さて、5月の春風にも慣れた暖かい日差しの今日このごろ、苗字名前は真剣に悩んでいた。


「(…これは、どうしよう)」

原因はそうこれ、恩人である御剣怜侍が愛用する黒く分厚い手帳だ。仕事があるときは欠かさず持っていたし、確か昨日だって眉間のシワを深くさせつつ難しい顔でこの手帳の中身を睨んでいた。つまるところ、これは御剣怜侍検事の忘れ物というべき品であるのだ。

「(この手帳、きっと必要なもの)」

そういえば今日の朝は御剣怜侍は珍しくばたばたしていた。寝坊したというわけではないのだが、仕事が立て込んでいるのだろうか、朝食もそこそこにすまないと言いながら慌ただしく出ていったのだ。いつものジャケットを肩にひっかけて。

名前は悩んだ。おそらく御剣怜侍は重要であろう私物がなくて困っているだろう。ここに取りに戻ってくるかもとは考えたが、あの様子だと戻ってはこなそうだ。むしろ、この手帳がないことにも気づかないのではないか?

うんうんと考える。

「…よし」
そしてついに名前がとった行動、それはこの手帳を届けに行くことだった。その時気づいたのだが名前と御剣は未だに連絡先を交換していない。苦難の道のりとは思ったが、行くしかない。

名前はそう決めると手早く淡いチェックのシャツワンピースとあまり高さのないパンプスを引っかけて外に出た。
恩師・阿江無賢は御剣怜侍のことを検事といっていた。おそらくは近くの地方検事局だろう。そして、彼はきっと偉い立場のはずだ。このような豪華なマンションにひとりで住んでいたのだから(このへんは名前の勝手な憶測であるが)
そんなことを考えながら着くのは大きな検事局。
もちろん、行くのも入るのも初めてである。
堂々とそびえ立つビルのような検事局、入っていく人々はみなスーツを着て颯爽と歩いている。どうにも名前は自分が場違いであると居心地を悪くしていた。

そろりそろりと足を運び入れると中にはやはりかっちりとスーツに身を包む人しかいなかった。
狼狽えながらキョロキョロと御剣の姿を探す名前を、周りの検事、刑事たちも不思議そうに見つめていた。

「…どうしよう、」
いくら来てみたって御剣の姿は見当たらない。
周りの大人たちもこちらをじろじろと見るだけだ。
名前は一心に帰りたいと思った。今まで感じていた孤独感とは、また少し違うそれを感じていた。


「あれ?名前ちゃんッスか?」
そんなときに現れてくれた。以前聞いたことのある声に名前は下に向いていた顔をぱっと上げる。
糸鋸刑事だ。

「あ、えっと、糸鋸刑事…さん」
少しトーンの高くなった声で男の名前を呼ぶと、糸鋸刑事は不思議そうにしつつも名前の頭をわしわしと乱した。

「どうしてここにいるッスか?もしかして、御剣検事に用事ッスか?」
こくこくと必死に頷くと、糸鋸刑事はにっこり笑ってこっちに来るッスといって名前の手を引いていく。

大男に手を引かれる少女(背が小さめのため実際より幼く見えるのだろう)の絵面は、それはそれは不審なものであったようでよりいっそう視線は名前たち2人に注がれた。

名前はなんとなく嫌で、連れられている間は手に持つ黒い手帳と綺麗な床のほうに目線を送っていた。


そうして連れられて来たのは検事局の12階の1室。1202号室と書かれた部屋についた。来る途中、何故か置いてあったバスケットゴールやボールなどにはなんとなく名前は触れる気はしなかった。

「御剣検事!お客さんッスよ!」
どんどん、と扉を荒々しく叩く糸鋸刑事に名前はぎょっとした。

(そんなに、うるさくしていいのかな…)

少し間を開けて扉開かれる。いつもよりいくらか不機嫌そうだった御剣は、名前の姿を見つけるとこちらもこちらでぎょっとした

「ム、苗字くんではないか!一体、どうしたというのだ」
おろおろとしている御剣怜侍は新鮮で、名前は少し笑ってしまった。

「あの、手帳」
そういって手元の黒い手帳を見せると御剣怜侍は一瞬目を大きくした。


「あ、ああ…忘れてしまっていたのか、すまないな」
やはり、彼は忘れていたことすら気づいていなかった。
名前から手帳を受け取ると、優しい目つきで頭を撫でる

「御剣検事、そういうときはありがとうって言うッス!」
隣で様子を伺っていた糸鋸刑事がにまにまして言うと御剣はうぐっと言葉に詰まる。

「う、うム、そうか、では…ありがとう」
言い慣れてないのか、いつもより難しい顔をしていう御剣だったが、名前はそれがとても嬉しかった。

「…うんっ」
自然と笑みがこぼれた。御剣の役に立てて嬉しかった。
御剣はそのあとも仕事が立て込んでいるようで、すまないなといって名前を糸鋸刑事にあずけた。
糸鋸と少しではあるが会話をしながら検事局入口まで案内してもらい、今日の名前のミッションは達成されたのである。

(糸鋸刑事さんは、いいひとだ)

その日から糸鋸の株が急上昇したのは、言うまでもない。


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