この家での生活は、初日に比べたら苦じゃなくなった。それもこれも、先日この男が私を優しく抱きしめたからである。馬鹿みたいな感情。きっと一時的なものだと思う。でも、毎朝起きると目の前にあの男の顔があっても、別になんとも思わなくなってしまった通算四日目の朝なのだ。自分がこわい。相変わらず成歩堂さんは家にいるし、なんなんだよ仕事してないのかよこいつ。別に、何をするわけでもなくただ家でぼうっとする。起きて、ぼうっとして、たまに話しかけられたらびくびくしながら返して、ある程度時間が経つとご飯が出てきて、お風呂に入って、寝る。なんだかとてもどうしようもない生活をしているようだった。
ただひとつ、わたしの部屋の窓がきっちりと蝋のようなもので固められていることを除いたら、特になんともない生活だった。わたしはその窓をみると怖くなる。気づかれないように見たこの家の窓は、全てがそうなっていた。固められていないのは各部屋の一番高いところにある小さな長細い窓だけ。やはり、外への希望は持てないところだった。前にいる成歩堂さんに気づかれない程度にため息をつく。そのとき、ぴんぽーん、という音が鳴った。インターホンだ。もうずっと聞いていない気がする外へ通ずる音に、思わず肩を揺らす。成歩堂さんは、目に見えて焦っていた。瞳孔は開いていたし、冷や汗だってかいている。ここで、わたしは少しだけ希望を持った。…もしかしたら、警察の人かもしれない。助けに来てくれたのかもしれない。

「ちょっと、待っててね」

できるだけ、明るく振舞おうと努める成歩堂さん。わたしはもちろん期待する。小さく頷いて、訪問者を待つ。「助けてください」と、言わなければ。


「……」

ドアスコープを覗く成歩堂さんと暫しの沈黙。わたしの緊張はもう極限まできている。びっとりと嫌な汗が流れる。こんな、無機質な音一つで、暫く外を見つめていたその背中は、くるりと振り返ってわたしに向き合った。彼は小さく、けれど安心したように「名前ちゃん、部屋に戻ってて」といった。有無を言わさないような彼の醸し出す空気に、怯む。にこりと、至極自然に笑う彼を見てわたしは心の奥から絶望する。きっと、警察の人ではない


私は無言で部屋に戻りぱたん、と扉を閉めて座り込む。きっと仲間なのだ。成歩堂さんの。人ひとりが4日間も姿を消しているというのに、誰も気づいていないのか。悲しい。虚しい。淋しい。背中から、がちゃりと家のドアを開ける音がした。微かに話し声が聞こえる。…女の声。はっとしてわたしはドアに耳を当てる。女の人だ。それも、多分若い。これはチャンスかもしれない。…どうせ、仲間だろうけれど。わたしは必死に耳を澄ませた。


「なるほどくん、お久しぶり〜」

「…ああ、真宵ちゃん」

「なあに、そのあたしが来て不満!みたいなカオは」

「まあ実際、そうなんだけど」


気の許した仲のようだった。けれど、会話を聞く限り女の子はわたしの存在を知らないらしい。これは間違いなくチャンスだ。どうしよう。ここでわたしの存在をバラせば、女の子は不審がって警察に言うかもしれない。…いや、でも、成歩堂さんがわたしのことを彼女だとか、友達だとかいえば終わってしまう。その前にわたしがねじ伏せられる。確実に。どうするべきか、思い悩む。


「あれ、なるほどくん?」

「ん?」

「誰かいたの?ティーカップ二つも出しちゃって」


その言葉に、どきりとした。そうだ、そのまま気づいてくれ。わたしがここにいることを。あの男に監禁されている、わたしのことを。ぎゅっと目をつむり、祈る。はやく、はやく、はやく。わたしをここから解放して。しばらくして、無言が続いた。…否、何か話しているようだが聞き取れなかった。お願い、気づいて。


「…じゃあ、あたしもう帰るね」
「もう帰るのか?」

「…うん、はみちゃんのところ、いくね」
「ああ、わかった」


そして閉まる、ドア。
わたしの必死の祈りはまったく届かなかった。今度こそ目の前が真っ暗だった。気づいてくれると、思ったのに。わたしがあのとき怯えずに言えたら、わたしはここにいると言えたら、なにか変わっただろうに。本当に後悔した。後悔して、泣いた。成歩堂さんがこちらへ来る様子もない。しんとしているから、声を殺しても聞こえているかもしれない。でもそんなの関係なかった。むしろ、聞かせてやりたい。あの男に。わたしの悲痛の叫びを。


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