心臓がドクドクと音をたてて、鼓動が、かつて味わったこともないような恐怖を引き連れて俺を急かす。血の気が失せた唇で言葉を紡ごうとしても、ただ空気が漏れるばかり。ポケギアを支える手先すら、凍りついたように冷えきって、ああ俺はなんてバカだったんだろう。あの時俺が、意地など張らなければよかったんだ。

「シルバー……」
「……大丈夫だ」
「そうは聞こえないけど、」
「…大丈夫だ。問題、ない」

機械音混じりに聞こえるクリスの声に、俺は極めて冷静を装って答える。取り乱すな。混乱するな。俺が今然るべきことをするしかないのだから。

「クリス、」

場所を教えろ。そう、落ち着きを繕った作り物の声で尋ねれば、彼女も掠れた声を気丈にも隠しつつ「地図を転送するわね。」と答えたのだった。動揺しているのは俺だけではない。そんなことは百も承知だ。通話を切り、わずかその何秒か後に送られてきたウバメの森近くの林の資料を見て、俺は自分自身に苛立ちつつも走り出す。後悔だけを纏った背中に風が吹き付けた。俺を責め立てているかのようだった。



ゴールドが消息を断ったのは五日前のことだ。その日の俺たちは偶然顔を合わせ、そのままいつものようにバトルに流れ込み、結果俺が勝利するといういつも通りの流れの中にあった。そのはずだった。

『ちっくしょー!また負けた!もう少しだったのによぉ……!!』
『ふん……詰めが甘いんだ。お前は』
『んだとォ!?』

俺に食って掛かるゴールドを適当にあしらうのも常のこと。その日がいつもと少し違ったとするなら、その後の会話、それだけだ。

『そういえば……確かウバメの森の奥深く、その先へと抜けた林に恐ろしく強い獰猛な野生ポケモンの住み処があるらしいな』

ぴく、とゴールドの動きが止まる。予想通りだ。

『聞けば、シロガネ山のポケモン達にも劣らないという噂だ』
『…!なにぃ!?そりゃあ聞き逃せねえな…よっしゃ!ここはいっちょ、そこを俺の修行場所にしてやらぁ!!』
『一人で行くのは危険だぞ』
『ははーん…俺に実力抜かれんのがそんなに怖ェのかよ?シルバーちゃん』
『なんだと……』

本当は一人でいかせるつもりはなかった、なんて、そんな言い訳はしない。誰にも。ただ、人を小バカにするその態度にその日の俺はムキになってしまった。いつものように流せばよかったものを、俺は真に受けてしまった。

『……男に二言はないぞ、ゴールド』
『上等!次会うときゃ絶対ェギャフンって言わせるからな!!』
『お前のレベルではたかが知れている』
『言ったなテメエ!吠え面かかせてやる!俺から連絡いれるからそれまで邪魔すんなよ!首洗って待ってやがれ!!』
『誰が好きこのんでお前に通信などするか』
『へえへえそうかい!』

『ばーか!』と俺に舌を出して吠えたゴールドがマンタインと共に空を走るのを、俺は忌々しげに睨み付けた。それだけだった。何重にも折り重ねられいつの間にか開くことも困難なほど、俺のプライドと自尊心は凝り固まってしまっていた。だからゴールドに連絡なんて、ましてやあいつを探しに行くなんて、考えもしなかった。今さら後悔しても遅い。


天を覆う幾重もの深緑が腹立たしい。ヤミカラスを使っての上空からの捜索が困難だからだ。生きるために鍛えた体とその身のこなしで枝を伝い奥へと突き進むが、一分一秒でも急いで先に辿り着きたい今この状況では口惜しくてたまらない。早くあいつを探し出したい。早くゴールドに、会いたい。

「ゴールド……!!」

深く、深く、吸い込まれそうな森のその先。そこに俺は一点の絶望を見出だした。動かなくなったゴールドを想像して、瞬間筋肉が硬直し心臓が、止まる。掴み損ねた枝先から体が引力に従って落下し、受け身をとったものの強く地面に打ち付けられた。それでもかまわなかった。引いたら負けだ。臆してもゴールドは帰らない。痛めた左手を押さえながら、俺は林の中をただ夢中で駆けた。





「……あ?シルバー?」

いた。そいつは、俺の予想よりも遥かに容易く、遥かにバカ面で俺の名前を呼んで見せた。

「……」
「てめっ俺との一切のコンタクトは断つって言ってたくせに五日でこれかよ!おい!そんなに俺に会いたかったってか?笑えねえぞオイ」

言葉を交わす必要もなく、その光景を見た瞬間、俺は全てのことを理解した。落ち葉のクッションの上で胡座をかいて俺につっかかるこの男の腕の中には、まだこの世に現れてそう時間も経っていないであろうポケモンのタマゴ。そして、そのタマゴを抱えたゴールドの周りには、ひどく優しく慈しむようにタマゴを見つめるリングマ達の群れ。ゴールドが気まぐれに撫でるたびに、タマゴは微かに震動して、今か今かと命を芽吹かせるその時を待ちわびているかのようだ。
なるほど。こいつのことだ、きっとこの命を放っておけなかったに違いないと、断片的に理解して、そして脱力した。見たところゴールドには怪我も、服の汚れもそう目立つものはない。

「っつーか!お前嘘つきやがったな!なーにが獰猛だよ!確かにこいつら見た瞬間はビビったけどさ。なんてこたぁねえ、弱ったタマゴ見て心配してくれる優しいやつらじゃねえか」

なあ?とゴールドが振り返ればリングマの群れの親玉が一鳴きして、命の灯を点したタマゴを見つめて笑った。ゴールドがタマゴを渡すと嬉々として受け取り、リングマたちは我先にと同じようにタマゴを抱えて暖めようとしている。救われて良かったな。良かった、が。

「ゴールド」

名前を呼んで「あ?」と俺の方を向いたゴールドの頬を、俺は力の限り殴り付けた。「ぐあっ!」と悲鳴を上げてその場に尻餅をついたゴールドの胸ぐらを掴みあげる。俺の手の骨がみし、と音を立てた。ゴールドも相当痛かっただろうが、まだだ。こんなものじゃ俺の気は晴れない。

「いっで……!なに、すんだ!!」
「お前が悪い」
「意味わかんねえ!!!」

本当に、わからないのか。
再び振り上げた腕に、ゴールドがびくりと肩を震わせて目を強く瞑る。そんな顔をさせたいわけじゃない。俺は。俺はただ、
(お前が無事で、良かった。)
腕を下ろし、掴んでいた胸ぐらを解放する。噎せるゴールドをぼんやりと見つめ、奴を殴った手を強く強く握りしめた。震えが止まらない。痛みに顔をしかめていたゴールドも俺の異変に気づいたのか、訝しげに俺を見つめる。

「シルバー?」
「……」
「ど、どうしたよ、なあ?」
「……」

言葉が、うまく出てこなかった。無駄な心配かけさせるな、とか。これだからバカには付き合ってられないんだ、とか。言いたいことはたくさんある。けれど、それらの嫌みは喉の奥につかえたまま、俺の口から発せられることはなかった。ただ安堵に震える手を固く握りしめるばかりだ。
どうすれば伝わるんだ。俺はその術を知らない。この、言葉にしようのない気持ちをどうすればいい。
気がついたら、俺は強くゴールドを抱きすくめていた。わけがわからない。何をしているんだ俺は。けれど、離したくはない。

「なっ…シルバー!?おまっ…………」
「……」
「っ…………シルバー」
「……」
「…ごめんよ」

ごめん。そう俺の背に手を回したゴールドの、その一言で弾かれたように俺の中の何かが、抑えを失って。「次はないと思え。」と、そうか細く呟いた俺の声の頼りなさに、苦笑した。
リングマたちの腕の中にあったタマゴが微かに震え、小さく輝きを放つ。ああ、きっとこの子は、誰よりも優しい心を持って生まれてくるのだろう。



∴命の鼓動と、そして

響音様へ!相互感謝です!
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -