その数日後のことだ。今まで何年もかけて少しずつ集めたお金と同じ額をそう簡単に集められるはずもなく、いつも以上に町の至るところに忍んで入り込んでは金になりそうなものをバレにくい程度に盗んだ、その帰り道。俺がこの世で最も嫌悪する領主の邸宅の前に、いつもならば無駄に華やかな装飾が施された形だけの屋敷が剥き出しになっているのだが、今日はその門前に行列が出来ているのに気づいて、足を止めた。
(なんだ……?)
民をゴミとしか思っていない領主もまた、普段ならば屋敷の門であろうが何だろうが自分の所有物に『ゴミ』が近づくのを許しはしないだろう。だが、今日は違う。門の出入り口とその直線上を空けるようにして、その周りに小汚ない、飾り気のない服を着た群衆が集っている。ふと視線をずらせば、人がわざと空けている門までの一本道の先に、この町ではほとんど見かけることもないかなりの大きさである屋根付きの荷台――この世界では俗に言う収容車が止まっているのに気がついて、合点がいった。
(新しい……奴隷か、)
興味本位で群衆を掻き分け横入りして飛び込んでみれば、程無くして収容車から列を成して手と足に枷をした人間(もう俺たちと同様、人間らしい権利も地位も剥奪された者たちではあるが)達が、ぞろぞろと出てくるのが見えた。どいつもこいつも生気のない顔をして、絶望を顔一面に表している。無理もない。奴隷には明日もなく、自由もなく、尊厳もなく、あるのは労働と絶望と、死だけだ。捕らわれていない分俺やブルー姉さんの方がマシなのかもしれないもっとも、明日は我が身だけどな。自嘲にも似た笑いが不意に込み上げて、その場を去ろうとした。そのとき。
俺は、出会ってしまった。
見つけてしまったんだ。

「……っ」

奴隷たちの行列の中、ただ一人だけ前を見据えて、地を踏みしめしっかり歩く奴がいた。そいつは俺たち、貧困街に住む人間が誰しも一度はその熱を恨み、しかしどうしようもなく焦がれた――太陽と、同じ色をした瞳を持っていて。その瞳には絶望は愚か、困惑も憎しみも、生への執着も映ってはいない。ただそこにあるのは、固く強い意志。例えるならそう、誰にも屈しないというプライドだけが金色に重ねられている。
(あいつ、は………)
歳はおそらく俺と同年代だろう。跳ねた黒の前髪が特徴的で、ややつり上がった大きな猫目がなんとなく好戦的な印象を与える少年だった。他の奴らと同じように手枷も足枷もしているのに、そいつはそんなもの気にも留めていないようで、領主の邸宅を鋭く睨み付けて――にやりと、口の端を吊り上げた。
その瞬間俺は背筋に電流が走ったかのような、今までに感じたことのない感覚を痛烈に感じた。足が、動かない。奴から目を離すことができない。何だ、これは。わけがわからない、だが無性にこのままあいつを奴隷にしたくはないと、そう思った。(あの金色が欲しい、なんて。)そうこうしている間に奴隷たちは門を潜って領主の邸宅の中に入ってしまう。あいつも、行ってしまう。(その前に……!)せめて声を聞きたいと、半ば衝動的に俺は見物人達を押し退け、門ぎりぎりにまで近づき、叫んだ。気づいたら、体が動いていた。

「おい!そこの黒髪っ!」

見物人と奴隷達と、その奴隷を見張る領主の下部、そしてあの少年が弾かれたように振り返った。見開かれたその双貌に俺が映る。立ち止まったその姿を俺は網膜に焼き付け、そして尋ねた。「お前の名は、何だ。」我ながら馬鹿げた質問だと思う。奴隷に名前は必要ない。やつが遠い町で、それこそ生まれる前に親から与えられた名前など、今となってはもう何の役にもたたないのだ。二度と名乗る機会もない。(けれど、)けれ今聞かなければ、俺は一生後悔するような、大袈裟かもしれないがそう直感したんだ。世界中の誰が忘れても、誰ももう呼ぶことがなくても、俺だけは、奴の名前を墓場に持っていきたいと。なんで、俺はこんなことを思ってしまったのだろう。なんで俺は。

「ゴールド!」

こんな状況でも馬鹿みたいに笑う、この男に惹かれてしまったのだろう。
奴が再び俺に背を向けて歩き出したのと同時に、俺も盗品を胸に抱えて走り出す。ただ、駆けるしかない。俺にはこの脚しかないんだ。ゴールドと名乗った、あの少年の眩しい金色を汚い大人達の手から救い出す方法なんて、俺が知り得るはずがなかった。最初から最後まで、やはり俺は無力な餓鬼でしかなかったんだ。



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