とはいえ、わたしは彼の時折見せる冷たい目線に気づいていた。その目線をするのは本当に一瞬で、ひと窓の外を見やったときだとか、わたしが彼の方を見ていない時且つかれがこちらを見つめているときなど、本当に一瞬だけ、冷たい顔をするのだった。上がった口角も一瞬下がり、ぎゅっと固くして凍てつくような生気のない目を、彼はするのだ。その、何を考えているのかまるで検討もつかない顔に、改めてこの人はわたしを攫った犯人なのだと実感する。するとするで、武者震いのような、震えが立った。さきほど決意したことであるが、暫くは無理そうだった。

「……じゃあ、あとで」


ふと、そう言って彼はまたドアの向こうへ吸い込まれていった。あとで、とは、なんなのだろうか。少ないなりにも満たされたお腹。些か元気を取り戻したわたしは必死の思いで窓際まで這い、カギを確認する。予想外なことに、カギは開いていた。…が、ちらりと下を覗くとこの場所がやけに高いことがわかった。とても遠く感じる地面。出窓のような形をしていたので、ここからわたしが飛び降りるなんてことはしないと考えたのだろうか。地面が土だったら良かったのだが、そこは冷たいコンクリート。手足が自由ではないこの状況で飛び降りようなぞ、出来るわけなかった。出来るわけなかったが、わたしは頬を使って窓を開ける。ざわ、と木々が騒いだような気がした。窓という隔たり無しに再度下を覗くと、先程よりも感じる地面の遠さ。反抗できないわたしは、今後ろから背中をトンと押されただけで確実に怪我をする。運悪く、死ぬ。ぶわっと寒気が起きて、急いでわたしは出窓から身を引いた。へたりとその場に座り込む。後ろから流れてくる風がどうしようもなくわたしの身体を冷やしていった。わたしは少しだけ横になる。どうしてなのか。20年生きて来たなか苗字名前は至って平凡な生活をしてきたはずだった。わたしは、平凡な大学生だったはずなのに。ふと、何刻か前まで一緒にいたマキちゃんのことを思い出す。普通だったら今日はありがとうなんてマキちゃんにLINEして、たわいない話で盛り上がって、まだちょっと下手な料理を作ってテレビを見て、寝る。そんな1日を、過ごすはずだったのに。マキちゃん、心配してるかもなあ。もしかしたら次の日とかになってるのかもしれない。毎朝ゴミ出しで会うおばさんとか、わたしに会わなくて心配とか、するのかなあ。…そこまで考えていやいやと首をふる。別にLINEなんかしなくても、変じゃない。せいぜいちょっと態度が悪いと思われる程度だろう。近所のおばさんだって、必ずゴミ出しに来るわけでも、またわたしが必ずゴミを出すわけでもない。1日くらい会わなくたってなんとも思わない。毎日LINEする友だちはいるが、少しの間連絡がなくたって誰も気にしない。つまり、わたしがこんな状況だってこと、みんなはもうしばらく気づかないんだろうなあ。


「う…」


自然と涙が出た。今日だけで何回泣くのだろう。悲しくて悲しくてたまらない。はやく家に帰りたい。テレビ見たい。今日がもしも土曜日だったのなら、夜からあのドラマがやるなあ。お母さんの料理も食べたい。こんなことになる前に、食べておきたかった。なんて無理な話だけれど。静かな部屋にわたしの嗚咽だけが響く。どうにも虚しい。自分の涙すら拭えないわたしは、だらしなく涙を流す。きっと顔はぐちゃぐちゃで、見るにたえないひどい顔なんだろうなあ。せめて足か手首の拘束解いてくれたらいいのに、なんて犯人を恨む。もうなにもする気力がなかった。逃げようにも今は確実に無理。動けやしない。正直、閉塞感しかない空間で息をするのも辛かった。呼吸をやめてしまいたい。そっと目を閉じて瞑想する。何も考えない、無の世界。あれこれ考えたって状況は変わらないはずだ。それならば、と思いわたしは静かに眠る。次に目が覚めたとき、何も無かったかのように日常に戻っていたら、とあえかな希望を胸に。目が覚めずに死後の世界…なんて笑えない冗談である。そしてわたしの意識は無の世界へと落ちていった。







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