彼女に出会ったのは偶然だった。いやむしろ、運命だった。そして、彼女に出会ったことはぼくの人生が大きく左右される出来事だった。今でもはっきりと思い出せる。たまたま母校である勇盟大学を通り過ぎようとしたその時、たまたま向こうの角から背の高い女の子と一緒に彼女が歩いてきたのだ。鉢合わせるかのように角で出会ったぼく達。ぶつかりかけて、「す、すみません」と慌てて謝るその姿。隣の女の子に「気をつけなさいよ名前」と注意されて恥ずかしそうに笑う姿。そのどれをとっても彼女は美しかった。…いわば、一目惚れだ。いや、そんな言葉では足りない。もっと違う、もっと深い、ぼくは確かに彼女との間に赤い糸のようなものが見えたのだ。これは、大真面目に言っていることである。そんなぼくを見ることもせず、再び歩く二人の女の子。ぼくは彼女の後ろ姿が見えなくなるまで、見つめていたと思う。1度だって交わらなかった視線。ぼくが見たのは七割ほどが彼女の髪の毛だった。…それでも、ぼくはその子に恋をした。いや、愛を感じたのだ。名前ちゃん。間違いなく、隣の子はそう言った。どんな字を書くんだろう。もう一度、今度は小さく声に出して彼女の名前を発する。なんとなく、胸のあたりが暖かくなった。

それからは早かった。仕事がないときにはよく勇盟大学の辺りをうろついた。会うことが出来たのは1週間に3回程度ではあったけれど、着実に彼女に近づいている気がした。我ながら、ストーカーのような行動をしていると思う。けれど、そのときのぼくにはそれしかなかった。考えて考えて、出した結論だった。いつだったか暇な時は外に出るぼくに、真宵ちゃんがいった。「なるほどくん、最近どこいってるの?」その問いにぼくは迷いなく返したと思う。「運命の女の子に会いに行ってるんだ。」そのときの真宵ちゃんの、あっけらかんとした表情は今でも忘れられないな。真宵ちゃんはやっぱり気になるようで、何度も何度もぼくに彼女のことを聞いてきたけれど曖昧に返しておいた。いくら真宵ちゃんでも、なんとなく彼女のことを知るのはぼくの周りではぼく以外いらないと思ったからだ。こんな気持ち、以前どこかで……ああ、嫌なことを思い出した。違うんだ。…いや、でもある意味五年ほど前のあの時の感覚と同じかもしれない。彼女達は毒だ。いや、毒は毒でも名前ちゃんの方は違う。名前ちゃんは、今だってぼくを知らない。そこがちぃちゃんと名前ちゃんの違うところだった。兎に角、名前ちゃんはぼくにとっての天使だった。あの時とは全く違う、そう確信している。


どうして彼女を誘拐したかなんて、むしろ今更なんじゃないか。たぶん、時は違えどいずれかこうしていたと思う。特に理由があったわけじゃない。…強いていうなら、彼女の目にぼくだけを映してほしかったから、だろう。ぼくは腐っても弁護士だ。こんなこと、していいなんて思わない。絶対に、してはいけないことだというくらい理解している。けれど止めることなんてできなかった。気づいたら、白いベッドに横たわる名前ちゃんの姿。ああ、ついにやってしまった。意外にも罪悪感なんて最初はほとんどなかったのだから、ぼくに正義は語れないのかもしれない。誘拐してすぐに思ったことはこれだけだった。ああ、これでやっと名前の目にぼくだけ映る。

彼女が目覚めるとやはり怯えていた。そりゃあそうだろう。きっと彼女はぼくなんかのことを覚えてないからだ。それでもよかった。これからぼくのことを知っていけばいいなんて、馬鹿なことを考えていた。彼女と過ごすうちに罪悪感が募ってきたのは事実だ。ぼくのなかにある正義への強い気持ち。正義が正当だと考える気持ち。それに対する罪悪感。それがあったからぼくは、誘拐しても極力彼女には触れることが出来なかった。ある意味、閉じ込めているよりも遠かったのかもしれない。結局彼女を怯えさせることしか出来ない。まずはその不安を取り除いてあげたい。どうしたって悪者なぼくに、なにができるかなんてわからなかったけれど。

そんなときにまた現れた真宵ちゃん。まったく、タイミングが悪いなあ。名前ちゃんがいるっていうのに。名前ちゃんを奥の部屋に行かせるように仕向けて、真宵ちゃんを迎え入れる。真宵ちゃんはなんだか目敏いところあるから、すぐ気づくんだろうなあと思いながら。

「誰かいたの?ティーカップ二つも出しちゃって」

ああやっぱり、気づいたか。ぼくがそのときどんな表情をしていたかなんて知らないけれど、たぶん、カオに出ていたんだろう。真宵ちゃんは冷やかしたような笑いを止めて、考え込んだ。暫く考えて、まさかというような面持ちでぼくを見上げる。それに言葉はなかったけれど、たぶん真宵ちゃんはあの子を誘拐したの?とか、そういうことが聞きたいんだろうなあ。考えてぼくも、口に出さずにへらりと笑ってみせる。いよいよ真宵ちゃんの顔がミドリ色だ。

「…なるほどくん、ね、ほんとに?」
どこかにいるかもしれない彼女に気をつかってか、小さな声で聞かれる。おそるおそる、といったように。ぼくもあわせて、なるたけ小さな声で返す。

「…まあ、ね」
信じられない、と口を大きく開ける真宵ちゃん。そうだ、普通の人の反応はソレだ。真宵ちゃんは、警察に連絡したりするのだろうか。…御剣や、矢張に、言うのだろうか。

「……」

「…あたし、言わないから、ね」

驚いた。曲がったことがキライな真宵ちゃんなら、すぐに騒いでいうと思ったのに。それで、いいのか?これで真宵ちゃん、君自身もこのハンザイに手を染めることになるんだぞ。ぼくは思わず「…本当にいいのかい?」と聞く。真宵ちゃんの目を見据えて。真宵ちゃんはやっぱりちょっと悩んでいるようだった。

「………うん」

十分に間を開けて出された答え。ぼくには真宵ちゃんが理解出来なかった。けれど、それ以上にぼくは心の底からこれでぼくと名前ちゃんを引き離すモノがひとつ消えた、と喜んでしまったのだ。つくづく、ぼくに正義を語る資格はないのかもしれない。それでも、自分のしたことを投げ出すことはしないと誓った。どんな犯罪に手を染めても、名前ちゃんだけはぼくのものであってほしい。歪んでるなんて、とっくに気づいていた。また、真宵ちゃんが帰った後小さくすすり泣く名前ちゃんのことにも、気づいていた。名前ちゃんがずっとずっと家に帰りたがっていることもとっくに知っていた。それでも、それでもなお、ぼくはこの犯罪をやめることは出来ない。


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