「お願いします、怜侍くん」


燦々とほのかに温かみを帯びる太陽を空に掲げる四月の中旬、ある界隈で知らぬものはいないであろうほどの有名人、天才と呼ばれる検事の前に一人の男が深々と腰を折っている。
また、頭を下げられている体格のいい男は眉間に深いシワを寄せ、腰を折っている男性をじっと見つめていた。
依頼でもないこの状況になったのは今からほんと5分、10分ほど遡らなくてはならなかった。


四月の中旬の昼下がり、この男、御剣怜侍の仕事は珍しくもひと段落ついていた。
自宅のふかふかのソファーに腰を下ろしお気に入りの紅茶を飲みながら今回終わった法廷での反省をしていたところだったのだ。
いつもよりか些か時間がかかり、あれよこれよと思考している最中、ひとつのインターホンが鳴った。
携帯に連絡も入っていない、またどんどんとけたたましくドアを叩かないあたり依頼でもよくまとわりついてくる刑事でもないらしい。不穏に思いつつ御剣怜侍はドアの方へ足を進めた。

「…誰だろうか」
ドアを薄く開け確認すると目の前には50代だろうか、物腰の柔らかそうな男性が申し訳なさそうな表情で立っていた。

訝しげに見つめると男は少し慌てた様子で問いた。
「こちら、御剣怜侍検事さんのご自宅でよろしいでしょうか?」
有名人とはいえ自宅はほぼ公開していないことより、御剣の中で更に疑念が広がる。

「如何にもそうだが、貴方は?」


聞くと男は安心したように柔らかく微笑む。
「ああよかった、私、公立高校の教師をやっておりました、阿江無 賢と申します。」

阿江無 賢(あえなき さかし)、その名前になぜか少し懐かしさを感じた。阿江無、どこかで聞いたことがある。顎に手をやり考えると紳士はにこりとまた微笑んだ。
「御剣信、彼とはとても親しくさせて頂いておりました。怜侍くん、とても立派になられましたね」
彼の口から出たのは御剣怜侍の父の名だった。
父を知っている、阿江無という性、そして自分を知っている…
御剣の頭の中でそのワードはすぐにロジックとして組むことができた。彼、阿江無 賢は父の旧友である。
幼い頃、父がまだ生きていたときによく遊んでもらっていたのだ。父はよく言っていた、「阿江無にはとても恩義があるのだ」と。

「思い出しました、阿江無さん。お久しぶりです」
15年以上も会わなかったとはいえ忘れていたことに申し訳なくなった御剣はすぐに一礼をした。

「ああそんな、やめてください、怜侍くん。突然お邪魔して申し訳ない」
ひらひらと両手を振りつつ遠慮をする阿江無。そして、本日はですねと本題に入ったとき、彼の表情は一変して真剣な色に染まった。

「お願いがあって参りました。実はですね、私の教え子を預かってもらいたいのです。」
眉を下げ、本当に申し訳なさそうに語る阿江無に御剣はぐっと言葉が詰まる。
彼は今、教え子を預かって欲しいといった。
通常ではない頼みごとである。

御剣は眉を潜めて聞いた
「阿江無さん、どうしてだろうか」
まだ、まだ自分の子ならわかるのだ。それが、教え子。そして自分に。何故なのか。疑問は尽きない

「15年以上も姿を見せなかったのにこんなことを頼むのは非常に不躾だとは思っています。本当に申し訳ない。ですが、いま頼れるところがないのです」

そう言って彼は詳しく経緯を話した。
なんでも、親戚をたらい回しにされている子がいるらしい。最近はある家で落ち着いていたのだが、色々あって阿江無が保護した。阿江無は生涯独身であるが、病を患っているため教え子を住ませることができないらしい。その子には身よりもないため、唯一頼りである故人御剣信の息子の元へ来たということであった。


御剣は正直に言って、困り果てていた。いくら父の旧友とはいえど、自分自身とはそれほど関わりがなかったのだ。しかも自分はこの通り仕事で忙しい。
無意識に眉間にシワを寄せていたのか、阿江無は下を向いた。

「いきなりですし、困るのも無理はありません、ですが私ではあの子を助けてやれないのです。勝手なこととは承知しています。ですがどうか、」



そして、冒頭に戻るのであった。


こんなにも必死にお願いされたことはあまりない。
御剣はぐぐ、と考え込んだ。尊敬していた父、彼ととても親交があったこの人を無下に出来るだろうか。
以前までの御剣怜侍だったら冷たく、拒否していたかもしれない。自分にあまり利益がないことには一切興味がなかったのだ。しかし彼は、あの日、あの事件を解き明かしたあの日、古くからの付き合いだった一人の男によって変わったのだった。
御剣怜侍は考えた。あの日のことを。そして、あの弁護士のことを。


「わかりました、協力しよう」
口からついて出た言葉はとても簡単なことだった。



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