目が覚めた時にはすでに夜明けだった。カーテンを閉じた隙間から微かに光が細く差し込んでいる。窓は閉まっているはずなのに、寒い。闇に慣れていた目にはその小さな光すらも眩しくて、上からいつの間にか被せられていた布団をさらに手繰り寄せた。

「おっ。起きたのか」

隣からくつくつと笑いを噛み殺す声が聞こえてそちらに視線だけやると、案の定ゴールドさんが意地の悪そうな笑みを浮かべて寝転んでいた。もちろん同じベッドの上、同じ布団の中に、裸で。そこでようやく先ほどまで自分たちが行っていた行為を思い出して、ため息をつく。ゴールドさんに対して失礼だったかもしれないけど、彼も気にしていないようだから、いいか。(もう、戻れないんだなあ。)一度意識が覚醒してしまったら、突きつけられた、いいや、自分たちで選んだこの現実に対する背徳感のようなものがどっと押し寄せてきて、僕は少しだけ目を伏せた。でもこの背徳感は、何に対するものなのか。それが自分でもよくわからない。(サファイアへの罪悪感なのか、いや、それとは全く違う、別の、)
「…おはようございます。」「おう。」「僕、寝ちゃったんですか。」「ぐっすりな。」そんなやりとりの最中、彼の前髪がはらはらと頬にかかるのを見て、無意識にそれを手で払ってあげたら、ゴールドさんは少しだけ目を丸くして、それからひゅう、と小さく口笛を吹いた。今にも消えてしまいそうなほどか細い音。この人はこんな顔もするんだなって、他人事みたいに思った。

「何してんだお前」
「いや…目に、入りそうだったから」
「はあ?」

至極不思議そうにゴールドさんは首を傾げる。僕からしてみれば、ただ髪を払っただけでこんな顔をされるのかのほうが疑問でならない。けど僕が彼の、真っ直ぐで揺らがない金色を見ていたいと思ったのもまた事実で、それにひどく動揺した。

「俺ァお前に恋人ごっこしようだなんて持ちかけた覚えはないぜ?」

ただ、僕を捉える彼の瞳には、きっと僕は映っていない。これはもう確信だった。にやりと笑ったゴールドさんの唇は綺麗な弧を描いていて、その笑みはひどく扇情的でもあり儚く、哀しげでもあった。この人は汚れているようで汚れていない。そして逆もまた然りなんだろう。この関係は不安定なようで存外形になっている。それと同じだ。

「初めてじゃなかったんですね。貴方は」
「あったりまえだろ。でなきゃ自分から受け身になろうなんざ思わねえよ」
「今も、他にいるんですか」
「微妙だな〜。時々レッドさんの相手したりはすっけど、最近はご無沙汰でよぉ。けっこう溜まってたっつうか…あ、別にだからお前を標的にしたってわけじゃねえぞ」
「……標的、ね」

それを不満に思ったりはしない。体だけの関係、それを承知したのは紛れもなく僕自身だし、一度知ってしまった快感を忘れることも、できない。ずるずると、僕はきっと断ち切れずに続けてしまうだろう。ゴールドさんがそれを望む間はそれでいいと、思わされてしまった。魅せられてしまった。(紛れもなく、最期を手放してしまったのは僕の方だ。)

「…シルバーさんとももしかして、」
「……」

そう口にして、僕は瞬間しまった、と直感した。直感とはまた違うかもしれないが、確かに感じ取った。誰にでも触れられたくないところはある。黙していたいことがある。ゴールドさんの表情に一点の影が落ちて、彼から笑顔が消えた。一瞬で。ただ一言、あの人の名前を出しただけで、この人はこれほどに戸惑うんだ、と遠い景色をぼんやり眺めているかのように、ひどく自分とはかけ離れた場面に在することのように思った。(この人の本当の特別は、僕らじゃ届かないところにある。)ポーカーフェイスが崩れてあからさまな反応を示すゴールドさんの頭を、不意に撫でたい衝動に駆られる。同情も、まして優しさなんて不必要だとわかっているはずなのに、そんな自分にまた動揺を重ねた。

「……すみませんでした」
「気にすんな、お前は悪かねぇよ」
「…そう、ですか」
「………いっそ、あいつが俺のことはっきり嫌いでいてくれたら、もっと簡単な話だったんだけどな」
「ゴールドさん…?」
「中途半端な信頼なんか、いらねえのに」

ずきり。胸の奥が痛い。(でも、胸の奥って、どこのことなんだろう。)僕は彼の痛みを知っている。それでいて、僕とゴールドさんでは決定的に違うことがある。それはきっとわだかまりとなって、僕らの間を結ぶ一本の線になるんだろう。この人は救われる方法を知らないんだ。

「ゴールドさんは、シルバーさんのこと、」
「そりゃお前には関係のねえこった」

抑揚のない感情を押し殺した声音でそう言い放ったゴールドさんは、もうすでに動揺を隠した瞳をぎらぎらと光らせて、ただ静かに僕を睨み付ける。さっきまで僕に翻弄されていた(いや、それは僕の方だったかもしれないけど、)とは思えない迫力だ。たじろいだりはしなかった。ゴールドさんは飢えている、獣とはまた違うけれど、本能的に人の熱を求めているのだろう。そう感じた。ゴールドさんは逃げ方を忘れてしまったんだ。(嗚呼、なんてそれは惨い、)
僕は目を逸らさないまま、彼の頬に手を伸ばした。涙の乾いた冷たい頬。ゴールドさんが擽ったそうに眉を顰めたが、それは気にしないでかまわず指先で触れる。前髪を再び払って、少しだけ顔を近づけた。もともと隣で寝ていたんだから距離が縮まるのはあっという間で、互いの息がかかる距離で僕はゆっくりと口を開いた。

「ねえ、ゴールドさん」
「んだよ」

気づいていないですよね。貴方、目が覚めてから、一度も僕の名前を呼んでいないんですよ。

「また、相手してもらえますか」

ゴールドさんが目を見開いて僕を見つめる。視線が交錯して、だけど口づけはしなかった。そんなことは誰も望んでいない。僕も、彼も。僕たちは恋人にはなれない。永遠に。

「…なんだ、お前ハマっちまったのかぁ?」
「さあ。お好きな解釈でどうぞ」
「へぇ?そうかい…ふ〜ん」

再びゴールドさんの口角が吊り上がる。皮肉な微笑だった。そしてそれは、僕もまた同じだったんだろう。
唇が重なることはない。この腕に抱くことも情事以外ではないだろう。ただ、布団の中温もりを孕んだ指を絡めあうぐらいは許されてもいいんじゃないかと、そう思った。この関係には恋も愛もない。僕の心は常に彼女の隣に寄り添っている。だからこそこの手を結んでおかないといけない気がしたんだ。(哀しいだけの恋しか知らないこの人は、求め方しか知らないんだろうから。)

「じゃ。また誘うぜ、おしゃれ小僧」

本当に浅ましいのは僕の方だったのかもしれなかった。僕はゴールドさんに優しいわけじゃない。ただ、どうかこの人に限界が来て、壊れてしまうその時は、隣にいるのは僕がいいと、そう思う。それだけだった。



∴最期のはじまり 完
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