「僕は、成歩堂龍一。こうやって書くんだ」


「なるほどう、さん」

「龍一でいいよ」


「……」

「…ごめん」

彼は成歩堂龍一という珍しい名前の持ち主だった。丁寧にテレビ台の上にあったメモ帳に胸ポケットから出したボールペンで酷く丁寧な文字が羅列されてゆく。成歩堂…一度聞いたら忘れないであろう名字だがわたしには身に覚えがなかった。一体、彼はわたしを何処で知ったのだろうか。
ここでわたしははじめて犯人である彼、もとい成歩堂さんをまじまじと観察する。青いジャケットに赤いネクタイ。身長もガタイもよく、よく見ると彼は若い。とても、若かった。女子大生を攫う誘拐犯なんてもっとおじさんで、気持ち悪い人だと思っていたのだが、彼は一見すると好青年。…一見すると。年齢は自分より5歳ほどしか離れていないのではないか。だとしたら、わたしの友達の先輩とか、ありえる。左の襟元にはキラリと光る何かがあった。金色のなにか。なんだろう、見覚えはないから、ただのお洒落なのかと思う。成歩堂さんは本当に一見するとこんな、こんなことは到底しなさそうな人のように思えた。それなのになぜ、なぜ。


「…外は出ちゃダメだ。外は、恐いモノで溢れてる」

不意に彼がいった。外の景色を眺めながら、それはもう汚物を見るような目で。なにを、いっているのだろう。


「こ、恐いもの…?」


「うん、だから、名前ちゃんは行っちゃダメなんだ」


まるで子どもに言い聞かせるように、優しい声色で言った彼にどうしようもない違和感と恐ろしさを感じた。恐いモノが、あるから、このわたしを監禁したというのか。この20年間、外で生活をしてきたというのに。馬鹿げた話だと思ったが当の本人は大真面目、らしい。そんな馬鹿げた話を恐ろしく真剣な、狂気すら感じる瞳で話すのだった。ますます誘拐犯成歩堂龍一という人物がわからなくなった。…いや、わかりたくはない。


「きみは、外には出れない」


また不意をついて彼の口から発せられた言葉。きっぱりと断言された言葉はわたしの心臓を貫くようで、ひどく動悸がした。どくん、どくんと脈打つ。ここから、出られない。彼の身体越しに、薄く開かれたドアの向こうが見えた。向こう側も綺麗に彩られた部屋であったが、隙間から覗くのは、なにか、硬そうな金属のもの。そのあまりにも不釣り合いななにかに、わたしは思わず釘付けになった。あれは、金属バッド。わたしを攫うときに使用したものなのかはわからないが、それでもわたしの心に鋭い恐怖心を抱かせるには十分すぎるものだった。
うそだ、出れないんじゃない。…出さないのだ。


「大丈夫、名前ちゃんは、僕が守るよ」

聞こえるのは時計の刻む秒針の音だけ。それはとても純粋な笑顔だった。小学生のするそれのような、とても、無邪気な笑顔。その異常な無邪気さに、わたしはこの成歩堂龍一という人物が要注意人物であることを実感する。人は見かけによらない、よらなすぎる。


「は、い」


「うん、それじゃあ、家の中案内するね」

お風呂入りたいでしょ、とこれはまたにこやかに言う。会話こそ同棲したてのカップルのようだったが、現実はまるで違う。ただの誘拐犯、ただの女子大生いわば被害者というのだから、奇妙だ。

手を引かれてされるがままになるわたし。はじめて出たある意味外と言えるかもしれない空間をじっくりと見る、さきほど私が見た硬いものは、やはり金属バッドだった。無造作に置かれたそれの近くには手錠や、足枷。その外の世界はやはり綺麗で、若いながらもこの人の経済力が伺えた。何をしている人なのか。どうやらこの家は、一軒家という訳では無いらしい。出窓から見たあの風景。ちらりとしかみることはかなわなかったさがのっぺりとした白い外壁。部屋の天井付近などに少しだけ除く無機質な鉄、コンクリート。おそらく、どこかのビルだ。ビルを自宅代わり…もしかしたらただの仮屋かも知れないが、ここで生活をしているということは下の階が職場だったりするのだろうか。あの若さで会社を立ち上げてるのかもしれない。それなら、この経済力も頷ける。

わたしが思考している間も献身的に成歩堂はんは部屋の説明をしてくれた。たぶん、わたしが移動できる空間は少ないだろうが。やがて、白いふわふわのタオルと着替え…のようなものを手渡された。目の前には脱衣所。お風呂を入ってもいいと、そういうことらしい。色々なことが重なり嫌に冷静だったわたしは、それをぺこりと頭を下げて受け取る。成歩堂さんはそれをみてまた笑い奥の部屋へ姿を消してしまった。その姿を確認してからばたんと脱衣所の扉を閉めて、座り込む。やっと状況を飲み込める場所に来た。はあ、と長い長いため息をつく。これから、どうしよう。ふと、手渡された衣類を手に取った。


「…普通だ」

誘拐犯たるもの、もっとなんか、いかがわしいものを着させられると思っていたわたしは拍子抜けする。中に入っていたのはコットン生地の白いワンピースと、カーディガン。白一色ながら、薄いピンクで刺繍がされてあったりと些かわたしが着るには可愛らしいものだった。


「いみ、わかんない」

ぎゅっと手の中の衣類を握りしめる。もう、わけわかんないことだらけだ。わたしによくしてくれてるようだから、それはまあ普通の被害者とは違うところなのかとも思う。でも、それでも不安と恐怖は拭えない。お風呂を目にすると思い出したかのようにじっとりと肌が汗ばんだ。何日、入ってなかったのか。むしろ、何日わたしはここにいるのか。これからどうするべきか。考えることは山ほどあって、考えたくなくて、現実逃避するかのように浴槽に逃避した。


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