誇り高き想いを胸に。
それは、とても強い雨の降る日だった。
「…今、なんて…」
「だから。もう別れようって言ったの」
あいてのなまえが私を呼び出したのはほんの一時間前。
夜も遅い時間にどうしたんだろうか、すごく不安になった私は急いで支度をして彼の家に向かった。
開けたドアの向こう側は電気も付けられておらず、ひんやりとした空間が広がっていて私は嫌な予感を感じずには居られなかった。
それでも呼ばれたからには何か用があったに違いないと部屋の奥に進む。
ソファに腰を掛けているあいてのなまえの表情は伺えないが、なんとも重たい空気の中で私は胸が張り裂けそうになった。
暫くどちらも口を開こうとはしなかった。どうして、いつもなら笑いながら名前を呼んで手招いていてくれると言うのに。
背中にゾクゾクしたものが走った直後。
ようやくあいてのなまえは口を開き、冒頭に戻るというわけ。
「なんで…私、なんかしちゃった?」
「自覚もないわけ?言うまでもないと思ってたよ」
「え……そ、んなに…?」
「最近さ、連絡しなかったのも会うとイライラするからだったんだよね」
「ちょっと…」
今、私が話してるのは誰?
目の前に座るこの人は今まで私が見てきたあいてのなまえなの?
信じられない言動に喉が詰まる。
2人の間の距離はもう埋められないものなのか。
私に自覚がない程最低なものが備わっていたのだろうか。
直す努力をしても、もう無理…?
「ってことだから。もう別れよう」
「本当に…?本当に言ってるの?」
「いい加減うざいよ、あなたのなまえ。物分かりいいのがお前の売りじゃなかったの?」
「そんな…」
表情が見えない分、余計怖いと感じてしまう。
声が震えているのは怒りに狂っているのだろうか?
泣いてはいけないと歯を食いしばる私にダメ押しをするように、あいてのなまえは立ち上がり玄関まで手を引かれる。
そして、
「さようなら」
玄関を閉じられた。
あいてのなまえに唐突な別れを告げられてから半年。
一番最後に見た彼は、彼のようで彼じゃなかった。
今でも信じられない。
あんなに冷たい人なわけがない。
最後に握られた手の震えはしっかりと体に焼き付いていた。
すっぱり別れを告げられてしまったのにまだ忘れられないなんて、みっともないな。私。
RRR・・
「ん?」
そんな彼と共通の友達から着信を受けた。
仕事の帰り道、今日は何を食べようかなんて呑気に考えていた直後の話だ。
「もしもーし」
『……あなたのなまえ…?』
「どうしたの…?」
受話器の向こうでは友達のすすり泣くような声がしている。
何があったのだろうか、簡単に泣くような人ではないからこそ不安が募る。
『落ち着いて…聞いて、くれる?』
「うん……?」
自体の飲み込めない私は公園のベンチに座り込み、友達の言葉を待った。
『あいてのなまえと…別れた、んだってね…?』
「あぁ…うん。でも半年も経つよ」
『今まで知らなくて…ごめん』
「別に…言わなかったのは私だし…」
それまで星が覗くほど綺麗だった夜空に次第に雨雲が広がっていく。
なんだか、嫌な予感。
『あなたのなまえも辛かったよね、』
「うん…でも、もう忘れないといけないよね」
『…う、っ…く、あなたのなまえ…』
「ねぇどうしたの?なんで泣いてるの?」
ポツ、ポツ。
降りだした雨にまずいと思った。
手元に傘はないし、おろしたばかりのスーツが濡れてしまう。
電話をしながら腰をあげたあなたのなまえ。
嗚咽を繰り返していた友達が漸く言葉を投げてきた。
『あいてのなまえ、死んじゃった』
「え………?」
ザアァアアァァァァ…
一気に強まった雨脚に、あなたのなまえはそこから退くことが出来なかった。
動けなかった。
瞬きを忘れ、息の仕方さえも忘れてしまったように、自分が生きている事さえ忘れてしまうように、立ち尽くした。
『う、っ…死んじゃったよ…』
「なに…誰の、話を…」
『なんであなたのなまえに言わなかったんだろ…』
「待って…頭が…」
『あいつ、最後まであなたのなまえとの写真握り締めてたって…』
ポシャン。
耳から落ちた携帯は虚しく音を立てて、水溜りに落ちた。
あいてのなまえは、私が嫌いになったんじゃないの?
私に酷い言葉を投げたあいてのなまえは、あの呼ばれた日から丁度3ヶ月前に余命を言い渡されていたそうだ。
本当は直ぐにでも入院しないといけない体だったのに、お医者さんに無理を言って3ヶ月だけ猶予を貰ったんだそう。
精神的にも身体的にもボロボロだったあいてのなまえは出来るだけ私に気づかれないように振舞っていたのだ。
辛いのに弱音を吐かずに、最後は私が自分を忘れてくれればいいと無理やり暴言を吐いたと、あいてのなまえの親友が教えてくれた。
最後まで写真を握り締めていたのは、あいてのなまえの人生に私はなくてはならない存在だったから。
別れた後もしきりに心配しては辛いと零していたそうだ。
最後に私が見た彼はとても安らかな表情をしているあいてのなまえで、白い花が悔しいほど似合うなぁと思った。
そして、私の左薬指にはダイヤモンドが輝く指輪が嵌められている。
「綺麗だね」
「でしょ?あいてのなまえが、綺麗だった証拠ね」
「…あなたのなまえ、辛くない?」
遺骨をダイヤモンドにしてくれる会社に依頼して、あいてのなまえの一部は私と一緒にこれからも生きていく。
光り輝くダイヤを見つめると、今でもあいてのなまえがこの世を去ったなんて信じられなかった。
「最後まで優しい人だったんだなぁって、胸が温かくなるばかりだよ」
「……そっか」
私の愛した人は立派に生涯を全うした。
それがとても誇り高い思い出になる。
見上げた空は澄み渡る青一色。
またいつか、どこかで会えたならば伝えたい。
あいてのなまえを一生愛すると誓います、と。
end