diamond love ling
彼氏がバンドマンだと苦労するよ。
あいてのなまえと付き合う前に言われた言葉。
告白されて、どうしようか悩んでいる時友達に相談してみると上の言葉が返された。
確かにそうかもしれない。
一緒に暮らしてみて、前より生活はずれを生じるようになったし今月に入って言葉を交わしたのはいつだったっけ、なんて最後が分からない。
生活時間がバラバラな彼の為にご飯を作り、起きたらその食器を洗う毎日。
おかずが残っている事もあるし綺麗に片付けられてることもあるけど。
それでも同棲して半年くらいは一言、メモに「ありがとう」と添えられていた紙を見るだけで胸が温まったものだ。
いつからかそのメモも、書かれないようになって休みが重なっても部屋の中でダラダラ別々の時間を楽しんでいたりもする。
悲しいとは思わない。
それが当たり前なのだから、幸せだと思い込むしかない。
友達に現状を話せば間違いなく別れろと言われるはずだ。
だがそれはしたくない。
当たり前の生活は日常生活に移り変わり、そこからあいてのなまえがいなくなると考えるのは恐怖でしかなかった。
例え言葉を交わさなくとも、あいてのなまえとずっとに寄り添っていたいと思う気持ちはあるのに。
(名前すら呼んでない)
愛してる、なんて前はよく言ってたなぁと思い出すのは昔の事ばかりだった。
「ただいまー」
まだ日付が変わるには時間がある。
珍しく早めの帰宅に嫌な予感がした私は食器を洗う事だけに専念した。
ため息を吐きながら廊下を歩きこちらに近づく足音。
小さくおかえり、と呟くともう一度ただいまと返された。
「早かったね」
「うん」
「ご飯は食べてきた?」
「食べちゃった」
「そっか」
「ごめんね。今度一緒に食べよう」
「ううん」
別に気にしてない。
むしろ今から何か作ってと言われる方が辛かった。
仕事で酷く疲れている今日は早めに寝たいと思っていた。
室内着に着替えるのかあいてのなまえは一旦寝室に消えて、私は手元の泡をじっと眺めた。
このフワフワな泡のように、地に足が着かないような感覚の幸せを前は毎日味わっていた。
帰ってきたらまずおかえりのキス、どんなに遅くなっても一緒に食事を取ってお風呂に入る。
そのまま行為に発展する日もあれば、静かに抱きしめられながら眠る日もあった。
あいてのなまえが私の名前を呼んで頭を撫でて、夢に落ちていくまでの時間でさえもフワフワ、気持ちよかった。
それが今ではどうだろう、同じベッドに入るのに互いの温もりを感じるなんてこと、あっただろうか?
枕を別々に分けて、布団も2つ乗っかっているベッドは1つのようで2つに区切られているのだ。
それでも同じところで寝てるだけましだろうと自分を誤魔化して来たのかもしれない、寝室からあいてのなまえが出てくる音がして慌ててスポンジを掴んだ。
早く洗って寝てしまおう。
「あなたのなまえ、明日って仕事?」
「ううん。お休み」
「そう。おれも休みー」
「…そっか、ゆっくり出来るね」
そっけない言葉を返してしまうのは慣れなのか、それとも飽きなのか。
自分の事なのに他人事のように考えてしまって腹が立った。
恋愛ってもっと楽しいものじゃなかったっけ?
「あなたのなまえ」
「わ、」
いきなり後ろから抱きしめられて、泡の立ちこめるそこにあいてのなまえも手をいれてきた。
水の中で触れ合う手に今まで忘れていたトキメキが蘇る。
「あのベッドさ、綿が抜けてきちゃったよね」
「…そうだね。スプリングが背に当たって痛い」
「それにやっぱり、ちょっとサイズ大きすぎたね」
「……そうね。余っちゃうもんね」
2人だけで使うには豪華すぎるクイーンサイズのベッド。
買う時は大いに喧嘩をしたものだ。部屋全部がベッドに埋もれてしまう、なんて私は泣き喚いたっけ。
「後さ、食器も結構ひびはいっちゃってるじゃん」
「あぁ…私も気になってたんだ」
「そろそろ新しくしようか。明日は時間があるし」
耳に掛かるあいてのなまえの息に、喉がつまりそうだった。
こんなに近くで声を感じたのはいつぶり?
背中から伝う温度に意識を落としそうになる。
(え?)
水の中で一緒に食器を洗っていた手が抜かれて、指に違和感を感じた。
「ベッドはもう少し小さいものにして、食器も新しくして」
「あいてのなまえ…?さっきから何を…」
「今日まで寂しい思いをさせてごめん。明日からは新しいおれ達になろう」
「え……?」
チャプ…
手にたくさんついた泡を蛇口の水が綺麗に落としていく。
肩口に埋められたあいてのなまえはいつかの晩のように、低くて艶のある甘い声で「愛してる」と囁いた。
「これ……」
「若い頃から貯金してればすぐ買えたんだけどね」
「えっ……」
「いい曲いっぱい作ったから、ボーナス入ってようやく今日買えたんだ」
「……うそ、」
「だから寂しい思いさせちゃったんだけど。ごめんね」
左手の薬指に輝くダイヤモンド。
ショーケースに並ぶそれを見た事はあるけど、直接指に嵌めた事なんて今が初めてだ。
「あいてのなまえ、待って、」
「ん?」
「私の事、もう好きじゃないんじゃ」
「なんで?好きだよ。大好きで、愛してる」
「…う、そ…」
「嘘じゃないって」
濡れた手を口元に当てながら振り返ると、初めて告白した日のようにあいてのなまえは優しい笑顔を浮かべていた。
「一応、プロポーズなんだけど」
「分かりづらいなぁ…」
「これでもあなたのなまえの希望をかなえてあげたつもりだよ」
「私の?」
「覚えてない?」
正確な日付と、時間。
あいてのなまえが口にした日を記憶の中から手探りに手繰り寄せて、思い返してみる。
辿り着いたのは私の笑顔と、あいてのなまえの心地いい腕の中。
"プロポーズされるなら、すごくさりげない感じがいい!何も意識してない時に、指輪を嵌めてもらうの!"
「あ……」
「愛まで疑われるほど、接してなかったっけ、おれら」
「…うん……すごく、すごく寂しかった。このまま終わっちゃうんじゃないかって」
「そっか。それは謝る。でも、もう絶対しないから」
「うん……ありがとう」
どちらともなく重なり合った唇。
まるでファーストキスのように恥ずかしくて、嬉しくて、幸せ。
フワフワ浮くような幸福感、指に嵌められたダイヤのおかげで辛うじて現実に留まっている感じだ。
その晩は一緒にお風呂に入ったけど行為に及ぶ事はなくて、ただ広すぎるベッドの上で抱き合いながら夢に落ちた。
起きたら小さめのベッドと、食器を新調しにいこう。
新しい人生がスタートするんだと胸が躍ったその夜。
空には綺麗な星がいくつも散りばめられて、お月様が私達に微笑みかけるように柔らかな明かりを灯していた。
end