今年のナギサシティの冬は例年以上に寒いらしい。それは毎朝流れるニュース番組の終わりで申し訳程度に報じられている天気予報でも報じられているし、実際に住んでいる俺が身を以て体感している事実でもあった。温暖化が危ぶまれる時代だが、軽く痺れるほどの冷気を肌で感じていると、暫くは地球も大丈夫なんじゃないかという気になる。もっとも野生ポケモンたちの生態に関係するほどのことなのだから、平々凡々とした営みをただ繰り返すだけの俺にはわかり得ないだけで、ことはわりと深刻なのだろうけれども。そう言うとオーバは「他人事じゃねえんだぞ。」と苦笑したが、何十年先の地球のことを自分事のように考えろ、なんて、それこそ無理がある話だ。どこぞのテレビでやってるようなスーパーマンならまだしも、俺は生憎そんなにお人よしじゃない。見えないものなんて、どうだっていい。どうだって。

一方の、俺に真っ当なことを説いてみせたオーバは今、悠々とこたつでぬくぬくと温まりながらみかんを頬張っている。言わずもがな俺の家で。誰のこたつで誰のみかんだと思ってるんだ、と小言を言ってやりたかったが、それもこれも三日ほど前にナギサの最低気温が氷点下を記録したのを知ったオーバが急ごしらえで用意したものだった。一口に広いとは言いきれない俺の自宅で、サイズ的にも値段が張ったであろうこたつを広げることができたことさえも、結局は進んで掃除をしない俺の代わりにオーバがてきぱきと家事をこなしてくれたおかげだ。それを考えるとオーバが我が家に当然のように入り浸っていても何ら不思議でない気がして、開きかけていた口は言葉を紡ぐことなく閉じられた。



「デンジー。お前ジム行かなくていいのかー?」
「今日は休みだ。」
「嘘つけよ、お前さんの仕事は年中無休のはずだろうが。」
「それをお前が言うのか、四天王」
「俺ァいいんだよ、挑戦者が来たら報告メール来るし。そしたら急いで帰るっつの。」
「気ままだな。」
「自由奔放って言ってくれ。」



にい、とオーバが笑う。そうして俺にアホ丸出しの笑顔を向けた後は、剥いたばかりのみかんを飽きることなく口にせっせと運ぶのだ。あんまり食べると肌が黄色くなるぞ、と小さく皮肉を言うものの、オーバは聞こえないふりをして、また別のみかんに手を伸ばす。その指先が微かに赤く染まっているのを見て、俺は反射的に後ろの台所を振り返った。いつの間にやら流し台に積み重ねられた食器類は綺麗に洗浄され、埃一つない棚の中に片づけられている。視界の隅に黒ずんだ布巾が映って、すべて察した俺は今度こそため息をつくほかなかった。



「お前さ。」
「なんだ?これはやらねえぞ。みかんくらい自分で剥けよな。」
「そうじゃない。……けど、お前はもう少し見返りを求めてもいいと思う。」
「はあ?」



一瞬目を丸くして、直後怪訝そうに眉を顰めるオーバはきっと「いまさら何言ってんだこいつ。」ぐらいにしか俺の言葉を捉えていないだろう。俺もそんなに深い意味で言ったわけじゃない。冷たい水道水に曝され、かじかんだヤツの手に感化されただけだ。頼んでもいないのに人の見ていないところでそつなく仕事をこなす、底なしのお人よしに。けれどオーバが実際に俺に何かを要求したとして、俺がヤツの意を汲むかどうかはやぶさかじゃない。自覚がある程度には、俺自身気まぐれな性格だと認めている。だがそうこうしているうちにこいつが他の、たとえば女と一緒になる、なんてことを想像したら、なんとも言えない気持ちになるのも確かだった。

せめて自分を自由奔放だとのたまうオーバが北風のような男であればよかった。それなのにこいつはいつも上っ面ばかり気取って、その実太陽よりも厄介だったりする。遠慮なしにがんがん照りつけてくれば文句の一つも言えただろうに。



「今日のデンジ変だぜ。いつもんなこと気にしねーのに。」
「そうだな。忘れてくれ。」
「やーだね。しおらしいデンジ珍しいし。じっくり観察してやる!」



にやり。やらしい笑みを口元に貼り付け、オーバはもぞもぞとこたつの中に潜りだした。カーペット式とはいえ、二十歳を過ぎて幾年の男がとる行動じゃない。だが自分の隣に移動してひょっこり顔を出したこいつに悪い気が全くしないのも変えようのない事実だ。薄皮が爪の間に入り込んでオレンジがかった色になった指先に、自分のそれを重ねてみたくなった、それすらも。

ヤツの象徴である炎を模した燃えるような赤い髪のアフロを見ているだけで、外の空気の冷たさを忘れることができる。先人たちはこの感情に名前をつけたらしいが、俺にはその言葉を使うことはできない。彩るには、築き上げてきたものが多すぎたのだ。あまりにも。
ふと、俺を見上げていたオーバがぎょっとし、目を見開いた。無意識に触れてしまったのか、と思ったが、俺の手はヤツに触れることなくこたつ台の上に乗せられたままだ。



「なんだ。人の顔見てそんなバカ面晒す奴があるか。」
「え、あ、いやすまん。なんか……、」
「はっきり言え。」
「あ〜…怒るなよ?……なんか、デンジがすっげぇ……優しい目ェしてっから、ビックリした。」



言いづらいのか、組んだ腕に口をつけてうつむきがちにぼそぼそと話すオーバの頬がうっすら桜色に変じている。こたつのせいだけではない、ということは明白だった。可愛くないぞ、と言えば「わーってるよ!だから言いたくなかったんだ!」と勢いよく噛みついてくるこいつの、そういうところも気に入ってるのだと、いつか切り出すことができるだろうか。

仮に。仮にだ。オーバと結婚したいとか言い出す物好きな女が現れたとして。そいつにオーバをくれてやるくらいなら、いっそ俺がその女ひっかけておとすほうがマシだと俺は考えている。きっと何も知らないオーバは俺に女ができたと知ったら、「彼女大変だろうな〜。お前ホント生活感ねーしさ。」とひとしきり笑って、酒でも飲みだすのだろう。全てを知ったオーバは、俺を嫌うだろうか。軽蔑するだろうか。それもいいかもしれない、と思う反面、そんなことはありえない気がして、それが自惚れではないことを心底願った。

だから今はこの立ち位置で甘んじておく。いつかオーバが俺に見返りを求めるようになった時、そんな日が訪れた時のために、先人が知恵を絞って捻り出した慈しみの授け方はしまったままにしておこう。



「……気づくのが遅い。」
「え?」
「俺はいつでも優しいだろ、オーバ。」
「寝言は寝て言えよジムリーダー様、とっとと仕事行け!」



オーバが俺の足を無遠慮に叩いて急かす。しぶしぶこたつから出ると、窓から射し込んでくる日の光のおかげか、思ったほど寒くはなかった。もう昼前だ。社長出勤だな、と思ったと同時にオーバも同じことを口にするものだから、俺はなんとなくこそばゆくなって、急いでもないのに近くにかけてあった去年買ったコートを手に取って早足で玄関へと歩を進めた。



「あ、待てよデンジ。」



俺に続いてオーバも起き上がったらしい。「さみ〜!」と一通り騒いだあと、どたどたと足音を鳴らしながら俺を追って玄関へ来るこいつの声のやかましさと言ったら、これが夜だったら近所迷惑だと訴えられるレベルだ。うるさい、と振り返りざまに文句を言ってやったが、やつがおそらくは寒さ対策に羽織った俺の普段好んで着ているジャケットに目がいき、あとは言葉にならなかった。寒がりのくせに外では見栄を張って上着を着ようとしない、こいつの素の一面を知っているのが俺だけだと思うと誰に対してでもなく優越感すら覚える。我ながら重症だ。



「今日の晩飯なんだけど。」
「ああ。」
「寒いから鍋にしようと思うんだ。いいか?」
「その理論だとこれから二、三か月は鍋続きになりそうだな。」
「人の揚げ足とんじゃねーよ、燃やすぞ!」
「いいよ何でも、お前が作ってくれるなら。」
「え。」
「行ってきます。」



俺にどこまでも甘いオーバへの、ささやかな反抗。これで少しくらいは俺のこと意識するんじゃないだろうか。そうであってもそうでなくても、今日一日ジムでまた挑戦者たちとバトルして、家に帰ったらオーバが温かい飯を用意して待ってくれている。それだけで俺にとっては充分で、この平々凡々とした営みが、何物にも代えがたい俺の世界のすべてだ。

返事を待たずに外に出て、部屋の中より随分と冷え冷えとした寒空の下を歩き始めた。とりあえずは今日の昼飯を適当に買っていかないと、とジムと反対の道を進む。間もなく背後から「あとで簡単なもん作って持ってってやるからジムに行けっての!」とあいつの声が乾いた空気に木霊して、思わず緩めてしまった口元だけはオーバに見られていなければいいと思った。





Beautiful World



夜、甘酒でも飲み交わしながらオーバに話してみようと思う。地球温暖化について自分事のように考えるなんて真似はやっぱり俺にはできないが、それでも隣にいるのがお前でいてくれたなら、少しは俺も先の未来についてくらいなら考えられる気がする。とは言ってもどこまでも人のために尽くすのが性分のお前がこれからも甲斐甲斐しく俺のために家事をしている姿しか目に浮かばない、なんて言ったらたぶん怒るだろうから、そこはうまいこと隠して話すさ。これはもしもの話だが、『プロポーズみたいだな。』と奴が笑ったならば、それはそれで好都合だ。冗談で済ますつもりは毛頭ないけれど。



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