かくして先日初めてのおつかいをすませた名前は、久々(と言えるかは微妙だが)に何も無い休日を謳歌していた。昨日から御剣怜侍は仕事でいない。どうやらまた新たな事件が起き、困難を極めているのだろう。いや、糸鋸圭介の尻拭いのためかもしれない。昨日からいないということは、御剣怜侍のいない休日だということだ。失礼は承知だが、名前は内心少し安心していた。今までの境遇が境遇とはいえ、こんなにも人と過ごす(しかも、優しくされる)のはあまりないことだ。ちょっとした息抜き、休息の時間だった。

素人目でもわかる、とても高そうでセンスのいいティーカップを拝借して御剣が名前のためにと用意してくれたアップルティ、オレンジティなどといったフルーツ系の茶葉で紅茶を作る(淹れ方は以前御剣に指導を受けた)。ひとくち飲んでごろごろ、とリビングにある質のいい柔らかいソファに寝そべる。御剣さんがいたらできないんだろうなあ、と考えながら。


「(このソファ、いくらするんだろ)」

平日の昼下がりに名前のような一女子高生が興味を引くようなテレビはやってる訳もなく、ただただのんびりと安らかに休日を過ごす。


ふと、先日のおつかい事件よりゲットした御剣怜侍の電話番号のことを思い出し自室に行って携帯を取った。
あまり、携帯は使うほうではない。連絡する相手も特に思いつかない名前は、登録されている電話番号と"御剣怜侍"と打ち込まれている文字を見てくすりと笑う。正直、どういったときに連絡をしたらいいのかわからない。

「(いつ、帰ってくるかな…)」

それを聞くためだけに電話をかけていいものなのだろうか。おそらく向こうは仕事中、こんなことのために時間を割いてもらうなんてなんだか心苦しい。むしろ、電話に出るかもわからない。などと考える。考え込む。もしも御剣怜侍が早く帰ってくるならば、夕食の準備をしなくてはいけないし掃除も終わらせなきゃいけないし、とにかくやることがいっぱいあるのだ。それに、いくら御剣怜侍がいなくてもこの広い部屋に名前ひとりという状況は些か居心地が悪かった。気味の悪いほど静かな部屋。滾々としている。
彼がいないことで得られる開放感とは裏腹に、彼がいなくてすこし、寂しいという感情も芽生えてくる。ホームシックならぬ、御剣シック…?と思いつきで言った割に面白い響きだったのか名前はくすくすと笑ってしまう。


「…よし」

そして、意を決したように携帯を手に取る。まだ拙い手つきで携帯を操作し、御剣怜侍と書かれた電話番号をタップしようとして、止まる。


なんとなく、気配がしたのだ。ドアの方で。よく耳を済ますと、ドア越しに人が歩く音。それは本当に小さかったが、名前には聞こえた気がした。御剣が帰ってきたのだろうか。いま連絡しようとしたそのときに、なんてタイミングだ。名前は少し嬉しくなって軽い足取りで玄関へ向かう。しかし、玄関へ続く扉を開けようとしてまたひとり止まった。おかしい、もしも御剣ならば迷わずドアを開けて中に入るだろう。しかし、ドアの向こうの人は一向にそれをしない。ドアの周りを歩いているのだ。こつこつ、とゆっくりと。一瞬にして名前は不信感に陥った。誰だ。おそるおそるドアへの扉を開けると同時に、…かちゃ、と小さくドアノブが鳴り名前はびくっと戦いた。
やはり御剣なのだろうか、いや、違う。その気配はただドアノブを持っただけらしい。鍵をさす様子もなく、鍵がかかっているかどうか、確認したような、そんな感じだった。

明らかに様子がおかしい。もしかして、泥棒なのか。しかし、生憎ドアはきっちりと鍵がかかっている。ついでにチェーンも。御剣が名前を保護するにあたって、かけろとうるさく言っていたこの行為が名前にとって大いに役立った。このチェーンがあるだけで安心度が違う。しかし、安心する暇はない。なんていったって(おそらく)知らない人だ。どうする、と胸の鼓動はいつしかばくばくと大きくなっていった。足がすくむ。こんなとき、こういうときは、

「…っあ」

ふと手に持っていた携帯の存在に気づく。そうだ、連絡しよう。そう思った名前の行動は早かった。いそいで番号を探し、先ほど躊躇っていたのが嘘のように素早くタップする。
プルルルル、とコールが鳴るのを聞いているあいだ、とりあえず報告するため、また、確認するためなるべく足音を立てずにドアスコープを覗き込む。
やはり、いる。
何をするわけでもなく、ただ、ドアノブに手をかけている男が。ワイン色のニット帽を目深にかぶり、全体的に黒い服で身を包んでいてどう見てもこの高級マンションには似つかわしくない。

これから御剣と話すのにここにいては気付かれる、そう思った名前は一瞬だがじっくりと犯人を見つめ、また距離を取る、

何コールめだったか、やはり仕事が忙しいらしくなかなか出てくれなかった電話に、御剣が出た。


"ム、苗字くんか、どうかしたのだろうか"


二日聞かなかっただけでこんなにも懐かしく感じる声。名前はもう泣きそうだった。震える声で御剣怜侍に必死に訴える。

「あ、の…ドアの前に、だれか、いる」

電話越しでも名前のただならぬ様子が伝わったのか、向こうでがたんがたん、と荒々しい音が鳴るのが聞こえた。

"グッ…苗字は、無事なのかね?!"
自分が近くにいない時に限って、名前に異常事態が起きている。御剣怜侍も気が気でなかった。

「大丈夫、いるだけで、なにもしてないの」

ただ、ドアノブを掴んでるだけ、と御剣に伝えると些か安堵したようだった。


"わかった、すぐそちらへ向かおう。苗字くんは動くな。"

"私の家の防犯はカンペキだ、ハンニンを刺激しないようにしたまえ"


と、切羽詰まったように電話を切られる。仕事中なのに、こっちに帰ってきてくれる。名前はいよいよ安心した。幸い犯人もまだ行動は何も起こしていない。御剣の仕事のジャマをしてしまった事がとても気がかりだったが、名前はやはり御剣怜侍にそばにいて欲しかった。リビングの扉に体をあずけて座り込む、手には携帯を握りしめて。最近のわたしはつくづく運がない。とくに、知らない人に。と名前は心の中で憎んだ。まだわたしは、ろくに休息も取れないらしい。
しきりに時間を気にしながら、慣れない時間を過ごすうちに睡魔という欲が出てきてしまった。こんなときに、図太い神経だと思う。しかし、犯人はよくわからないけれど何処かへいった(気がする)。
それに、もうすぐ御剣さんがくる。と、名前はその大きな背中が来ることの安心感に身を委ね、目を閉じることした。


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