「おっはよっす、シルバー」

あれから数日が経ち、風化はせずともやや落ち着きを取り戻してまともな思考ができるようになってきたところで、だらしなく頬を緩め、まるで何事もなかったかのような笑顔でゴールドは俺の前に現れた。
あれだけ頭を悩ませたのは俺だけだったのだろうか、否、そんな筈はない。あの時のゴールドは確かに本気だった、そんなことは付き合いが長いと言えない俺でもわかる。それなら、何故。

「なあ、シルバー、バトルしようぜ」
「…は?」

本当にあの時を無くしたような、切り取ったような台詞に思わず顔をしかめる。何を、言っているんだ。

「お前、」
「俺さぁ、考えたんだよ、どうしようか」

ゴールドの声は僅かに、注意しなければ気付かない程小さく震えていた。

「そしたら、やっぱり俺たちはダチでいいと、思った」

だからさ、無理はすんなよ。へらへら、力のない顔で笑う。お前こそ無理をするな、そう言いたかった、けれどそうさせているのは間違いなく俺だ、俺の弱さだ。愛せないわけではない、ただ、理解できないものを受け入れて、全てを全て愛すことが恐ろしかったから、できないとそう思った。その結果、ゴールドを傷付け、自分自身で傷付いた。自己防衛としての行為が最終的に一番己の首を締めている。
不毛だ、ちっとも笑えない、自分の弱さに吐き気さえ催す。俺は結局、どうしたかったのだろう。理解不能なのは自分自身じゃないかと、ゴールドに見られないように嘲笑を溢した。



それからまた数日が過ぎた。時の流れは悪戯に移ろうけれど、もう俺の心が落ち着きを取り戻すことはなかった。
ずっと、何かが胸の奥でつかえている。妙な違和感。不快感の方が正確かもしれない。吐き出したくてたまらないのに、何かが、心臓にその指先を這わせながらじわりじわりと俺を蝕んでいく、そんな感覚だ。バトルを終えた後も気丈に振る舞うゴールドの姿を思い浮かべれば、その感覚はより一層強いものとして感じられた。
(俺は、その正体を知っている。)
手で胸を強く押さえたら、響く、俺の鼓動。こんなにも規則的に俺は生かされている。呼吸をしている。ただ至極当然のように繰り返されるこの過程がこれほど息苦しく感じるのは、他でもない。俺が素知らぬフリを続けるのはただの見栄だ。薄っぺらいプライドが、それを認めてしまうのを拒絶しているだけのこと。虚勢だ。最初からわかっていた。
ふと足元に偶然、健気に咲く名もない野花を見つける。小ぶりな白い花弁のその儚さに、俺は何故かあいつの笑顔を思い出していた。ゴールドという男には太陽がよく似合う。太陽によく似た、堂々と天に伸びる向日葵がもっともよく似合う。そう思っていた。けれどどうだ。今にも俺に踏み潰されてしまいそうな、それでも懸命にその花弁を風にそよがせているこの花も、
(ああ、綺麗だ。)
数本だけその花を摘み取り、気づけば俺はあいつがいるであろうワカバタウンへと歩を進めていた。今行かなければ、きっとこの心臓は音も無く握りつぶされるだけだ。
(その感覚を後悔と、きっと人はそう名付けたに違いない。)



頭が重い。だるくて動く気がしない。エーたろうが額に尾を当てようとするから笑って止めた。
「熱なんかねえって。心配すんな。な?」
それだけではとても納得を見せないので話をすりかえる。
「この前のバトル、惜しかったよなー畜生!次は勝とうぜ、エーたろう!」
ほら、相手がシルバーでなければこんなに上手に笑える。完全に疑いが晴れたわけではないだろうが、ある程度ほっとしたようにエーたろうは離れた。その目が言いたげなことを察して立ち上がる。
「オレも適当に飯食うから、お前は庭行っとけ」
窓から外へ出るエーたろうを見送りながら、はて、最後に食べたのはいつだったか。軽い昼食を用意して、食卓に並べて、椅子に腰かけた瞬間に食欲がもう無かった。母親が見ていれば無理やりにでも詰め込むが、今は留守。かと言ってこのまま放置するわけにはいかない。庭に居候しているポケモンにやる計画をこっそり立てる。
「エーたろうにバレねーようにしねぇと……」
この数日、外で食べると言ってきて何も買わないことがほとんどだった。全く物を食べる気がしない。頭のどこかでこのままではまずいとはなんとなくわかっているものの、危機感がわかない。どうやら欠如してしまったらしい。代償、だろうか。
オレにオレがわからなくなったのはいつからだっけ。こんなのオレじゃねえよな……。溜息を吐きながら立ちあが、ろうとした。
「……っと!」
机に手をついた拍子にコップを倒してしまう。容器から全く減っていない中身が零れだした。床に落ちたそれを拾おうと手を伸ばす、が、その前に糸が切れたように膝から力が抜けた。皮膚に触れる無機質が冷たい。そして何より酷く眠い。落ちてきた瞼に逆らうのは面倒だった。(誰かの声が、聞こえた、気がした)



不穏という言葉が当てはまらない穏やかな空気の筈が、焦燥する自分に混乱する。第六感が警告を発している。その不確定要素が増えたのは、庭で戯れているポケモン達がどこか落ち着きが無さげに家の方向に視線を送る様子を捉えた瞬間。家のチャイムを鳴らすが、住民が出てこない。
可笑しい。心臓の振動が急速に大きくなっていく。ゴールドが留守の可能性は低い。先程、庭に相棒と呼んでいるエイパムがいるのを確認した。彼奴が手持ちを置いて出掛ける事をする訳が無い。留守だと仮定したとしてもここまで無防備だろうか。開いたドアに益々不可解を抱く。床に散らばる透明な液体、転がっている罅の入ったコップ。そして、真っ先に視線を奪ったぐったりと床に伏しているゴールドの姿。我に返り、直ぐ様ゴールドの容態を確認した。脈はあるが意識は途切れているようだ。数日前よりも青白い風貌、薄い頬に細い手首、抱き上げた際の体重の軽減に背筋が震えた。
じくじくと痛む傷を引っ掻かれた感覚を起こす。コップの亀裂が余計に広がったように見えた。ゴールドの部屋のベッドに静かに体を下ろす。もしもゴールドが衰弱した原因が俺ならば。赦してくれと懇願する資格すら失っている俺に何ができると言うのか。そんな俺にゴールドは歪まない綺麗な笑顔を浮かべるだろうな、と想像して息苦しくなった。寂れた重石を引きずってひたすら笑う。笑わせて堪るか。摘んだ白い花を潰れない場所に置いて部屋から退室した。



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