夏休みといえば、なにを思い浮かべるだろう。蝉しぐれの降り注ぐ夏の盛り。乾いた青空、子どもたちの喧騒、冷たいアイス。そして、夏祭り。
そう、わたしと御剣さんが住んでいるマンションの近くで、夏祭りが行われるのだ。いろんな屋台が出て、最後には花火も上がる。クラスメイトに行かないかと誘われたけれど、そのときはあの人混みをかきわけてみんなについていく自信がなくて申し訳ないけれど見送ったのだ。けれどいまじわじわと夏祭りが近づくと、ああお誘いに乗ればよかったかなあなどと思ってしまうのだ。今までイベントなどむしろ行きたくないと思っていたのだけど、今年のわたしは全くもって違うのだ。心を入れ替えて真っ当に生きようとしている。それなりにこういう遊びにも、興味が出てきた。でもなあ断ってしまったし、残念だけど今年は諦めかな。来年は行ってみよう。
ベランダに両肘をついて遠く下でひしめいている人々をぼうっと眺める。まだ夕方だというのに、すでにちらほらと浴衣を着ている女の子がいるし、家族連れも多い。普段より色鮮やかな景色を眺めながらアイスを齧っていると、わたしの肘のすぐ横に、見慣れた大きな手の甲が見えた。

「なにを見ている?」
「御剣さん、あの、下を歩いてる人を」

ほら、と御剣さんからベランダを越えて下にいる人に目線を向けると、御剣さんが呼応するかのようにちらりと下を見やった。きゃあきゃあと遠くで聞こえる喧騒、白と青、ピンクや赤の浴衣。

「…成る程、今日はなにか催し物があるのだったな」

催し物って。やっぱり26歳には似つかわしくない言葉遣いに思わず小さく笑ってしまう。もう慣れてしまったのかそんなわたしを気にすることなくじっくりと下を歩く人々を見つめる。夕陽が御剣さんの横顔を照らして、橙色にきらきらと光っている。腕を組み、左手を顎にやって考え込む御剣さんがひどく綺麗で、これはあとで絵に残さないとなどと考えていると、ふと御剣さんの綺麗な瞳がこちらを向いた。

「名前くん、外に出る支度をしたまえ」

えっ、と驚いて御剣さんを見つめる。わたしを見下ろす御剣さんは、なにをしているのだ早くしたまえと言わんばかりに首を傾げる。

「行きたいのだろう」
「そ、れはその…」

「エンリョすることはない、私も気になっていたのだ」


ぜったい、嘘だ。夏祭りを催し物っていうくらいなのに、気になっていたなんて優しい嘘をつく。こういうところがずるいと思う。かくいうわたしも、どうせなら御剣さんと行きたいなあと思っていたところなのでもちろん断る理由はない。理由はないんだけど……わたしのイメージする御剣さんはこういう人混みが苦手そうだ。あんなたくさん人がいるところにいって、大丈夫なのだろうか。わたしも人混みは苦手だけれど、御剣さんが着てる上等な服に汚れがついたら…目も当てられない。一抹の不安を抱えながら、けれど自分の欲求には逆らえないもので浮き足立ちながら支度をする。

あたりはだんだんと暗くなってきて、人通りも多くなってきた。出店があるところまで少し距離があるので、普段より幾分ラフな、それでも気品のある服装で歩く御剣さんのすぐ横を追いかけるように並ぶ。近づくにつれて人も増えてきて、御剣さんの長い足についていくのに必死になってきた。ちゃんとついていかないとはぐれてしまいそうだ。
こんな人混みなんて普段の御剣さんはほとんど来ることがないだろうに、さして気にする様子もなくどんどん人混みをかき分けていく。


「う、わ…」

頭一個分とすこし上にある御剣さんの後ろ髪を目印についていくが、途中で間に一人入ってしまった。まずい、と思ったのも束の間、ずっと見ていたはずの灰色がかった髪の毛が見えなくなってしまった。どうしよう、こういうときはむやみに動かない方がいい…はず。あわてて人混みを抜けて少しひらけた脇道に行く。目まぐるしく行き来する人のなかで御剣さんを探すのは至難の業だろう。どうしよう、せっかく連れてってもらったのに、迷惑をかけてしまう。急に心が寂しくなって、孤独感を久々に感じた。これは御剣さんに出会う前のわたしの感情だ。御剣さんの姿が見えなくなっただけで、こんなにもわたしの心は簡単に揺れ動く。御剣さんはそれほどまでに大きな存在になっていたのだ。このまま会えなかったらどうしよう、もう高校生なのに、子どものような気持ちになってしまった。どうしようもなく不安で、じんわりと目の奥が熱くなったとき、突然感じた両肩の温もりと見知った香りがふわりと宙を舞った。跳ねるように顔を上げれば、切長の目に焦りの色を見せ、やや息を上がらせた御剣さんがわたしの両肩を支えていた。きっちり整えられた髪が少し乱れている。たった数分見なかっただけの顔にひどく安心して、ぽろりと左目から涙の粒がひとつ落ちた。

「っ名前くん、無事かね」
「御剣さん…」
「どうして泣く、まさか、誰かに何かされたのか」

わたしの目線に合わせて屈みながら、ぺたぺたと肩周りを触って安全を確かめる御剣さんに、ぶんぶんと顔を横に振った。それを見て安心したのか、ほっとした表情を浮かべる。

「あの、ごめんなさい」
「謝らねばいけないのは私の方だ。私としたことがキミとの歩幅を鑑みていなかった」

ぼん、と優しく暖かな手のひらがわたしの頭に乗る。迷惑かけたのに怒ってなさそうで、ひどく安心した。そして、ふいにぱっと両手が離された。

「すまない、女性の身体に無闇に触るなど」

急に離れた温もりに、思わず御剣さんの左手を取った。きゅっと握った自分の手と御剣さんの手を見て、焦る。どうしよう、勢い余って握っちゃったけど…。

「…ふ、またはぐれたら困るからな」

優しく微笑んでわたしの手を握り直す。くんと軽く引かれてまた人混みの中に入る。先ほどよりもゆっくりな歩幅で、わたしの様子をちらちらと伺いながら歩く御剣さん。その姿に、また心臓がきゅっとなるのを感じた。さっきまで感じた孤独感が、もう跡形もなく消え去っていた。





「名前くん、疲れただろう」

あれから御剣さんは川辺の方まで連れて行ってくれた。まだ花火の時間までずいぶんあったけれど、いちご飴を買ってもらって御剣さんの隣を歩けてわたしはもう十分すぎるほど夏祭りを楽しめた。なにより御剣さんが心配だったので、帰宅することを提案して先ほど家に帰ってきたのだ。家に入るときに、ぱっと離された右手が寂しかった。

「御剣さん、ありがとう。すごくたのしかった」
「うム、そうか」

幸福な気持ちで手洗いを済ませる。ふたりで無言の会話を楽しんでいると、ベランダの方で音が聞こえた。ふと外を見ると、今上がったであろう満開の花火が少し遠くの方ではっきりと見えた。

「わ、御剣さん!花火がみえる」
「……これは、知らなかったな、今まで外をなど見る機会がなかったからな」

二人並んでベランダへ立つ。いろんな色が花開いては消えて、暗闇に溶ける。その儚さが見惚れてしまうほど綺麗で、しばらく息を呑んだ。ちらりと横を見る。花火を見つめる御剣さんの横顔が、今度はうっすらといろんな色に照らされて綺麗だった。じいっと見つめすぎて、視線に気づいた御剣さんがわたしの方を向く。花火を前に二人で目を合わせているのが気恥ずかしくなってしまって、ぱっと慌てて花火の方を見つめる。来年は友達と、なんて思っていたけれど、来年も再来年も御剣さんと一緒に行きたいなあと思うばかりだった。


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