ある日の夜、22時頃に帰宅した御剣怜侍は驚愕した。
玄関のドアを開けたそのタイミングで、奥の部屋のドアも開いて名前がでてきた。黒字のエプロンをぶら下げて、その両腕を赤黒く染めて

「…ッ!苗字くん!」
御剣は急いで駆け寄り両の肩に手を置く、その赤黒いものが、いつも自分が目にするモノに見えて仕方がなかったからだ。どこかケガをしているのかもしれない、いや、襲われたのか?ぐるぐると思考する間に名前はぶっきらぼうに答えた。

「…御剣さん、これ、絵の具…」

ぴた、と御剣の動きも、周りの音もすべてが止まったような錯覚に陥る。つまるところ、この少女の両手にこびり付くものは絵の具で、いつものように絵を描いていたらしい
自分の勘違いだと気づくと御剣は、バツの悪そうに、すこし恥ずかしそうに顔を歪めた。

「…そ、そのようなことなら、早く言ってくれたまえ!」


んん、と咳払いをすると、うすく開いているドアの向こうが気になった。
自分の部屋の中を気にしている様子に、名前はいう
「…はいる?」と。

ム、失礼する、といって踏み込むとやはり広がるのは色とりどりの絵画。入るのはこれが2度目である。
よく見ると、床はビニールのうえに新聞紙が引いており絵画がかかってる壁にもビニールが貼ってあった。借りた部屋を汚さないようにという気遣いなのだろう。それでも彼女は申し訳なさそうにしていた

「あの、御剣さん、…へや、汚してない」
怒られると思っているのだろうか、幾分怯えているような彼女の小さな頭を御剣はするりと撫でた。

「汚してもかまわない、それよりも」
ぐるり、と一面の絵画を見渡す。
鮮やかな色彩のもの、モノトーンで描かれたもの、深く暗い色でしか描かれたもの、様々だ。

そのなかに、一際大きなカンヴァスが置いてある。現在取り掛かっているものらしい。
青黒く塗られた背景、下には緑の草地のようなもの、そしてそこには鮮やかな赤で塗られた彼岸花が咲いている。どうやらこれを描いてて汚れたものらしい。

まだまだ製作途中のようで、名前は恥ずかしそうにしていた。
「…君は、絵の中に感情を表すのか?」
素直な感想だった。それほど彼女の絵には楽しい悲しい嬉しいなどという感情が表れているように思えた。

「…わたし、喋るの、得意じゃなくて」
だから、と名前は俯いた。

「悪いことじゃない、私は、とても良いと思う」
その言葉を聞くとやはり名前は嬉しそうにしていた。
そして彼には気づいたことがある。

「…苗字くん、これは私の勝手な想像だが、油絵というものは独特なニオイがあるのではないのだろうか?」
そう、一般的に油絵とは、絵の具を溶かす水の代わり、テレピンという液体が独特のニオイを放つのだ。しかしこの部屋はまったくそのようなニオイは感じられない

「御剣さんの家に移るから、無臭のテレピンを使ってる、」
テレピン、という言葉にぴんとは来なかったが、要するに私に気を使ったのだろうと御剣怜侍は考えた。
様々なところで、彼女は私に気を使っているのだ。

「そうか、」
その事に御剣は、なんだか暖かい気持ちになった。
その夜は名前から油絵の説明を受けた。絵のことになると名前はとても饒舌になるらしい、たまにはっとなって恥ずかしそうに御剣を見る姿に少なからず好意を持った。もちろん、身内としてのだ。

「いっぱい喋っちゃってごめんなさい、…おやすみなさい」

半分ほど開いたドア越しに名前が御剣を見上げる。
珍しくころころと表情を変える(と、いってもほんの僅かだが)名前の新たな一面を垣間見たようだった。存外、御剣怜侍は彼女のことを気に入っているらしい。普段よりも格段に眉間のシワを薄くさせ、御剣は彼女にあいさつをする。

「ああ、おやすみ」



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