」
 口だけをはくはくと動かしまるで本当に宇宙に居るのではないかと思わせるように息が出来ない。俺の気持ちは迷惑ではないか、緑間の足を引っ張る不必要なものなのではないか、高尾の理性は再び線を引きはじめる。
 答えを待って高尾の目を見る緑間の顔は至極真剣だ。緑間のような堅物に冗談など言えないだろうし何より今の告白が嘘だとは思いたくない。高尾自身そうであるように自分の気持ちを他人に否定されるなんて真っ平だろう。
「高尾」

 理性が引いた線は、がったがただった。
 よろよろだしとてもじゃないが直線とは言えない、ところどころ切れ切れな部分まである線はまるで右利きの人間が左手で文字を書いたような線はひどく不器用に見える。言い訳のように高尾は頭の中で理由を並べる。
 緑間が催促するように(自覚は無いだろうが)高尾の名前を呼ぶ度に線には消しゴムがかけられる。
 ぼろりと今の今まで目の表面に幕を張っていた水分が一定量を超え大きな粒になって高尾の目から溢れた。
 何に似た感覚だったのか、高尾はよく知っている。もう線は緑間が全て消しゴムで消してしまった、高尾にはもう止める方法は無い。

「俺も緑間が、好きだ」

 やたら切羽詰まったような表情で、再び塞きを切ったように涙が溢れ出す。緑間は堪らず高尾を抱き締める、それは高尾の周りにもきらきらを散らして来てああ超えたのだと何処か遠くで喜びに似た諦めを感じた。
「真ちゃん、好き、好き」
 抱いた諦めをかなぐり捨ててまで塞きを切ってしまったのは涙だけでは無かった。高尾の口は絶えず緑間に好きだと伝える、それに応じるように緑間は高尾を強く抱き締めた。

 暫くして身体を離した高尾が見たのは今更と言うタイミングで顔を真っ赤しにした緑間の姿だった。
 なんだ告白した時は素面だった癖にと思わず高尾は噴き出した。ぷぷぷと笑う高尾を横目で見て緑間は一度眼鏡のブリッジを左手の中指で正し、そっぽを向いた。何を言ったって墓穴を掘る事に違いないとわかっての沈黙だったのだが高尾にとっては好都合、逆にからかいがいのある物だ。
「真ちゃん、照れてんじゃん」
 口元を抑えながら声をあげて笑うと緑間は忌ま忌ましそうに高尾を睨みつけて(顔を赤くしているのであまり怖くは無い)口を開く。

「高尾も顔、赤いのだよ」

 ばっと高尾が両手で顔を抑えた時には手遅れ、にやにやと口角をあげて意地が悪そうに笑う緑間の顔が嘘だと告げていた。からかわれたのは高尾だったと気が付き高尾も負けじと食ってかかるように緑間に向く。
 しかし笑いを堪えることもせずにくつくつと咽を鳴らし続ける緑間を見ればあっさりと高尾の毒気を抜かれてしまう。怒る気を削がれたところで空が随分暗くなっていた事を思い出した高尾は慌てて片付けを再開する。今度は塵が目に入らぬよう下を向き、慣れた手つきだけでゴールをなおして行く。
 全てが終わった頃空はより深く沈んだ色へと変わっていた。空に散りばめられた沢山の星が先程の緑間を思い出させ高尾も今更恥ずかしくなる。高尾がほんのり赤面していることを知ってか知らずか緑間の指が隣立って歩く高尾の指に緩く絡められ恥ずかしさは頂点に達した。
 振りほどく事も堪える事も出来ず緑間に文句を言おうと顔をあげれば今度こそ等しく顔を蛸のように赤面させた緑間の整った顔があった為高尾の言葉を失う。

(ああもう!)

 どうしようもなく惚れてしまったのだと理解したのは二人同時だった。
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