「ねえ、おそ松、ほんとやめて」

1年、言葉にするとなんてことないけど、わたしはこの1年間松野一松という男の下でまるで下僕のように扱われてる。彼から告白されて、無愛想な言葉だったけど、小さいころからたまに遊んでてちょっと一松いいなあなんて思っていたわたしにとって、イエス以外の選択肢なんてなかった。付き合った当初はそれはそれは優しかった。相変わらず口は悪いし、目は死んでるし、何考えてるのかわからなかったけど、それでもわたしのことを好いてくれてるんだって思えることも沢山あって、幸せだった。わたしにとっても、彼にとっても初めての恋人でにっちもさっちもわからないような青二才だったけれど、それなりに円満に、且つ幸せに、いい関係を築いていたと思う。

しかし、いつだっただろう、たぶん、3ヶ月ほどしたとき。彼はどんどん変わりはじめた。もともと自分に自信がないようだったが、それが拍車をかけてわたしを縛るようになっていった。小さな嫉妬は小さな束縛に、小さな束縛はいつしかわたしの身体を本当に拘束しているように、太い縄がぎりぎりとわたしの身体を締めつけるように、目に見えて激しくなった。度を越してきた、なんて言葉がよく似合った。わたしは心のなかでは気づかないふりをしてた、一松はいつもいう。「名前が悪いんだ」と。そう、わたしが悪い、わたしが一松の機嫌を損ねてしまったからだ、ずっとそう考えていた。考えようとした。こころのなかの「ちがう、これはただの一松のわがままだ。わたしは悪くない」という叫びにずっと気づかないふりをしていたのだ。しかしそれでも、一松が好きだった。捨てられるのが怖かった。一松はわたしに手を出したことは無い。そういう対象にさえわたしは見られてないらしい、それでも、よかった。もはや、好きだからではない、捨てられたくなかった、ただそれだけだった。

そして、いつからだっただろうか、そんなわたしをいつも気にかけて、いつも優しく話を聞いてくれてたもう一人の男がわたしのことを好いていると気づいたのは。

わたしの目の前にはわたしよりもずっと高い身長の彼、おそ松。彼はわたしのことが、好きらしい。しかも、本気で。そして、私の背中には壁。ここは家の近くの居酒屋の通りの細い路地裏。おそ松は、いつもは長男の笑顔だったのに、ずっとずっと真剣な顔だった。

「えーなんで?一松なんかより絶対俺の方がいいって」

やはりそうだ。前から言い寄られてはいた。ことあるごとに、俺と付き合わないかなんてそういうニュアンスのことを言ってきた。でもいつだってそれを仄めかすだけの言葉で、今日この夜、とうとうはっきりと言われてしまったのだ。
声がふるえる。気づいていたおそ松の恋慕に、どう対処したらいいのかわからない。

「でも、だって、」


「あのさあ、名前?一松が名前のこと大切にしてると思ってる?」

おそ松もおそ松なりにわたしのことを心配している、いつだって。一見厳しい口調のようだったけど、そこには確かに優しさがあった。


「名前口には出さないけどさ、顔に出てるぜ?」

「ちがうの、わたしが余計なことばっかするからだよ」

「名前なんも悪いことしてねーじゃん」

彼はそうやってわたしが気づかないふりをしていたことを次々と言い当てていくのだ。…わたしの欲しかった言葉を添えて。

「無駄に独占欲強くてさ、名前の行動制限してきて、酷いことばっか言うし、なあ名前、お前一松でいいの?」

まさに、核心を突かれてる。きっとおそ松は気づいてる。わたしがただ一松に捨てられたくないだけのかわいそうな女だということを。


「…でも、」

「でもでもだってじゃないの、ねえ、俺と浮気しようよ」

真剣な表情。長くいるわたしでさえ、はじめてみる顔。
茶化してるようで、まったく真剣だ。いつもの軽口を叩く彼ではないのだ。真剣に、真摯に、わたしのことを好いてくれてる。本気で浮気しようって、思ってるのだ。でも、わたしの答えは決まっていた。わたしはこんなかわいそうな女で、男ひとりに逃げられるのが嫌で、ずっとずっと自分を押し殺してる弱い女なのだ。対しておそ松はちがう、根本的にちがう。ずっと強くて、やさしくて、とても素敵なのだ。いくら好きだと言われたって、わたしにとってはあまりにももったいない。ほんとうは一松だってそうだ。彼は彼の世界の中で生きているから、周りの世界が見えていないから、わたしを必要としている。こんなわたしを、必要としている。
つまるところ、誰と付き合ったってわたしにはもったいない、あの人たちは。

「そんなこと、できないよ」

よほど情けない顔をしてるんだろう。目の奥がつんとしてじわじわと視界がかすむ。情けない。こんなにもネガティブで、自信が無い自分が。


「あいつと付き合うなんて不毛だと思わない?あいつ、よくそういう店行ってるんだぜ」

「そんなの、知ってたよ…」
おそ松は、目に見えていらだっているようだった。そうだ、わたしはおそ松に揺らいでいる。その事実を、敏感なおそ松は感じ取っている。


「俺、名前が傷つくとこ見たくないの、わかる?」

「俺ならこんなふうに悲しませたり泣かせたりしないぜ」

「なあ」
「名前、俺にしとけよ」

「名前、好きだ」

ぐらぐらと脳みそが揺れるようだ。わたしに対して彼はこんなにも真摯だった。今にも泣きそうな顔で、わたしをぎゅっと抱きしめる。しまいには、「名前は捨てられたくないだけなんだよ、俺にしとけよ」なんて、気づいてても言わなかった真実を突きつけられる。どうして、わかるの。きつく、強引のもの言いだったけれどそうではない。わたしを抱きしめて、ずっと愛の言葉を呟いている。必死に、小さな子供が親に懇願するように。ねえおそ松、わたし、一松がずっと好きだったのに、欲しかった言葉を言われただけで揺らいでしまうような女なんだよ。最低だ。ほんとうにほんとうに、最低だ。最低だってわかっていても、微かに震える彼の背中にわたしの両腕が回されるのは、もはや必然でしかなかった。


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