とりあえず、ゴールドに栄養となる物を摂取させることを最優先させなければならない。俺も幾度と食事を抜いたことはあれど、流石に倒れた経験はない。こういった場合、何がよいのだろう。暫くろくに活動していない胃に普通の白米は消化できるのだろうか。そもそもある程度迄にしか料理などできない俺が作っても、大丈夫なのだろうか。悩んだ挙げ句、無難にお粥を作ることにした。これなら失敗もないだろう、そして何より、食べやすく食べさせやすい。
食器や調理具を勝手に拝借、ぐつぐつと音をたてる鍋を見つめ、思案。
俺は正しいことをするのだろうか。あいつのために最善の選択を、できるのだろうか。もし、もしもこれが不正解だとするならば、それなら俺は最低で最弱の偽善者だ。けれどそれでも俺は選択しなければならない。少なくとも今はそれが最善なはずだ。限りなく痛みと恐怖を伴い俺たちを掬ってくれるはず、そう望むしか残されていない。
ふと、水面で揺らぐ白があの花弁と被った。たとえばゴールドがあの名も知らない花だとするなら、俺はおそらく酸素にでもなりたかった。ゴールドに必要とされてゴールドに作られて、そうでありたかった。無意識の願望に今更気が付いて辟易、俺は一体どこまでいつまで人に依存すれば気が済むんだ。姉さんの次にはゴールド、それも姉さんの時よりずっと深く重く。鍋の中もいい具合に火が通ったので蓮華を持ちそのまま運ぶ。どうせ言っても素直に食べやしないのは目に見えている。なら鍋に入っていようが茶碗に入っていようが大差はない。
部屋に入ろうとすればエイパムが扉の前で落ち着きなく立っていた。主の10倍は気配りができるポケモンだ、恐らく心配で来たはいいもの入ってよいのかわからなくなったのだろう。エイパムは俺を見て一瞬だけ驚いたように元々大きな目を見開いた。ゴールドの家族だというそいつは、少しだけ、ゴールドに似ているなと、改めてそう思う。(愛しいだなんて、あんなに否定してきた、のに)鍋を持つ手がほんの少し、震えた。


10
気づいてしまったらもう戻れないことを俺は知っていた。絵空事みたいな愛にうわべだけの熱情を上乗せして奴は俺を欲したけれど、実際はゴールドが俺から逃げる自由を手放したのだ。奴は俺が死んでも生きていけるが、一度自覚してしまえばもう俺は、生きていけなくなるだろう。恋愛は駆け引きだ。俺は敗北者でない代わりにただの愚か者でしかない。(触れることを躊躇して手を伸ばすことすら出来ない、そうだ、俺は臆病だった。)
どうせ滅びるのならば何も言わずに朽ちていきたい。腐敗した感情を持て余し、俺を埋め尽くす虚無の隙間にある一欠けらの愛情を手折るくらいならば、このまま消えてしまいたい。

「それを許さないのが、お前の主人なのだがな」

エイパムが不思議そうに首を傾げた。わからないのも無理はない。苦笑をひとつ漏らして、「そこのドアを開けてくれ。」と頼めば素早くエイパムは器用に動く尾を使ってドアノブを回した。まったく、ゴールドは本当にいいポケモンを持ったものだ。

「感謝するぞ」
「エイパッ」

まるで奴のことを頼むとでも言いたげにエイパムは俺の目を見つめて一鳴きすると、窓の外へと行ってしまった。(頼まれても困るのだがな。)あのエイパムの中で、俺はゴールドの信頼に足る人物だと認識されているのだろう。それは一方で気恥ずかしいようで、もう一方ではひどくつまらないことでもあった。俺はそんな人間ではない。本当は、感謝するということもよくわかっていない、俺はただの無知な人間でしかないのだから。
(俺が、認めてしまえば、)
それはつまり逃げ道を完全に断つことになる。真っ正面から向き合わなければならない。そう、自身の気持ちと、そしてゴールドと。ベッドの中で依然として横たわったままの奴を見つめた。今この瞬間足元に散らばる無数の愛情を踏み越えて、あいつのもとに辿り着けるか。全てはそれにかかっている。

「ゴールド」

名を口にすれば、自ずと答えは出た。部屋に足を一歩踏み入れる。逃げ道なんて必要なかった。俺は俺の心臓を、奴の隣に置いてくるだけだ。


11
俺が自身へ向けた声が奴に聞こえたとでも言うのだろうか、ゴールドはこちらが何をするまでもなくうっすらとその目を開けた。続いて獣が唸るような奇妙な音。疑問を持つまでもなく奴の腹の虫だろう。

「腹減った……」

第一声がそれだった。なんとも緊張感に欠ける。気にかかるのはそれを奴が自分でも驚いたように口にしたことだった。

「何か食いもん……つか俺飯食おうとしてたんじゃね? なんでまた寝て……」

ぶつぶつと独り言を洩らしながら身体を起こしたゴールドはドアの方、つまり鍋を持って立っている俺を見て固まった。動きと表情、呼吸に至るまで全てがものの見事に凍りついた。俺の前では前のように振舞うことに決めたと言っても唐突過ぎる状況には対応できなかったらしい。

「……邪魔している。後、台所を借りた」
「え、ああ……は!?いや、何でお前がここにいんだよ!?」
「お前に会いに来た」

これ以上ないほど簡潔な回答に、しかしゴールドは納得する様子を見せない。俺を問い詰めようとする勢いのまま立ち上がりかけ、足腰に力が入らなかったのか再びベッドに逆戻りする。
「……っ」
自分の身体がどれほど弱っているのか自覚も無かったのだろう。

「食べろ」

鍋を差し出すとゴールドが驚いたような、懐疑的な表情を浮かべた。

「お前が……作ったのか?」

俺の為に?声になることのないゴールドの問い。

「……ああ。粥ぐらいなら食べられるかと思って」

ゴールドの目が大きく見開かれ、同時に顔が歪んだ。泣くのか、と思ったが涙は零れなかった。その表情を表現するなら泣き笑い。

「……明日は槍でも降るんじゃねーの」

取り繕うような台詞。「持つべきものはダチ公、だな!」必死さが何よりも痛々しかった。

「しかし鍋のまま持ってくるこたねーだろ、シルバーちゃんよお」
「食べさせてやろうか?」
「は、……」

金色の瞳がざわめくように揺れる。

「そんな状態になるまで何も食べなかったお前が自分でこれを食べられるのか?」

今まで尋ねなかった体調不良の原因に触れるとゴールドは肩を揺らした。俺の言葉を否定するために奴は蓮華を手に取り、粥を掬って口元に運ぶ。そこでゴールドの手が止まった。俺になんでもないと示したい。それなのに食物を身体が拒絶する。心の内に生まれた矛盾がゴールドを苛んでいるのがわかった。
……俺はこれ以上ゴールドは追いつめたいわけではない。鍋を手近な机に置く。ゴールドの手から蓮華を奪い取り、まだ十分に温かい粥を口に含み、そのまま奴に唇を重ねた。
ゴールドの喉が動き、口移ししたものを飲み込んだのを確認してから唇を離す。呆然とするゴールドに、俺に出来る選択をする。恋愛で無いこれは駆け引きではない。

「俺は、お前を愛している」

付き合う、恋人という関係では成り立たないかもしれない。しかし俺はきっと他の誰よりもゴールドを選ぶ。


12
何もかもが動かなくなったのは一瞬。瞬く間に身体の全機能が素早く動き出す。暫く機能が麻痺していた回路すら五感から吸収した情報を吸収する為に眠りから醒めたようだ。言葉が空気中に振動する前に暖かい雫が溢れてきた。

「……んだよそれ」

投げたい詞が沢山脳内に蓄積されてそして一掃する事は無かった。けれど震えた声色が歪んだ風景が詞の代わりに届けてくれた。愛する人間の為に崩壊の選択をしたというのに。それでいいんだと不安定な感情を捨てたのに。これは紛れもなく現実なんだ。纏わりついて重く憑かれたモノが霧散していくのも、錆びて向き合いたくも無かった心に潤滑油が差し込むのも、何重にも設置した柵が取り壊される音も全てが幻想と片付けられない。シルバーの腕の中でじわじわと実感する。

「随分とまぁ自分本位な答えじゃねぇか」
「………済まない。だが…」
「もういいんだ」

俯くシルバーの発言を遮る。顔の表情を目で確認が想像つく。それ以上は伝わっているから。もう十分だ。

「オレも愛してるぜ」

脆い糸は絡まったまま。けれどこの状態でも苦痛とは思わなくなった。例えどんな未来でも、千切れようが強引に解かれようが自然に一本の均等な線になろうが、オレ達が糸を離さない限りはきっと強靭の弦で結ばれる。そう信じられる曲線を今日も描く。



∴完
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