その日名前が目を覚ましたら、辺りはもう夕暮れに近い時間だった。10時間くらい寝ていたのだろうか、情けない、と名前は開けた目をゆっくり横に移動させる。
「っえ」
ばち、と交わった目線。テーブルに置かれた紙類とL字ソファの角の方に座る、御剣さん。彼がこちらを凝視しているではないか。これには驚いた。実は眠っていたのはほんの数分で、いまはまだ朝なのかもしれないと錯覚する程度には、彼は当たり前かのように座っているのだ。「…大丈夫か?」と低い声が響く。もう3時半になるぞ、と付け加えて。ああ、朝じゃない。ぱちぱちと数回まばたきして状況を理解する。
「…あ、大丈夫」
「そうか、よかった」
「……あの、仕事は」
「糸鋸刑事に言って資料だけ持ってこさせた。」
わたしが目を覚ますのを待っていた、と言わんばかりにふうと安堵のため息をもらす御剣怜侍に、申し訳なさが募る。ごめんなさいと名前が小さくつぶやくと案ずるな、とほんの少しだけ笑いながら髪を撫でられる。
「君は、眠りこけることが多いようだな」
それと、巻き込まれ体質だ。とつぶやく御剣に名前は恥ずかしくなる。そういえば御剣さんの前でよく眠ってしまっている、と。どれだけ迷惑をかけているのだろうと、いささか不安になる。思ったより険しい顔をしていたのか、すぐに気にすることは無いとフォローの声が入った。そしてなんとなく、脇腹のあたりが傷んだ。きっと、転んだ時にぶつけたりしたのだろう、古傷が、いたい。名前が無意識にさすった脇腹付近を見やって、御剣がなんとも微妙そうな顔をする。苦虫を噛み潰したような、そんな顔。名前は不思議に思った。べつに絵の具やらなにやらがついているわけでもないのに、そんな怪訝そうな顔をされるとは。
「あ、あー…その、だな」
「はい?」
「その、アザ…」
歯切れの悪い切り出しのあと、告げさせたソレ。名前の心臓はどきりと脈打った。なんで、どうして知っているの。全身からじっとりと汗が滲む。まるで悪いものを見てしまったというようなカオをする御剣さん。ああ、見られてしまったのか、と心の中で苦笑する。きっとアレをみていい気はしないだろうし、気味悪いとでも思ったのだろうか。御剣さんにそう思われるのはとても悲しい。けれど、仕方がない、と名前は心の中で言い訳を考える。
「見た、の」
「むッ…!…すまない」
「いえ、いいんです、」
見られてしまった。よりにもよって御剣さんに。隠し通すつもりだったのに、なんてことだ。情けなさからさ、思わず名前は「汚くてごめんなさい」と呟く。その姿を見て、御剣はとても悲しそうな顔をした。俯いたまま床から目を離さない名前の頭を、ゆっくりとした動作で撫でる。
「…痛かっただろう」
「え…」
「もう、背負い込む必要はない」
思いがけない優しい言葉に目を見開くしかなかった。名前は視界がめいっぱい御剣さんで埋め尽くされたような、そのほかの物がすべて排除されたような感覚に陥る。こんなもの、汚いと罵倒されるのが落ちだと思っていたのに。…実際、これをやった張本人もそう罵ったのに。当然戸惑う。
「…はい」
絞り出されたのはそれだけ。どうにも、その優しい言葉になにかウラがあるのではないかと、思ってしまったのだ。最低だ、と名前は心の中で嘆く。なぜか、目を合わせることが出来なかった。御剣怜侍の目が、見れなかった。静かに、俯きながらのその言葉は御剣にも大きな打撃を与えた。せっかく縮まったキョリが、離れた気がした。一線を置くようなその態度が見て取れてしまった。後悔した。軽々しくこんなこというものじゃないと、御剣もまた心の中で嘆く。どうしようもできずに、もう一度だけ名前の頭を撫でて、名前から逃げるように自室へ向かう。やってしまった、と思った。名前も名前で、確実になにか溝ができてしまったのだと、心が張り裂けそうだった。
「(…御剣さんに、きらわれた)」
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