厄介な人間に惹かれてしまったと思う。恋慕かと問われれば些か返答に困るが、しかしこの気持ちを形容する言葉を、学のない俺では知りえるはずもない。ただ、どうしてもあの強い意思を秘めた金色を忘れることができなくて、意味もなく領主の屋敷へと俺は通いつめた。もう一週間になる。視界に入るのも嫌でたまらなかったはずの無駄に華美な邸宅が、そっとその扉を開ける瞬間を、俺はひたすら待っているのだ。随分と殊勝なことだと嘲笑さえ洩れる。我ながら呆れた。あの中に住みたいと思ったことは今までも、そして未来永劫あるはずもない。だが、それでもあの扉が開いてひょっこりそこからあの『ゴールド』という男が顔を覗かせるのを、俺はこんなにも心待ちにしている。馬鹿な妄想だ。奴隷であるあいつが、そう簡単に出てこられるはずもないだろうに。けれど、こんな気持ちは、生まれてはじめてだった。盗みを働いて、追われて、逃げて、町を吹き抜ける風のように駆ける。その繰り返しだった日常に一点の、一種の輝きにも似たものを見出だした。人はそれをただの興味と呼んで片付けるのだろうか――それとも。
そこまで考えて、俺の足がまた自ずと領主の屋敷に向かおうとしているのに気づいて、止まる。(無意識とは、恐ろしいな。)ほんの好奇心だった筈なのに、ああどうして、こんなにも胸が苦しい。奴隷としての残酷な仕打ちを受けているであろうあいつを想って、一人唇を噛み締める。あの強い眼差しが、何かに屈してしまうことを俺はこんなにも恐れているんだ。(何故、だろう。)
せめて、もう一度でもいい。ゴールドに会う機会はないのか。会わずとも、その姿を一目見て安心できれば、それでいい。あいつがそこで生きているのだという、確固とした証があれば。

「……はっ」

なんてな、と自嘲した。するしかなかった。そう簡単に侵入できる屋敷ならば、とっくに俺と姉さんで入り込んで、領主を殺してやってる。この土地に入る金と言う金は多種多様なルートを経て領主のものになるのだが、奴はその莫大(この町においてはだろうが)な金をつぎ込み、そこいらで腕の立つ者たちを皆番人として雇っている。これでは力のない、しかも食べていくのにも困憊した民では歯が立たない。見つかったら確実に、その場で殺される。俺の足ならば逃げ切れるかもしれないが、仮に俺がそのような行動に出て貧困街の人々が、姉さんが、道連れに殺されでもしたら。それを考えると迂闊には動けないのが現状だ。
いつか領主を殺すその時のために、ナイフでの戦闘訓練は積んでいる。だがそれだけでは、まだまだ力不足だ。姉さんを守りきるためには、俺が軽はずみな行動に出るわけにはいかない。それは、重々承知しているつもりだ。
それでも。
気づけば、思い出すのは奴の最後に見せた、笑顔で。






「あっ。お前この前の赤毛じゃねーか」



目の錯覚、だと思った。
これほど都合よく、こんなタイミングで、何よりこんな場所にこいつがいるはずがない。俺もとうとう疫病にやられたか、と他人事のようにぼんやりと思ったりもした。ここは廃れた大通りで、領主の邸宅からはやや離れた市場で、奴隷という身分であるこいつが自由に歩き回れるはずもなくて。けれど俺の顔を覗き込むその金色は、紛れもなく。

「……ゴールド、」
「へへっ!覚えてやがったか。まあ忘れてたら、その小綺麗なツラに一発ブチ込んでるとこだけどよォ」

何の屈託もなしに笑って見せたゴールドの腕と足にはやはり奴隷である証の枷が嵌めてあり、奴が腕を組めばジャラジャラと嫌な金属音を響かせる。たまらなく不愉快なその音に眉根を寄せ、だがしかし思いもよらず再び会えたことに喜びよりも、安堵している自分に驚いた。ゴールドは枷をしていることを気にも止めていないようで、俺の髪を掬っては「この色目立つからすぐにテメエだってわかったぜ。」などとほざく。俺がどれほど、お前を思っていたか――なんて、一方的に焦がれていただけの俺が言えるはずもなく、本当に言いたい言葉は飲み込んで素っ気なく返事をした。(無事で良かったなんて、俺が言っても困らせるだけだ。)

「お前、なぜここに」
「俺は奴隷だぜ?仕事に決まってんじゃねえか。労働力として買われたんだからな」
「……」
「ただまァ俺が一番若かったし、旦那サマの御目にかなったんだろうよ。他の奴らみてえに四六時中拘束されてはないぜ。ま、逃げたら殺されっけど」
「……そのわりには、随分と自由そうじゃないか」
「今から仕事なんだよ。町外れの荒れ地に歩いて行けってさ。他の奴隷たちもそのうち来るぜ。見張り番もな」
「なぜお前には、」
「さっきからなぜなぜって、クソうざってえなお前!さっき言ったろうが、俺お気に入りなんだって。逃げさえしなけりゃいいって見張りもついてねえ、それだけだっつーの!」
「………そうか」

見た目通り短気で単純な男だ。そう小さくため息をつく。(こいつは、どうにも食えない。)ゴールドの言葉の中に矛盾と嘘が相混じっているのはすぐに気がついた。当然だ。気に入られようと奴の身分は奴隷。奴隷はどこまで行っても奴隷だということを、俺は俺の人生を通して嫌というほど知っている。目の前で脱走しようとした奴隷の男が、無惨に虐殺される瞬間を見たことも、ある。不意にあのときの映像がゴールドと重なって、くそ、最悪だ。深呼吸を繰り返してそんな雑念を振り払おうとしたが、あまりにもリアルに再生されてしまった映像は中々頭から離れてはくれない。
そこでゴールドが探るような視線を俺に送っているのに気がついた。俺がこの男のことを知らないように、奴もまた俺を知らないのだ。勘ぐりあい。底辺に位置する者同士、滑稽なことだと自嘲が洩れる。(疑うのは、やめにしよう。)ゴールドが嘘を織り混ぜていようがいまいが、そんなことはどうでもいい。また、会えた。今はそれだけで充分だった。

「で、名前」
「は?」

徐にゴールドがずい、と顔を寄せる。目と鼻の先にあいつの太陽のような、いいやそれでは例えが陳腐すぎる。まるで瞳の中で太陽が、それを中心に廻る惑星が弾けて、燃えているかのような、そんな金色に射抜かれて、俺は思わず狼狽えて数歩後退した。

「俺だけお前の名前知らねえなんて不平等だろ!おら、さっさと吐きやがれ」

不平等、なんて他人の口から聞いたのは随分久しいことだった。この町に平等など存在しない。そこで育った俺たちはその意味を知らない、知り得ないのだ。それをこの男はこんなにも容易く口にする。なんて愚かで、それ故に眩しい。この男はきっとここを地獄などと思ってはいないのだ。だからこいつは底無しにバカなようで、その実俺が欲していたものをその胸に抱いてるように思えてならない。

「……俺は、」
「おう」
「……シルバー、だ」
「へぇ。なーるほど、銀色の目だから『シルバー』ね」

まじまじと俺の目をゴールドが覗き込むから、やつのその金色に俺まで引きずり込まれそうで。(いっそ飛び込んでしまえたら、そこに真理を見つけられたのかもしれない。)視線が交錯した、その間に生まれたそれに、何と名前をつければいいのかわからない。わからないなりに、俺はそれが愛しさに似て異なる感情だとどこか頭の片隅で理解しかけていた。

「お前にピッタリのいい名前じゃねえの、シルバー」

ああ、変わらないな、お前は。俺が惹かれたあの時のままの笑顔を浮かべるこいつが、(我ながら可笑しいとは思うけれど、)どうやら恋しくてたまらないらしい。今ならばあの問いにも答えることができる。これは、恋慕なのだと。だがしかし俺はそれをやつに伝える術も言葉も勇気も、何一つ持ち合わせてはいないのだ。(それは、報うことも報われることも、まして始まることすら許されない恋だった。)



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