(パロ)

ある時代のある場所。地名が書いてある標を目にすることはしばしばあるが、俺は文字が読めないため結局のところここが何という町なのかはわからない。わかっていたとしてもそんな知識で腹は膨れないのだ。ひとつだけ身をもって知っていることがあるとすれば、ここがまるで肥溜めのような、クソみたいな連中の溜まり場でしかないということくらいだろう。そんな、地獄の方がまだマシなんじゃないかと思うくらい荒れて廃れたこの土地で、俺は生きてきた。自分の年齢もわからない。まじまじと自分の顔を見る機会なんて、雨が降って水溜まりが出来た時くらいだからな。たぶん10代ぐらいだろう、と予測することぐらいしかできなかった。親は、いない。物心ついた時にはこの生活が日常と化していて、親という存在を認識したことがないのだ。この町では、能無しの赤子は踏み殺される。泣き叫ぶ前に自分が生きる道を模索しなければならない。俺と似たような境遇のやつら(俺より幼い子供から、齢60を越える高齢の者までその層は様々だ。)には、よく「まだまだ子供なのだから、もっと他人を頼ってもいいんだぞ。」と言われるが、そもそもこの場所で生きるのに大人も子供も関係はないのだ。ただ、生きていくために必要な罪を今日も犯す。ただ、それだけ。
「待てぇええぇえっ!」
その繰り返しだ。今日も俺は今日を生きるために盗みを働く。罪悪感なんてこれっぽっちも感じたりはしなかった。質の割りにはあまりにも高価な果物を、小汚ない布で縫われた袋に投げ込み、走り出す。追いつかれはしない。今までもこうして、俺は、俺たちは食い繋いできた。この廃れた町のさらに隅、貧困街などと言われているが実際はそれこそただのゴミ棄て場で育った、その中で俺は一番の俊足らしい。ゴミとして存在するはずの俺の足をなぜ神が町で一番速く作ったのか。それはきっと他の奴らもまとめて生かせるように、仲間を守れるようにと、そういうことなのだろうと自分を納得させている。いや、神など最初からこの世にはいなかった。生を受けたその時から、わかっていた真理だ。
醜く太った大人たちには決して追いつかれはしない。人の欲望を種にして貪り喰らい、私利私欲を肥やしにする富豪と呼ばれる金持ちの人間もこの町には確かに存在する。俺たちとは違い、何もしなくても毎日飯が食え、遊び事に興じ、女を抱く。金がある。ただそれだけでこうも人生とは変わるのだ。やつらはこの町の店という店を支配下においている。そこから盗みを働く俺たちは実質奴らから盗みを働いていることになるのだろうが、それもまた愉快だ。
生き抜いてやるさ。
どんな手を使っても。
今日も俺は町を駆ける。人は俺を風のようだと噂するが、この星に吹く風はもっと美しいものであってほしいと、そう願わずにはいられなかった。



「シルバー、」

唯一華やかとされる大通り(外観だけ装われているようにしか俺には見えないが、)を走り抜け、貧困街に帰りついた俺に声をかけたブルー姉さんの目は、渇きかけの水溜まりよりもどんよりと濁っていた。彼女と血の繋がりはない。ただ、ブルー姉さんも俺と同じ境遇で、まだ言葉も話せないほどに小さかった幼い俺を一人で育て、名前をつけてくれた。貧困街に住む者はみな家族のように支え合いなんとか生きているが、俺にとって彼女は唯一、本当の意味での家族と言っても過言ではない。そんなブルー姉さんの浮かない表情に、俺は「ただいま。」も呑み込んで、ただ彼女の言葉の続きを待った。

「……おかえりなさい」
「…ああ」
「……」
「……どうしたんだ、姉さん」
「ごめんね、シルバー、」

ごめんね、ごめんね、そう何度も譫言のように繰り返して、それからブルー姉さんはその場に崩れ落ちてしまった。慌てて彼女を支えた拍子に持っていた袋を落としてしまい、ころころと赤いリンゴがゴツゴツとした渇ききった地面に転がる。その赤を見て、感情が堰を切って溢れ出したのか。わっと泣き出してしまった彼女に困惑した。いつもはどんなことがあっても気丈に振る舞っていた姉さんの、こんな姿は初めて見るかもしれない。

「何があったんだ、話してくれなきゃわからない、姉さん」
「うっ…ご、ごめん……」
「俺は、何が起きても姉さんの味方だ。……だから、姉さん、」
「っ……さ、さっき…領主が…来て……私たちがコツコツ貯めてた、お金、が……っ」
「……そんなこと」

領主というのはこの地を治める、一言で言えばとんでもないクズだ。私利私欲を肥やし、俺たちから搾れるだけ搾り取る。やつに取って俺たちは、民でも何でもない。そしてそれはこちらも同じ見解だった。奴が治めるこの土地の民などと、誰が認めるものか。
毎日ギリギリの境界の中で必死に食いつないでいた俺たち。それでも、なんとか貯めていたお金があった。もちろんそれも盗み得た汚い金ではあるが、それでもかまわなかった。死んでから地獄に落とされようが、どうでもいい。俺とブルー姉さんは、探しに行きたかったんだ。俺たちが、貧しくても自分で稼いで、誰よりも自由に生きていける場所を。俺たちの生きるべき町を。そのために、必要な旅費だ。それがまた領主の理不尽な権利のもとに搾取されたと言う。――だが、それがどうした。

「いいんだ、そんなこと。姉さんが無事でいてくれれば、俺はそれでいい」
「でも……!」
「また集めればいい。二人でこの町から抜け出すための資金だ。何度希望を奪われても……姉さん」
「……っ」
「俺は、諦めない」
「う、ん……うんっ…!」
「……リンゴ、食べよう。体力が戻ったら、また盗りに行かないと」
「そう、ね…っシルバー、」

ありがとう、そう呟いた彼女の声が、遥か遠くで聞こえたような気がした。不条理と無秩序で構成されたこの世界は、俺たちが生きるには少し狭すぎたのかもしれない。俺たちはあまりにも小さく、無力だった。抗う術もなくただ穢れていくだけの命。幸せの意味すら、わからないまま消えていく。(それだけは、嫌だ。)
道に転がったままのリンゴが一つ、風に吹かれて坂を下った。誰かの行く末を暗示しているかのようだった。



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