その日は泣きたくなるくらい綺麗な、それは本当に綺麗な夕焼けだった。夜が滲んで、茜空を濃紺が染め上げていくその様をぼんやりと見上げ、ふと遠くを漂う蜜柑色の雲に金色を見つける。日が沈む。今この瞬間に消え逝く命は、明日の日の出と共に巡るばかりだ。繰り返す命の芽吹きは雨が降り注ぐルーツに似ている。海が本当の還る場所というのなら、きっとこの世に天国も地獄もないのだろう。火葬場で灰になってしまえば、それを地獄の猛火と例えるか天に逝くまでの試練と例えるか。それは己次第だ。反吐が出る。

赤い月の出る晩は、どこかで血が流れているのだと言う。逆に俺は血の流れていない晩というものを見てみたい。今日の月もひたすら青白く照らされるばかりだ。現在住処としている隠れ家の、その窓際で、カッターを取りだし指先を軽く傷つけてみた。月は今日も青いまま。
(何をしているんだか。)
ぷくりと浮かんだ、それこそ針を誤って刺してしまった時にできる程度のちいさな血の滴を、舌で舐めとった。なんでもない、ただの鉄の味だ。



『シルバー、』

ゴールドから連絡を受けたのはその日の夜更け前だ。微かに俺を呼ぶ声が震えていた気がしたのは、おそらく気のせいではあるまい。無機質な機械越しにでは、奴の声音から全てを感じとることは不可能だ。いや、仮にゴールドが俺の目の前に立っていたとして。俺には到底奴の心情など、ほんの一部分しか理解しえないだろう。息遣いだけが俺たちの間を満たしている。どんなことがあっても、俺たちは他人だった。

『起きてっか?』
『厳密に言えば、たった今起こされた』
『そっか。悪かった』
『何処へ行けばいい』
『お前が今いる隠れ家の屋根の上』
『わかった』

ポケギアの通信を切り、適当に床に投げ捨てていた上着を着る。寝起きだったがわざわざ身なりを整える必要はない。外に出て、その肌寒さに身を震わせた。
鬱蒼と繁る草木に覆い隠されたこの家は、家と呼ぶにはあまりに小さく小汚なかったが、俺にはそれが好都合で充分だ。木々の枝がうまく重なった部分を器用に伝い登り、そこからボロ屋へと飛び移る。すとん、と俺が着地したその視線の先に、ゴールドはひっそりと佇んでいた。夜はまだ明けない。月はだいぶ雲に隠れ、薄く霞がかかってしまっていた。

「来たぞ」
「よぉ」

ゴールドの腕の中には、小さ小さなポッポが収まっていた。奴の隣に腰を下ろせば、その異変にすぐに気がついた。ああ、こいつはもう、
ちらりと奴の目を見てみれば、視線がカチリと合って、ゴールドは苦笑いする。空はまだ暗いままだ。それがせめてもの幸いだったのかもしれない。ゴールドの服の色が本来の赤であるか、全て闇が曖昧に覆い隠してくれている。月は青い。なのに香るこの鉄の匂いは、強く生と死を連想させた。

「最近、家に来たやつなんだけどさあ」
「ああ」
」今日、野生のポケモンと派手にやりあったらしくてよぉ」
「ああ」
「俺がもっと早くに気づいて、助けてやりたかった」
「ああ」
「シルバー、」
「何も言うな」

何も。そうゴールドの肩を抱き寄せた。俺とは比べ物にならないくらい冷えきっていた。
暗い夜が明ける。訪れた静寂は一日のはじまりとは遠いところにあるような気がしてならない。けれど朝は来る。太陽は昇り、人々は繰り返す今日のなかに愛を、夢を、希望を見つけては、また温もりを抱いて眠りにつくのだ。

「悲しいよなぁ」
「そうだな」
「肩借りていいか?」
「好きにしろ」

じゃあ遠慮なく、とゴールドが頭を俺の肩に乗せる。(ほら、もう夜明けだ。)

「つめてえなあ、お前」

その言葉はきっと俺に投げ掛けられたものではなかった。拍動がどんどん弱くなっていくポッポの背を、俺も片手でなぞる。柔らかな翼だ。最期に小さく鳴き声が聞こえたような気がして、もう一度背に触れてみたが、今度はもう動かなかった。

「見ろ、朝だ」

ちらりと覗いた夜明けの太陽、その光が瞬間夜の闇を打ち払い、暖かく地上に満ちる。「繰り返すばかりだ。」そう呟いた。今ひとつの命が沈んだのと同時に、あの太陽が顔を出す、なんて滑稽だと思う。朝の始まりを告げる夜明け。この光を見るたびに、俺たちは今日のことを思い出すのかもしれない。ゴールドはぼんやりと遠い空を眺めながら、抱えたポッポの体を強く抱き締めていた。

「生まれ変わりとかお前信じてる?シルバー」
「さあ。俺は無神論者だからな。そもそも輪廻自体認めていない」
「なんじゃそりゃ。矛盾しすぎじゃね?」
「そうかもしれない。だが、」
「なに」
「奇跡くらいは、信じているぞ」
「ふうん」
「だから、おやすみ」
「ははは!うん、そうだな、おやすみシルバー、」

ゴールドが目を閉じたのがわかった。見ろ、夜明けだ。日の出を見ながら心の中でそっと呟く。奴を抱き寄せる力を少し強めて、ゴールドが、声を殺して泣いているのに気づいた。今この瞬間地球に誕生したどんなものより、優しい涙だった。



∴before dawn and sleep
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